菜根譚 前集 四六 


    平等の世界に生きる  


いかなる人にも広大な慈悲の心がある。

 菩薩の化身と言われている維摩居士にも、牛馬の屠殺を仕事にする者も犯罪者の首切り死刑執行人も、皆等しく慈悲の心がある。

 どんな場所にも、一種まことの趣はある。富貴の人の住む立派な家にも、貧賎の人の住む粗末な家にも、それぞれの家には住めば都の味わいがある。

 それなのに、人間は貧富貴賤を殊更に言い、人々は、あえていつも人を区別している。   欲望や感情が清らかな心を覆いい、本当の気持ちが隠れてしまっている。

 ほんの僅かな差別が、千里先には、大きな違いとなってしまう。  

        

一. 1.     階級の無い世界、貧富の無い世界、軽蔑の無い世界、平等な世界の実現を説く。
  人間の根底にある心は、平等精神である。これを壊しているのは、利己心や欲望、不安定な感情である。

2、 維摩居士(ゆいまこじ)「維摩の沈黙」

釈尊の弟子。般若心経の空の思想を受け継ぐ。空は、捉われを捨てることである。

「絶対平等の境地」

   入不ニ法門を説く

「絶対平等の境地は、言葉もなく、説くことも、示すことも、認知することもできない境地である。」

 この考えに疑問を投げかけた文殊菩薩に対し、維摩は、黙然として語らず。

 言葉によって真理を説くことは、たとえそれがどのように巧妙なものであっても、単なる一つの説明に過ぎず、あらゆる対立を超えた絶対平等の境地を偏向なく示し得ないとした。維摩の沈黙は、こうしたことを見事に語っている


3、 カースト制度平等を説いた維摩、そ師匠の仏陀がいたインドは、差別の国となった。

バラモン「司祭など神聖な職に付ける」、クシャトリア「王族戦士」、

バイシャ「商人市民」、

スードラ「農牧従事者、大衆」

という厳格な階級社会となっている。


この階級制度は、アーリア人の侵略に始まる。北方から攻めて行ったアーリア人は、ドラビダ人ら原住民を征服した。

 生活圏が共通化すると、アーリア人は、感染症に罹患して行った。風土病に免疫のある原住民とないアーリア人は、結局隔離政策、婚姻禁止戦略を取らざるを得なかった。それが差別、階級社会の起源となっている。

  現在は、国連反人種主義差別撤廃世界会議 の議題となっている。


4、 平等「人種、信条、性別、門地、社会的身分」などの違いに関わり無く個人相互の間において、人間としての価値に差異はないという思想。
   憲法一〇条

機会の平等、価値の平等、結果の平等を保証する社会が善とされている。

一票の格差は人間の価値平等


5、 富の偏在、貧富の差、

1、絶対的貧困(一人当たり年370ドル以下)

 世銀が所得栄養健康、教育的見地から算定した収入。 


  2、相対的貧困、等価可処分所得の中央値   の半分に満たない層。 

    日本の2007国民生活基礎調査の

   中央値254万円の半分127万円以下の層。


  3、ジニ係数、0から1まで係数の値が大きいほどその集団における格差が大きい状態という。

   0である状態は、ローレンツ曲線が均等配分線に一致するような状態であり、各人の所得が均一で格差が全く無い状態を表す

   日本幸い、絶対的貧困層はいない。

  ジニ係数は、ほぼ横ばい。相対的貧困線は、ここ10年低下傾向にある。

   野党はそれをとらえて、実質賃金の低下とともに、日本は、貧困が進んでいると政府の無策を非難する。  


六、だが「菜根食めば人生危うからず

  安い野菜のしかも捨てる根を食べて生きて  ゆく覚悟は大事である。 


  贅沢を排除して、質素に生きる。

  貧富貴賤に関わらぬ、平等意識。


  そんな生き方に憧れる。