原日本紀の復元031 倭の五王〈5〉倭王になれなかった「兄」安康天皇 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。


テーマ:

 前記事で、477年の遣使を送ったのは安康天皇(あんこうてんのう)であることを検証しました。そうすると、どのようなことになるでしょうか。順を追って考えてみます。

 

■図1 興から武にいたる時代

 

 「原日本紀年表(『日本書紀』の無事績年を除いた年表)」では、459年に即位された允恭天皇(興)が崩御されるのは472年1月です。それを継いで、子の安康天皇が473年に即位されます。安康天皇はおそらく2年〜3年間父の喪に服された後、すみやかに宋へ使いを送ります。474年か475年に倭国を出発した遣使一行は、百済(くだら)に着きますが、前記事で見たように高句麗(こうくり)による百済攻撃により先に進めなくなります。

 

 一方、百済の漢城(かんじょう)が陥落する1か月前、倭国でも大事件が起こります。475年8月に、安康天皇が義理の子である眉輪王(まよわのおおきみ)によって暗殺されてしまうのです。それを継いだのが、雄略天皇(武)です。476年に即位されます。雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)も1年程度兄の喪に服された後、遣使を送ります。

 さて、安康天皇の遣使は、高句麗による宋への経路閉塞の緩んだ477年に改めて歩を進め、11月に宋の都、建康へ到着します。そして、その半年後、478年の5月に雄略天皇(武)の遣使も宋に到着します。

 

 今度は宋の側から考えてみます。

 宋では、460年の興の遣使に対して、462年に安東将軍を賜号した孝武帝が464年に没した後、皇族の内部抗争を繰り返して弱体化していきます。そして、477年8月、実力を蓄えていた将軍の蕭道成(しょうどうせい)が幼少の順帝(じゅんてい)を擁立して、実質的な権力を握ります(その後479年、順帝の禅譲(ぜんじょう)を受け、南斉の初代皇帝となります)。それに続いて、蕭道成を認めない勢力が次々と挙兵しますが、すべて鎮圧されてしまいます。

 

 その混乱のさなかだったからでしょうか、11月に到着した「倭国の遣使」についてはその事実が記されるだけで、「安東将軍」などの号は与えられませんでした。当然、「興」や「武」といった一文字の名前も与えられて(認められて)いません。安康天皇(穴穂天皇(あなほのすめらみこと))の遣使が「父の興が亡くなり、子の臣〈穴穂〉が継いだ」という内容をしたためた上表文を携えていたとしたら、宋側はこの時点で倭国に対する最新の情報を得ていたと思われます。

 

 さて、それからまもなく、半年後の478年5月に雄略天皇の遣使が、前記事でみた上表文を携えてやってきます。そこには「にわかに父兄を亡くした」ことが書かれています。父とは允恭天皇(興)であり、兄とは安康天皇です。「にわかに」という言葉通り、472年に允恭天皇、475年に安康天皇を立て続けに亡くしています。上表文はまさにその状況を語っていて、史実との齟齬(そご)は認められません。

 

 宋の側からみると、この三者の関係は次のようになります。

 

興(安東将軍・倭国王)允恭天皇【父】

名無し(授号せず)安康天皇【子・兄】

武(安東大将軍・倭王)雄略天皇【弟】

 

 ここで問題となるのは、安康天皇が授号せず、「興」や「武」といった一文字名ももらっていない(認められてない)ことです。

 宋側は上記の関係性を知っていたはずです。それは、安康天皇の遣使が上表文を奉っていれば確実でしょうし、そうでなくても雄略天皇の上表文に目を通し、遣使に詳細を尋ねればすぐにわかることです。半年前に来た遣使が、「兄(安康天皇)」の送ったものであったことも明白でしょう。

 

 しかし、記録に残すにあたっては、非常に複雑なことになります。あえて書くとすれば、「興死す」「子立つが、たちまち子死す」「弟武立つ」という風になるでしょうか。

 ところが、興の「子」であり、武の「兄」である安康天皇には名前がないのです。加えて、倭国王あるいは倭王と認められる前に崩御されてしまっているのです。そのため、「子立つが、たちまち子死す」は『宋書』に記されることはありませんでした。それが、「興死して、弟武立つ」と記されるに至った真実ではないでしょうか。つまり、宋から「倭国王」あるいは「倭王」を授号できなかった安康天皇は、中国の史書からは消されてしまっていたのです。というより、名前がないのでもともと記しようがなかったという方が正しいでしょうか。

 

 以上のように、興を允恭天皇、武を雄略天皇に比定することは可能だと考えます。(続く)

 

お読みいただきありがとうございます。よろしければクリックお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ   
にほんブログ村   古代史ランキング 

 

*****

拙著『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)

 

M・ITOさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス