三連休二日目の午前中は、開田高原の旧飛騨街道を19kmのウォーク&ランで回りました。
距離も暑さもまだまだいける程度でしたが、どうも意志と体の動きがかみ合わない。観光案内所に行ったら係の人が電話していて「今日は開田でも32℃ですよ~」と話していたので、そうだったのかと思った。
とにかく午後は車のエアコンで涼みながら、見たい所を訪ねていきます。
御嶽山に夏雲が沸き上がる。
開田高原の小さな集落風景。開田高原といえば昔は中央アルプスのガイドブックの端っこに出ている程度のもので、そこへ行ってみたいなんていうものではなかった。昭和の時代のアルパインガイドである。
馬橋の石仏
開田高原末川の国道361が髭沢川を渡る所、橋の東詰の北側路傍にある。
向かって右は一石三十三観音で、左は十一面観音と不動明王などのようだ。
一石三十三観音は上段から、5+7+8+7+6という不規則な並び方をしている。
比較的風化をまぬがれてはいるが、個々の観音像には際立った特徴はなかった。
開田高原の膨大な数の馬頭観音の中では、貴重な存在だと思う。
鱒渕の馬頭観音群
馬橋のT字路から髭沢川右岸の道を下ると、末川本流に突き当たるので右折する。小さな集落はずれの橋の手前右手にある。
様々な形の馬頭観音があるが、素朴な味わいのある原型をとどめている。
嘉永の文字も読み取れる。いろんな時代に造立が積み重ねられてきたのだろう。
大橋観音堂と石仏群
今度は末川本流右岸沿いの道を上流へ進む。対岸に角塚里集落を見てまもなく右手の橋を渡った所にある。平成24年に改築された立派な観音堂と、その周囲に石仏群があった。
堂内を見てまず息を飲む。観音石仏が整然と並んでいて、強い印象を放っていた。
やや黒味がちな石で統一されて、保存状態も良いようだ。紀年銘はないが、左手の如意輪観音の台座には文化12年とある。
光背にはうっすらと札所番号のみが刻まれていた。
ほぼ同一石工という状況でこれだけ彫り上げたのだろうか。
観音堂の周囲には双体道祖神もあった。安曇野の美を彷彿とさせる一体。
優し気な馬頭観音。
瑞松寺
大橋観音堂の北900mほどの恩木集落の奥に建つ寺院。今回の旅の中で寺院を訪ねるのは唯一ここだけだった。この地域はやはり路傍・お堂・神社に尽きる。
ここは少し趣が違っていて、延命地蔵菩薩像がある。一目見ればわかる人にはわかるように、高遠石工守屋貞治の作である。文化8年。貞治仏の中でも稀に見る名作、と解説板には書いてある。開田高原という場所にあると、複雑な気持ちで見ざるをえない。
丸山馬頭観音
瑞松寺から集落道を北へ400m、坂道を登ると右手にブルーベリー園で左手に丘がある。
山道を少々登ると頭上に観音堂が現れた。
ぱっと見には馬頭観音とは思えない石仏が祀られていた。
その周囲にも馬頭観音がたくさん。三面や、
三宝馬など。
あどけない表情。
白い馬。
にっこりほほ笑んでいる。
中腹の小堂には鉄製の実物大の馬が奉納されていた。前掛けも馬模様だった。
製作にはたいへんなお金がかかったはずで、西野の原家の奉納かと思ったりもする。
さて開田郷土館のあたりが開田高原の中心地のようである。
観光案内所に立ち寄って郷土館を見て、昼食に蕎麦を食べてガソリンを入れて県道20へ戻って南へ向かった。せっかく来たので西野川下流の床並・永井野・野中にあるという石仏を訪ねてみた。見つからなかったりするし、特筆することもない。
北へ戻って開田高原キャンプ場へ向かう途中の、池の越にも石仏群があった。
馬頭観音とは言い切れないほどの淡い姿になっていた。
今宵は開田高原キャンプ場。32℃の余熱がいつまでもただよっていました。
三日目へ続く