2019年は年頭から1日も雨が降らないまま、いよいよ2月に突入するかと思いましたが、最後の31日にとうとう「初雨」が降りました。そして今日、2月1日は元通りの晴天となり、まぶしいほどの日の光が降り注いでいます。

 

この1月も苦しい日々でした。現在、科研費研究の一部を占める編著書を執筆中です。編者として多くの方に担当章の執筆を依頼してもおり、著者と編者を兼ねています。自分の担当箇所の執筆をしながら届いてくる各章の原稿にも目を通さなければなりません。出版社の期待にも、学界の期待にも応えていかねばなりません。編集作業はここからが正念場となります。

 

それとは別に年頭に1本の論文、月末締切の1本の書評論文を、どちらも信頼する方からの依頼を受けて執筆しておりました。

 

年頭の論文は専門の言語学の論文です。最近、科研費のテーマでもある配慮表現の論文を多く書いていたのですが、依頼してくださった方への敬意を込めて、久々に2008年に出版した『発話機能論』に関連する論文を書きました。実は締切は年内だったのですが、どうしても書けず(サボっていたのではなく、諸業務が多忙だったのです)、お願いして年明けの提出にさせてもらいました。この信頼にはどうしても応えなければならない。「走れメロス」の心境で書き続けました。

 

 

年末年始も全く休まず。大晦日も家族が紅白歌合戦を見ているあいだ、自分は論文を書いていました。もっとも、紅白歌合戦にあまり興味がないので決して「我慢した」わけでもありません。ちなみに最近、紅白を見たのは植村花菜さんの「トイレの神様」が最後なので、いつ?と調べたら2010年なんだそうです。え、そんなに前のこと?もう8年も紅白を見ていないのか、と驚きました。

 

1月1日は創価学会の新年勤行会に参加し、清々しくスタートしましたが、午後からはずっと自宅で論文を書いていました。

 

1月2日、3日は大学の研究室で一日中、論文を書いていました。研究室の灯りが点いているのは私だけでしたので、ややもすると世界でいちばん自分が忙しいのではないかという孤独な気分に陥りがちですが、そんなことはないと思い直して頑張ります。

 

2日は箱根駅伝で創価大学の選手が学生連合の一員として走りました。以前、大学の学生部長を務めていたときは学連選抜に出場する選手のために早朝から起床して現場に赴き、地元の支援者にご挨拶したりしながら、選手が到着するのを待ったものです。到着したら選手に慰労の声をかけ、関係者で写真を撮ったり。選手や監督・コーチはもちろん、多くの人が正月を返上して応援します。

 

そのことを思い出しながら、皆闘っている、だから自分も今の自分の持ち場で責任を果たす、信頼に応える闘いをすると言い聞かせます。

 

そして、4日も5日も一日中頑張ってようやく1月6日に論文が完成。さらに二日間、推敲の猶予をいただいて8日に提出しました。

 

執筆の依頼を受けたのは半年以上も前のことでしたが、研究というのは時間がかかるものです。まず、関連する資料を読み込まなければなりません。今回は英文文献も多くあり、ちょっと読み込むのに時間がかかりました。他の研究者の考え方をよく理解しておかないと、それに対する批判もそれを乗り越えることもできません。さらにデータ収集です。最近はコーパス検索を用いるようになったので、かつて1980年代、大学院生だった頃に行っていた用例収集よりは遥かに便利になりました。しかし、それでも大量のデータを収集して一つ一つ検証し、実際に論文に使えるのはそのうちの数パーセントに過ぎません。

 

「功を焦る人は研究者に向かない」というのは、筑波大学時代に尊敬する小松英雄先生から教わったことです。徒労に終わるかもしれない作業を黙々と続けられる精神力が求められます。それはある意味では忍耐力ですが、同時に研究という聖域を自分のような者の愚見によって汚してはならないという謙虚さ、ある種の宗教心のようなものでもあります。

 

何の家族サービスもできない、京都で一人暮らしする老母に顔も見せられない、でもそういう自分ではありますが、研究者としての責任を果たし、信頼に応えようとしていることを家族はよく理解してくれていると思います。申し訳ないことです。

 

もちろん研究だけやっているわけではありません。今年の年頭は学部生の卒業論文を主査12本、副査10本の計22本、院生の修士論文を主査2本、副査2本の計4本、合計26本の論文を読んで審査しました。口頭試問のためのコメントを書いたり、審査報告書をまとめたり。もっともこれは論文執筆の合間の休憩時間を利用して楽しく読ませていただきました。

 

大学の入試責任者として、推薦入試のための大阪出張、センター試験の担当など、土日ごとに張り付いておりましたが、これも大学のため、学生のために全力で臨みました。

 

別の方から依頼されていた書評論文の締切が月末だったので、何とか締切を守りたかったのですが、深夜の研究室で完成したときは零時を過ぎており、残念ながら2月1日未明の提出となってしまいました。わずかな遅延なので許していただけると思います。書評の対象となる著書を年末年始の地方出張や都内出張などの際に常に持ち歩いて読みふけっておりました。十分読み込んで頭を整理してから一気に書いたという感じです。

 

原稿がたまっていると落ち着かず、ブログもろくに書けないのですが、昨晩1本提出し終えて少しホッとしてこのブログを書いた次第です。