佛説摩訶般若波羅密多心経と書かれた石の円形の門をくぐって入るのが、蓮華院誕生寺奥之院というところ。皇円上人をご本尊とする、熊本にある真言律宗のお寺です。この方は法然上人の師匠だそうです。

 

 

 

 ここの鐘は世界最大級の大きさだそうで、毎日正午少し前から住職による梵鐘祈願が行われ、鐘が撞かれます。般若心経を唱えながらお祓いをしてくれます。

 

 参拝客から6人が参加して力いっぱい鐘を撞くと、ゴーンという重厚な大きな音が響きますが、驚いたことに鐘そのものはピクリとも揺れないように見えました。それだけ重いのね。

 

 

 

 その向こうにあるのが仁王門と五重塔。こんなに大きな五重塔は見たことがありません。実際、日本最大で、高さは日本三位だそうです。また、日本初の登れる五重塔だとか。

 

 

 

 仁王門の窓の向こうに、なにやら顔のようなものが見えます。

 

 

 

 風神、雷神に睨まれながら門の向こうを覗うと、遠くの山の上に白いものが見えました。

 

 

 

 はるかかなたに杉林に挟まれるように大仏さまが座っていましたが、残念ながら時間がなくて近くまでは行けませんでした。

 

 

 

 その代わり五重塔に登りましたよ。最上階の回廊からさきほどの鐘楼堂が小さく見えます。この五重塔の一階がこのお寺の本堂になっています。

 

 

 

 次に、同じく熊本県にある鞠智城というところに行きました。古代山城のひとつで、7世紀後半に築かれたものを発掘調査を経て一部復元したもの。

 

 左が米倉で、右が八角形鼓楼というシンボル的な建物ですが、実際にどのように使われたかは定かではないんだそうです。

 

 百済と友好関係にあった大和朝廷は、百済が唐・新羅の連合軍に敗れると、復興のための援軍を朝鮮半島に送りましたが、白村江の戦いに敗れ、百済から亡命する人を伴って帰国しました。

 

 そして、大和朝廷は唐・新羅の侵攻に備えるため、北部九州から瀬戸内海沿岸、近畿地方にかけての各地に山城を築き防衛力強化を図りました。

 

 以前、その古代山城のひとつ、岡山の鬼ノ城に行ったことがあります。(↓)

 

 

 

 

 これは兵舎。

 

 

 

 これは板倉という武器庫。

発掘調査で72棟もの建物跡が見つかっているそうです。

 

 

 

 防人とその家族のモニュメント。

どこまで復元できているかはわかりませんが、各地の古代山城を見て歩くのも面白そうですね。

 

 

 

 これは鞠智城とは全然関係ありませが、ユニークな建物だったので写真を撮りました。道の駅小国です。ガラス張りで外の景色が反射して、外からは中は見えません。

 

 

 

 内部は杉の木で組まれていました。

中から外はよく見える。