十六橋 | 婆ちゃんそれ100回聞いた

婆ちゃんそれ100回聞いた

半径数メートルの世界

お盆なので実家までのついで寄り道

つい通り過ぎる所にあります。

 

 

オレンジの看板のあるのが現在の道路としての十六橋

旧会津街道の要所。弘法大師が16の塚を築いて

通行できるようにし村人の不便を救ったとの逸話から命名

 

十六橋は、猪苗代湖から流れる日橋川に架かる石橋で、

会津若松城下へ入るための関門です。

慶応4(1868)年8月22日、母成峠を突破した新政府軍は、

会津若松城下へ進軍するために十六橋へ向かいます。

新政府軍が到着した時、会津藩は石造りの強固な十六橋の破壊に失敗し
会津藩は応戦しますが、新政府軍が十六橋を突破し

戸ノ口原、会津城下へと進軍した所です。

 

隣のりっぱなのが十六橋水門

1786年(天明6年)、会津藩によって架けられた石橋が、

1879年(明治12年)、安積疎水事業により、

道路兼16の石造りのアーチできた水門に改築された

安積開拓・安積疎水事業のシンボル的建造物

 

近くに水門を設計したファンドールン像

レトロな安積疎水戸ノ口水門監守所という建物などあり

近くの天鏡閣(旧有栖川宮・高松宮翁島別邸)の別館と雰囲気が似ていました。

 

十六橋から国道49号金の橋、その先に猪苗代湖