まずは、金沢と加賀に来てほしい その3
1月26日、朝イチの新幹線に乗車、8時43分金沢駅着。そのまま迎えに来てくれたクルマで能登へ。
被災された方たち、中学生の集団避難を含めた二次避難所へのご利用がすすんできているよう。仮設住宅のことも具体的に議論されてきている。支援の局面も変わりつつあるのかもしれない。
従前より、何人もの方から、被災地への支援物資を直接届けたいとの希望をお聞きしていた。これまでは、まずは、県や金沢市が設けている引き受け所へ届けることをお勧めしてきた。
この局面に至り、そろそろいいかなと思い、以前から相談されていた経営者にその旨お伝えする。仕事上の協力会社にも声をかけてくださり、大量の支援物資、さらには、相当な額の義援金も準備される。受け入れ自治体は、もっとも被害の大きいと報道されている輪島市とおっしゃってくださる。
輪島市側への調整は、私がさせていただく。そんなこともあり、この日の早朝、一緒に能登へ向かう。
まずは、事前にお聞きしていた支援物資の受け入れ場所にお持ちする。少々大きなトラックということもあり、普段は大きな荷物の搬入口へ。輪島市職員や自衛隊の方たちが搬入のお手伝いをしていただく。
物資の量も相当なものでもありいささか時間もかかる。単調な作業なので言葉を交わしながら。そのうちのお一人の隊員が、あのう、もしかして、金沢市長さんですか?はい、そうです、もうやめたけど。いやあ、さっきから似ているなあと思ってました・・・。似てるんでなくて、本人ですよ。まあ、そんな他愛のない会話が寒さと単調な疲れとをいやしてくれる。
その後、輪島市役所庁舎へお伺いをし、坂口市長さんに義援金もお渡しさせていただく。厳しい状況ではあるが、いや、そんな時だからこそ、しっかりと前を向いて取り組んでおられる、そんな想いが伝わってきた。立派なリーダー。
夜、金沢に戻り、打ち上げ。金沢が元気でなければ、能登を支援できませんよ、金沢で経済を回しましょう。二次会も。次回は、能登でやりましょう。まずは、羽咋市か中能登町あたりで。その次は、輪島市で。となりました。