米国二大政党の異なる対日関係史 4-4
第四章 米国の国際戦略
米国二大政党の異なる対日関係史 P.310-314
日露戦争後から共和党セオドア・ルーズベルト政権は世界各国との戦争を想定してプランを立案し、その中には対日戦争計画オレンジプランもふくまれていた。しかしこれは英国まで含めた主要国全てを対象(各国ごとに別のカラー名)にして立案された安保上のものであり、日本だけを想定して狙ったものではなかった。このオレンジプランを指して「アメリカは半世紀も前から対日戦争を計画していた」と評する意見もあるが、私はその説には賛同できない。同プランは議会で立法化されたり閣議で正式決定されたものではなく、安全保障とし軍部が研究を命じられたものであり、日本一国だけを対象にしてはおらず、いわば世界主要国と「米国がもし戦わば」といった防衛シュミレーションであることから、これは戦争が日常的であった当時の独立国としては自然な安保対策である。アメリカが対日戦争を計画したのはF・D・ルーズベルトの大統領就任以降であり、セオドア・ルーズベルトからフーバーへと至る時期にはそんな謀略は一切存在していない。
それどころかセオドア・ルーズベルトの前任であったウィリアム・マッキンレー共和党大統領は「米英日が同盟して露独仏に対抗する」という構想を描いており、マッキンレーのブレインといわれたW・ラフィーバーは1898年3月にニューヨーク・トリビューン紙上で「(シナにおける)露独仏の支配は専制・無知・反動を意味するのに対し、日本の支配は自由・啓発・進歩を意味する」と述べて米英日の連携を訴えている。しかしキューバ及びフィリピンでの紛争の対処に追われたマッキンレーは、結局この米英日三国同盟構想に着手することなく1901年9月にアナーキストの凶弾に倒れ、この三国同盟は幻の構想に終わった。このマッキンレー構想は日本人にもあまり知られていないが、共和党が当時日英両国をパートナーとする三国同盟を考えていたこと、そして今日ブッシュ政権が「米英日三カ国で世界新秩序をつくる」と明言していること、この事実は共和党の国際戦略が一環した発想の下に一世紀以上継続されていることを裏付けている。
このようにマッキンレーやセオドア・ルーズベルトなど共和党政権が続いている期間は、日米間の軋轢はほとんど生じなかったのであるが、理想主義リベラルと言われる民主党ウィルソン大統領あたりから日米間の不和が表面化し始めた。ウィルソンはかの悪名高き禁酒法や組合保護法・労働時間制限法を導入した左派であり、国際連盟創設を主唱した人物だが、実は強烈な黒人差別主義者でもあり、日本が提議した人種差別撤廃決議案を強引に却下した張本人である。それまで比較的友好的であった日米の歯車が逆回転し、深刻な日米関係の歪みと日本の孤立化を生んだのは1921年11月のワシントン会議ではないだろうか。ワシントン会議を主宰したのは「米国史上最も無能な大統領」と言われるハーディング共和党政権だが、同会議開催方針とその主目的である日英同盟破棄は、ハーディングの大統領就任(1921年3月)のその前にウィルソン民主党政権によって決められており、英国への根回しも完了していた。ポリシーのない金権政治家であったハーディングには、その既定路線を変更する意思も思想もなく、いくら共和党でもダメな人物も存在しているということだ。
このワシントン会議において日本は、日英同盟を破棄させられ、軍艦比を米国5に対して日本3にさせられ、青島や膠州湾のシナへの返還、満州の日本権益を認めた「石井・ランシング協定」の破棄、その他屈辱的な条件を呑まされるに至った。ウィルソン政権が狙ったワシントン会議の主要な目的の一つは、中国や満州から日本を追い出してアメリカの権益を拡大することであり、一方、米国立公文書館の公文書ナンバー「JB355」には、民主党ルーズベルト政権が開戦を欲して日本を挑発し続けた目的の一つは「中国から日本を追い出して、将来の巨大な中国市場を独占的に確保するため」でもあると明記されている。何のことはない、クリントンを見ればよく分かるように、昔も今も民主党のアジア戦略はまったく変わっておらず、何の進歩もしていないのだ。
一方おそらく確実であろうと推測できることは、もし大戦前の当時のアメリカが共和党政権であったら、シナの赤化やソ連の台頭を防ぐために日本の率直な対話は可能であり、石油禁輸もハルノートもなく従って日米開戦には至らなかったであろうということである。共和党が日本とは戦いたくないと願っていたことは確かなことだ。しかし現実にはルーズベルトの謀略で日本が真珠湾を攻撃してしまったために、共和党も戦争以外の手段はなくなってしまったのだ。自国領を攻撃された以上はもはや是非もない。「共和党員と民主党員、他国への不干渉主義と干渉主義の激しい論争も、今となっては無意味なものになった」(J・トーランド)のである。我々日本人はこの歴史的事実からどれだけの教訓を得たのか、いやそれ以前に、共和党が対日戦争に反対し続けた事実自体をどれだけの日本人が知っているのだろうか。我々は「アメリカは日本を戦争へと追い詰め、原爆を投下し、日本に対して幾つもの罪を犯した」というメンタリティを、「民主党は日本に対して幾つもの罪を犯した」という定義に置き換えるべきなのである。
共和党系シンクタンクのフーバー研究所は、フーバー元大統領がその最晩年の1960年に「米国を共産主義から守るための研究所」として私財を投じて創設した機関である。1992年にこのフーバー研究所は、外交官J・マクマリーが1935年に記した「マクマリー・メモランダム」を出版している。このメモランダムはいわば「アメリカ(ルーズベルト政権)の対日対中政策への批判」といった内容で、例えば「日本人は、天然資源の乏しい小さな島にぎっしり密集して住んでいる。日本は、東アジアを除く全ての市場からかなり遠く離れているし、狭い海の向こうから二つの国、中国とロシアから過去に威嚇を受けてきた。日本人は、それを彼らの生存そのものの脅威だと、いつもみなさなければならないのである。日本にとって、原材料輸入と輸出市場としての中国が、産業構造を維持し、国民の生計を支えるために不可欠なのである」と述べて日本へ対して寛容であるように説き、一方で「我々の対中政策は、何年もの間、中国にゴマをする実験をやったあげく、突然に行き詰まってしまった。この事実は、日本と正常な関係を保つよう願っている善意のアメリカ国民たちの忠告に十分耳を傾けるべきだという、警告として立派に役立つであろう」とも述べ、結論として「日本には媚びもせず挑発もせず、公正と共感を持って対処しよう」と主張している。
日米開戦に反対した共和党元大統領の名を冠したフーバー研究所が、60年近くも前の一外交官の手記を出版した真意は何であろうか。それはアメリカにとって、対日・対中戦略において二度と同じ失敗は繰り返さないという、共和党の意思が示されているものと私は考えている。この手記の出版に際してフーバー研究所は、その解説文として当時の国際状況を「中国はボルシェビキ(共産主義)と幼いナショナリズムの影響を受けて、狂乱のヒステリックな自己主張に駆り立てられていた」「仲間同士(日米)が傷つけ合ったのが実態」と付記しており、それは明らかに現在の中共を暗喩している。前出のジョージ・ケナンも、この「マクマリー・メモランダム」を絶賛しており、その講演の中で「これらの地域(シナ・朝鮮半島)から日本を駆逐した結果は、まさに賢明にして現実的な人々が終始我々に警告した通りの結果となった。今日我々はほとんど半世紀に渡って朝鮮及び満州方面で日本が直面し担ってきた問題を引き継いだのである」と述べ、防共と安全保障に基く当時の日本の立場はそのまま現在の米国の立場となったことを認めている。共和党の対日方針とは昔も今も、まさにこの60年前の「マクマリー・メモランダム」が提唱するごとく、「日本には媚びもせず挑発もせず、公正と共感を持って対処しよう」なのだ。
前述のように、民主党F・D・ルーズベルトの叔父ではあっても共和党の大統領であったセオドア・ルーズベルトは、日露戦争で日本を支援して講和を斡旋し、東郷元師を尊重し、教育勅語や武士道精神を高く評価するなど、親日的なスタンスを示していた。そのセオドアの政治的遺伝子は、以降も共和党歴代大統領に受け継がれている。日系人強制収容に初めて公式謝罪したフォードも賠償したレーガンも共和党であり、占領憲法制定を初めて公式に日本の国会で謝罪したニクソンも当時アイゼンハワー共和党政権下の副大統領であった。この事実は、もしアメリカが原爆投下や東京裁判を謝罪するとすれば、それは共和党政権であるというジンクスを示唆している。ちなみに1983年5月27日、日本海海戦の戦勝記念日であるこの日に渡米した中曽根首相を、レーガン大統領は「軍艦行進曲」の演奏で迎えたが、ホワイトハウスで日本の軍歌が演奏されたのはこれが最初である。米大統領がドイツの首相をナチスの軍歌で迎えることは決してあり得ない。共和党の対日史観とは、「大東亜戦争肯定史観」とまではいかなくても、日本の自衛による立場を理解したる「大東亜戦争容認史観」といったところなのだ。
20世紀の百年間、日米英三国同盟を夢見たマッキンレーに始まり、日露戦争講和を仲介したセオドア・ルーズベルトを経て、「日本はアジア防共の砦だ」と終生主張していたフーバー、そして「強い日本の復活」を待望する現ブッシュ政権に至るまで、共和党はいつも日本の立場に理解と共感を持って接してきた。その一方、ワシントン会議のレールを敷いたウィルソンに始まり、ソ連に操られて日本を追い詰めたルーズベルト、原爆を投下し東京裁判を強行したトルーマン、中共と結び対日経済戦争に狂奔したクリントンに至るまで、民主党は常に日本を敵視し警戒し抑えつけようとしてきた。これらの歴史が物語る真実は、この二大政党の対日観や共産主義に対する姿勢がまったく正反対であるということなのだ。そして、かつてGHQ内部で熾烈な路線対立を繰り広げたストロングジャパン派(共和党)とウィークジャパン派(民主党)が、今なおアメリカを二分して存在しているという現実を日本人は決して忘れてはならない。
日米開戦前における日本政府の最大の失敗は、ルーズベルト政権の与党たる民主党だけを相手として共和党との交渉を考えもせず、つまりアメリカという国を一括りに見て「アメリカは二つ存在する」という視点を持たなかったことにある。私は小室直樹博士とお会いした時に、日米開戦に至る日本外交の最大の失敗は何かと質問したことがあるが、小室博士の答えは一言明確に「アメリカのもう一つの世論を研究せず、ルーズベルトやハルだけを相手にしたこと」であった。まさしくその通りである。
そして現在においても、反米か親米かの二元論でアメリカに相対する人々は、この「歴史が教える教訓」に全く学んでいないのだ。右だろうが左だろうが、今も大半の日本人が「二つのアメリカ」の存在をおそらく知らない。反米か親米かの立場でしかアメリカを見ようとしない日本人は、現実の目ではなく、観念の目を通してアメリカを見ているのだ。それは日本が再び過ちを繰り返す最大の要因でもある。
以上
フラッシュ:軍艦行進曲
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