小休止中なので<余話>

 宇佐神宮で、「海ノ神(金比羅宮)と山ノ神(大山祇神社)」を書いたので、宇摩説を知って、訪問する人が居るかもしれない。すると、疑問が起こる事がある。この神社は共に後に作られているのだ。

 これらの説明が必要ある。宇摩説では現存する事実から、宇摩説の東西、等距離の地に建つと説明している。これに対して、ずっと、後世に建っていたとなれば、非常におかしな事になるので、この説明が必要になる。

 と言うわけで、余話としてここに入れることにした。

  宇摩説は古事記神話の現代解釈

 宇摩説は、古事記の現代的解釈である。だから、朝廷に不都合で、省かれた物事は解明が出来ない。しかし、古事記以外の物事には、省かれた部分が残る。だが、これも朝廷によって変形されている物が多い。

 例えば、先の古事記解明に、スサノオは最初、海の主(海原を知らせ)になった。しかし、スサノオは気に入らず、平野開拓をする。

 スサノオの選んだ「根の国」とは山の根(平野)の国であり、「常世」とは、常夜、つまり、日中でも日の光が届かぬ地域、つまり、平野であると、説明した。

 根の国や常世の国は、史学では「地下の国」、「死後の国」などと説明する。空想の世界である。

 宇摩説の解説は、現実的で普通の社会に起こる話である。このような説明をしたが、海の大臣については、この時に語らなかった。そして、進めてきた神話に、具体的な海運業者が出てきた。

 つまり、「因幡の白兎」で、ウサギとワニが出てきて、預言者の宇佐族と、運送をする和邇族の話と明確でなかったので、止めていたが、先の「宇佐神宮と宇摩説」のように、これらの不明部分を、明確にして置こうと思う。

 このように、多岐に亘る宇摩説の解明では、大筋では確定しているが、詳細部分は不明確で多い。これらは、全体の事例で済ましてきた(例えば、大山祇神社や、金比羅宮)が、これらを、訪問すると起こる疑問には応えてない。

 ここの事例も大筋では判っているが、詳細は多くの一致をで検証してない。そのまま書いて、宇摩説に入れるのは、多少の抵抗がある。そこで、証明の先にある問題は書いてこなかった。幾つかの傍証がないと、軽々しく、想像で入れたくないのだ。

 しかし、先に、宇佐氏の対抗、ワニは金比羅山だと云った。しかし、この神社が朝廷が深く関わっている。また、大山祇神社も同様で、朝廷の関与が明らかなのである。すると、この二社は迷彩に作られた可能性が出てくる。

 この基本的説明をする必要がある思うので、ここに入れることにした。

  金比羅宮と大山祇神社

 金比羅サンについては、これほど全国の港や、漁港に祭祀される神社は無い。正規に神社として登録されないのも含めると、大変な数であろう。これらも別の指示によって別の祭神が合祀され、神社の名も変わったものも多数あるだろう。

 同様に、大山祇神社も、「山の神」などとして、全国の山に限りなく存在した。これらはすべて、語り継がれた正規の伝承を残せば、高天原は地上にあって人々を導いたことは直ぐに判明してしまう。

 古事記や日本書記を編纂しても、意味が無くなるから、この二書に合わせて、住民が気付かぬように変更される。また、理由を付けて合祀する。これらで対応したことは間違いないだろう。

 これらの変更用に作られたのが宗像神社や、住吉神社である。この宗社も宇摩から見れば、東西の対象地域にある。これらで埋めようとしたのであろうが、「神は海と山から来る」と、今でも伝承が残るように、古代では、その元も伝承されていた。

 つまり、大元の宇摩(天)から来た伝承である。この伝承のために、元の地域(宇摩)でない、近くの地域に、山と海の宗社を作る必要があった。このために、高天原の近くに作られたのであろう。

 纏めると、全国で語り継がれた伝承に変化を与えて消すには、違った近くの別の場所に神社を作り、これを朝廷が推薦する形にする。こうして生まれたのであろう。

  本当は宇摩に在った

 先のスサノオの海の大臣の時に、神産巣日神と連絡を取り合って仕事をすると書いている。この連絡には、金比羅や大山祇の地では余りに遠すぎる。宇摩説では法皇山脈の裏(南、四国山脈側)に高天原があったとする。

 また、昨年の講座で、大国主は、「国譲り」の後に、宇摩平野に来て、法皇山脈のふもとで、国々の総纏め役をして余生を送った、と書いた。また、法皇山脈の北側の不思議な図形、地名なども紹介した。

 一つは「巨大な卑弥呼の像」であった。この近くの「天日隅宮」も、大国主の余生の宮として紹介した。つまり、本来は、この地域に在ったものだが、金比羅と大三島に移したのが朝廷なのである。

 大山祇神社では、「津の国から遷宮した」と言い伝える。これは、現在の学者が、「摂津の国」と説明するが、「摂津」は「狭い津」の意味であり、つ古代の津の国(高天原の港)のある津の国ではない。(後に、摂津も、津と言うが迷彩である)。

 なお、誰もが不思議に思うのだが、金比羅と大山祇は、海の神が内陸の小山に建って、山の神が島に建っている。この不思議は、先の史実を変更した事、「違えている」と暗示したものであろう。

 大山祇神社は何度の焼失している。これは、古文書の焼失である。その度に神主が記憶を頼りに書き直して、新しく文書を揃えている。このために、大山祇神社の文書は記紀と違った面白いものが含まれる。

 ただ、時の朝廷の要求もあって、神社の神階のために、要求に合った文書も作られているから、古事記など荷の朝廷文書に似ているものもある。これらを省いた古文書に面白いものがあるのだ。


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