2017年4月29日に最初の記事を載せてから、丸一年経ちました。
私はアナログ人間ゆえ、開設当初は続けられるのか不安でしたが、記事を書いてアップするだけの、アメブロの簡便さに助けられ、なんとか一年間綴ってくることができました。
始めようと思ったときは、原稿を書き貯めていくのを主目的と考えていました。しかし、アクセス数が自動的に算出・表示されるため、どうしても数字に目がいってしまいます。多い日もあれば少ない日もあり…。でも、結果的にそれがよかったと思います。私が考えていたよりかなり多くの方々にお読みいただき、続ける活力をもらえました。
1年間で記事の総数は57本。1週間に1回更新ペースです。自分でも最低限の目標は達成できたと思っています。
アクセス数は1年間で約35,000。これが多いのか少ないのか判断がつきませんが、個人的には大いに満足しています。ありがとうございました。
よく読まれている記事は、統計をとっていない(とり方がわからない)ので私の感覚的なものになりますが、次のふたつでしょうか。
2位:邪馬台国への行程「水行十日陸行一月」をどう解釈するか?
総じて、『日本書紀』についての記事より邪馬台国についての記事の方が、アクセス数が多いようです。
現在、原日本紀(げんにほんぎ)の復元については、倭の五王の時代までさかのぼっています。これから難しくなってきそうですが、逆に面白いともいえます。次の一年では崇神天皇までさかのぼりたいと思っています。日本書紀の界隈もよろしくお願いします。
さて、そんなことを考えていた昨日(4月28日)、某テレビ局で、邪馬台国および卑弥呼に関する番組が放映されました。番宣でほぼ内容(邪馬台国畿内説)はわかっていたのですが、いつものように怖いもの見たさ(!?)で観てしまいました。
予想を裏切ることなく邪馬台国畿内説ありきの内容構成で、またいつものようにテレビの前で反論したり、文句をいったり…でした。
気になったのは、次のようなところです。
(1)近つ飛鳥博物館の白石太一郎先生はまったく畿内説のお立場でしたが、纒向学研究センターの橋本輝彦先生は明言を避け少しお茶を濁しておられるような感じがしました。しかし、お構いなしに畿内説の立場からのナレーションがかぶさっていたような気がします。
(2)邪馬台国時代の大和からは鉄製品がほとんど出土していないはずですが、大量の鉄製品があったかのように思わせる内容でした。
(3)バジルが卑弥呼の薬草、で長寿、とか…。バジルの花粉が出ただけで、ここまで話をひろげるとはいかがなものかという思いです。
(4)これは、いつも思う根本的な疑問なのですが、「最初に巨大な箸墓古墳が築かれた」などということがありえるのでしょうか。番組でも登場していた立体計測図をみると、箸墓古墳はきれいな三段築成となっています。明らかに正確な設計図がないと築造できないでしょう。また、それに対応できる確かな土木工法の確立も必要でしょう。さらに、それを可能にする道具類(鉄製品!)も必須です。そういうものがいきなり完成形であらわれることはないと思うのです。さまざまな試行錯誤を経てできあがるのではないでしょうか。箸墓古墳についてのみ、かたくなに「最初にできた巨大前方後円墳」とする論評に、いったいどれほどの研究者が同意されているのか、ぜひ一度調査していただきたいと思います。
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