ゴルディアスノットの漢

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 貧しい農民であったゴルディアスは神のお告げにより、権力争いで明け暮れたフリギアで世継ぎの王となった。ゴルディアスは、自らが乗っていた牛車を神にささげ、しっかりと柱に括り付けた。そして「きつく括りつけたこの結び目(ノット)を解いた者こそが、このアジアの王になるであろう。」と予言した。それから何人もの人たちが結び目をほどこうとしたが、誰一人解くことはできなかった。数百年後、アレクサンドロス大王がこの地を訪れ、剣を持ち出し一刀両断、その結び目を断ち切ってしまった。その後、アレクサンドロス大王は勝利を重ね、予言通りにアジアの王となった。

 W杯第3戦の戦い方を見て、この逸話を思い出した。決勝トーナメント進出、という命題を解くために西野監督がゴルディアスノットを振るった。

「決勝トーナメント進出のためには最低限引き分けが必要」と私は理解していた。試合翌朝、いつもはつけないテレビを起きぬけにつけた。寝ぼけているのか、数字がにじんでいるのかと何度も目をこすった。「日本、決勝トーナメント進出!」というテロップ。画面には手を叩いて喜んでいる選手が映っている。でも、スコアは1-0だ。ゼロは日本だ。なぜ?負けたのに決勝トーナメント進出?「ボール回し」「ブーイング」という言葉も繰り返され余計に訳が分からない。チャンネルをあちこち回すうち、どうやら「フェアプレイなんとか」というシステムを利用して決勝Tに進出したらしいと分かった。ほぉぉ・・という感じだった。すっきりしない。

 スポーツとは「全力で挑み、負けても勝っても潔く結果を受け止める」ものだ、と私は捉えていた。流れる汗は爽やかで清々しく、負けても勝っても「人生っていいね」と高らかに歌い上げることができる。闘った者同士が肩を組み、お互いの健闘を称え合う。スポーツとはそういうものだと、運動音痴の私はあこがれを持って選手をみていた。恐らく多くの人が私と同じような感覚をもっているだろう。頭脳プレーはあって当然だが、それは駆け引きとは無縁だ。

 え?頭脳プレイと駆け引きと何が違う?西野監督はずるっぺしたのか。ルール違反をしたのか。違うよなあ。ルールにのっとって最高の結果を出したのだ。

 確かに、「最後まで全力で戦う姿勢」はなかった。でも、最後まで「決勝トーナメントに進出するぞ」という気持ちを失わなかったからこそゴルディアンノットを振るったのだ。アレクサンドロス大王だって最初は何度も結び目を解こうと挑戦したらしい。それでもほどけなかったからこそ一刀両断した。「断ち切ってよいのだったら、自分だってそうしたよぉ」と抗議する勇者もいたかもしれない。そういう批判が出ることを覚悟の上でアレクサンダー大王さんはノットを断ち切った。凄い勇気だと思う。西野監督も。

 「漢」と書いて「オトコ」と読む。長男の少年野球チーム監督が好んで使った字だ。始終「漢たれ!」と選手たちを叱咤した。

西野監督の采配を見て、久しぶりにこの字を思い出した。

頑張れ、日本のアレクサンドロス大王!