邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。


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 稲荷山古墳鉄剣銘文の「471年説」「雄略天皇説」を否定してみようというのが今回の試みです。引き続き、記された文面からどのようなことが読み取れるかを考えていきたいと思います。訳文を再掲しておきます。

 

<銘文の一般的な現代語訳の例>

辛亥の年の七月に書き記します。(私の名前は)ヲワケの臣。先祖の名前はオホヒコ。その子(の名前は)タカリのスクネ。その子の名前はテヨカリワケ。その子の名前はタカヒ(ハ)シワケ。その子の名前はタサキワケ。その子の名前はハテヒ。その子の名前はカサヒ(ハ)ヨ。その子の名前はヲワケの臣。代々、杖刀人の首(大王の親衛隊長)として、お仕えして今に至ります。ワカタケル大王の寺がシキの宮に在る時、私は大王が天下を治めるのを助けました。この百回も叩いて鍛えた刀を作らせて、私(の一族)が大王に仕えてきた由来を書き記しておきます。

 
乎獲居臣(ヲワケノオミ/ヲワケノシン)が眠っていた礫槨(れきかく)は、稲荷山古墳の後円部頂にあります。
現在は絵柄のプリントされたプレートがはめ込まれています。
 
2008年に訪れた際はこんな感じでしたが…。
 

 銘文中に記された事柄についての時間的な前後関係を考えます。

 基準となるのは、「辛亥年七月中記(辛亥の年の七月に書き記します)」の「辛亥年」です。そして、この「辛亥年」と比べるのは、

(1)「世々為杖刀人首 奉事来至今(代々、杖刀人の首として、お仕えして今に至ります)」の「今」とはいつか?

(2)「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時(ワカタケル大王の寺がシキの宮に在る時)」がいつか?

(3)「吾左治天下(私は大王が天下を治めるのを助けた)」のはいつか?

(4)「令作此百練利刀(この百回も叩いて鍛えた刀を作らせた)」のはいつか?

(5)記吾奉事根原也(私が大王に仕えてきた由来を書き記した)」のはいつか?

です。

 

 この銘文が架空のものでないとすると、記されたのは「辛亥年」で間違いないでしょう。(1)の「今」もこの銘文を記した時点、つまり「辛亥年」とイコールであると思われます。その時点で乎獲居臣が現役の「杖刀人首」だったかどうかについては疑問の余地もありますが、その場合でもごく近い時期まで「杖刀人首」であっただろうと読み取れます。そして、(5)もこの鉄剣の銘文を記したと言っているわけですから、それは同じ「辛亥年」であると考えられます。

 次に、(3)(4)(5)の記述をみると、「左治天下」「令作此百練利刀」「記吾奉事根原」の主語はすべて、「左治天下」の前にある「吾」であると読み取れます。すると、「左治天下」し、「令作此百練利刀」したのは、「記吾奉事根原」=「辛亥年」より以前であったことは想定できますが、文脈上、それら3つすべてが(2)「獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時」の期間に含まれるのは明らかです。

 ですから結論として、この銘文を信じるならば、「ヲワケ臣は、ワカタケル大王の寺がシキの宮に在る時に、天下を左治し、刀を作らせ、奉事の根原を記した。そして、記されたのは辛亥の年である」と読まなくてはなりません。

 当初、私は乎獲居臣がワカタケル大王に仕えたのと、この銘文が書かれたのは時期が違うのではないかと疑ってみました。つまり、乎獲居臣がワカタケル大王への出仕を終えて関東地方に戻った後にこの銘文を記した可能性はないかなどと考えたわけです。しかし、文面上はその可能性は低いといわざるをえないでしょう。

 

ここまでみてきて、本題からは外れますがひとつ考えられることがあります。「代々」と訳される「世々」についてです。

これには、(A)乎獲居臣の先祖が代々、杖刀人の首として大王に仕えてきたという読みと、(B)乎獲居臣が代々の大王に杖刀人の首として仕えてきたという読みの二説があります。

しかし、銘文で記された事柄の主語が乎獲居臣ばかりであることを考えると、「代々、杖刀人の首として仕えてきた」のも乎獲居臣個人である可能性が高いと考えられます。私個人としては(B)の読みが正しいような気がします。

 

 次に、銘文からは少し逸れますが、乎獲居臣の年齢という視点から考えてみます。仮定に仮定を重ねる数字遊びの感があることはお許しください。

 現在、私の作成している、『日本書紀』に天皇の事績が記されない「無事績年」を除いた年表では、崇神天皇により四道将軍が派遣される崇神天皇10年は西暦309年となっています。その時、四道将軍の一人である大彦命が約50歳、便宜上49歳と仮定しますと、生まれたのは260年となります。そこを起点に、乎獲居臣の誕生年を算出してみます。乎獲居臣は大彦命から7世代後の子孫ですから、1世代30年とすると西暦470年生まれ、1世代25年とすると435年生まれ、1世代20年とすると400年生まれとなります。

 銘文から、乎獲居臣が「代々の大王」に「杖刀人の首」として仕えたと読むと、銘文を記した時期にはかなりの高齢であると推測されます。仮に471年に60歳〜70歳だとみると、生まれは西暦400年〜410年ごろになります。すると1世代を20年〜21年程度で設定しなければなりませんが、私は現実的にそれを長い世代にわたって維持するのは難しいのでないかと思います。つまり誰か一人が30歳ぐらいで次の世代を生んだとしたら、他の誰か3人が17歳で次の世代を生まないと平均20年を維持できないからです。

 もちろん、前提条件が仮定ですので自信をもって断言はしませんが、乎獲居臣の代々の系譜を考えると471年説は少し厳しいのではないかと感じます。

 また、さらに思いを広げると、乎獲居臣代々の系譜を信じ、乎獲居臣の先祖が本当に大彦命なのだと想定することは、崇神天皇のある程度の年代観を確立することにつながります。471年説、531年説のどちらを採用するにしても、崇神天皇を2世紀以前に古くみるということは難しいのではないかと思えてきます。471年説をとり、乎獲居臣を400年生まれと仮定して、さらに1世代を30年としてやっと大彦命が190年生まれになります。『日本書紀』では、大彦命は崇神天皇の伯父(父の兄)という設定ですから、崇神天皇は大彦命より1世代後の人物ということになり、必然的に崇神天皇の生まれは200年代(3世紀)となるからです。

 

 あと、銘文から考えるにあたっては、「杖刀人」という語句がいつ頃に用いられていたかということは非常に重要なことだと思われます。これがわかれば、銘文の解明に大きく近づくと思います。ただ、現在のところそれを考える資料を持っておりませんので、これは今後の課題にしたいと思います。

 

 また、「獲加多支鹵大王」が本当に「ワカタカル大王」であり、大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけるのすめらみこと)=雄略天皇なのかということについては、本当に通説化するほどの決定的な論拠があるのか個人的には疑問があります。が、それに反論する材料を持っているわけではありませんので、現状を容認するしかありません。

 しかし、「斯鬼宮(しきのみや)」を根拠にした「531年説」「欽明天皇説」も提示されています。雄略天皇の宮は「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」であり、厳密には「シキ」にある宮ではありません。一方、欽明天皇の宮は「磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)」であり「シキ」にあったことは明らかです。あわせて、『上宮聖徳法王定説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』という書物の記述から算出される欽明天皇即位年が531年ということもその根拠とされます。一見こちらの説に説得力がありそうですが、「ワカタカル大王」と欽明天皇の諡号(しごう)「天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)」に全く関連性がみられないことや、『日本書紀』では531年が継体天皇の崩御年であり、それを継ぐのが安閑天皇である(欽明天皇元年は540年とされる)ことなどにより広くは受け入れられていない情況です。

471年説を否定しようという立場からすると、この531年説は非常に魅力的ですが、これをそのまま受け入れるためには531年に欽明天皇が即位される必要があり、欽明朝と安閑・宣化朝の二王朝並立や安閑天皇・宣化天皇が架空の天皇であったということなどを考えなくてはなりません。とても悩ましいところです。

 

 以上、みてきた結論として、銘文解釈の面から稲荷山古墳出土鉄剣の「471年説」「雄略天皇説」を否定してしまうことは難しいかもしれません。辛亥年が471年か531年であることに間違いはないでしょうが、獲加多支鹵大王が雄略天皇であるということについては思ったほど確固とした論拠に基づくものではないこともわかりました。

 次は「古墳」という視点からみていきたいと思います。(続く)

 

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拙著『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)

 

 

 

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