あなたが温かい食べ物を最後に食べたのはいつ?

あなたが最後に布団で眠ったのはいつ?

冬の真っ只中、自分の部屋もなく、

食べ物もない状況に放り出された人々の声を年末の三日間、直に聞いた。


年越し派遣村や貧困問題などにも関わり、

安保国会でイラク問題質疑にも力を貸してくれた、

作家の雨宮かりんさんが、水先案内人として、

板橋、池袋、横浜寿町、渋谷、山谷の

越冬現場にアテンドしてくれた。



12月30日、炊き出しで出会ったAさん。


僕と同世代、人の良さが顔ににじみ出る男性。


地方で非正規労働者として暮らしていたが、解雇され、

都会なら仕事があるのでは?と上京。

仕事は見つからず、所持金も尽きた。

その日から路上生活を始めて1ヶ月。


日に日に寒さが厳しくなる頃から始めた路上生活は、

どんなに心細く、絶望的な毎日だっただろう。


Aさんの新居は公園。寝床はベンチ。

テントや寝袋はもちろん、布団、毛布もない。

公園のベンチにただ、タオルを敷き、

持っている服を厚着して眠っていたと言う。

といっても、余りの寒さに眠れるはずもなく、夜の間は歩き続け、

太陽があるうちに眠る生活。

凍死せず、生き続ける為の方法だ。

ホームレスについて、昼間からダラダラ寝やがって、

などの意見も聞かれるが、昼間にしか寝れない理由があるのだ。

炊き出しで雑炊を三回、おかわりしたと言うAさん。

Aさんの一ヶ月ぶりのマトモな食事は、この日の炊き出しだった。

所持金が底を尽き、サバイバルの知識もない。

落ちているお菓子を拾い食いしながら一ヶ月、過ごしたと言う。


生活保護の申請など、

その他手続きをするには役所に行く必要がある。

しかし、今年は一月四日にならなければ役場は開かない。

その間に、凍死や餓死を防ぐ為にも、

それぞれの地域の支援団体や支援者が、

炊き出しや寝床、医療相談や生活相談なども提供しながら、バックアップする。

それだけでなく

夜回りをしながら、食事を配り、必要な人には宿泊所を提供する。

時には、医師が同行する場合も。

既にインフルエンザや動脈瘤など重篤な状態で保護される人もいると言う。


まさに「越冬闘争」


なぜこの様な状況におかれた人々が存在するのか。


あまりに安い賃金と長すぎる労働時間。

この労働問題と合わせて住宅問題が大きな原因である。

それによるしわ寄せは、

自分の部屋を持てない人々をコンスタントに生み出している。


月十万円程度の非正規労働で、

どうやって部屋を借りる為の敷金・礼金を作れるだろうか?

たとえ、敷金・礼金分の蓄えがあったとしても、

ただでさえ安くない家賃に食費、光熱費、通信費などを支払えば、

新たに貯金するお金など残らない。


貯金ゼロ世帯31%。

これが我が国の実態。

仕事で首を切られたり、病気にでもなってしまえば、

その生活は呆気なく、一瞬で崩壊する。

自分で部屋を確保できない人は、

友達の家、二十四時間営業の飲食店、ネットカフェなどを転々としながら生きる、

広義のホームレスにならざるを得ない。



自分の部屋を持ってない状況で、

年末年始の仕事にありつけず、役所は閉まっている為、

生活相談や、医療も受けられない。


現在の所持金では、役所が開く1月4日まで、

ネットカフェにも泊まれない。


年末年始に帰省する友人の家も追い出され、頼れる人もいない。


路上以外、どこに行けばいい?

現在、ガッツリ路上生活を営んでます、と言う方々の数は減っていて、

見た目に判りづらい、発見しづらい状態の「広義のホームレス」が、

増えている、と支援者は言う。


この日の炊き出しは、

池袋にある小さな公園で、ひっそりと行なわれていた。

現場に到着しても、どこでやっているのか、

すぐ発見できなかったくらいだ。



地元の町内会や商店会と折り合いを付けながら毎年、

開催している為、極力迷惑が掛からないようにとの、

支援者の配慮のもと、粛々と行なわれていた。


よくここにたどり着けましたね、とAさんに聞くと、


「人づてに聞いた」、と。

携帯電話は料金が払えず、止まっていたので、

ネットとの繋がりも断たれていた。


現場支援者である「てのはし」 は、

ふとんで年越しプロジェクト」 を通じ、

役所が開く一月四日まで、Aさんに対し、

食事と寝床を提供するシェルター(宿泊施設)「つくろい東京ファンド」 に案内した。



2DK、一部屋6畳づつ、

プライバシーの保たれたアパートの部屋に通されたAさんは、

「ここは天国ですね」とつぶやいた。

一寸先も判らない、冬の路上から解放された瞬間、思わず出た言葉だったのだろう。

もし、「力になりますよ」と近づいて来た者が、

貧困ビジネス目的であれば、生活保護に繋いだあと、

タコ部屋に押し込まれ、食事は毎食カップラーメン、

その上、保護費をむしり取られる、そんな恐れもある。

そんな事例が増加している。


所持金ゼロ、住所不定、唯一の連絡先、携帯も止まっている。

その様な状況で、仕事にありつけるだろうか?



生活を立て直す事は出来るだろうか?


自分の住まいを確保する事は可能だろうか?


路上と施設を行ったり来たり。

その先には、生きる事をやめる選択肢しか、

残らないのではないだろうか?


奇跡的な巡り合わせで、

良心の塊の様な支援者、支援団体に救われたAさんは、

本当に幸運だった。


年末年始のこの時期に、生活困窮者に手を差し伸べる、

公的な施設はほぼ存在しない、といって良い。


国がほったらかしにしている部分を、


民間が自腹や寄付で行なう。


非公式に行政と民間が繋がり、行き先のない、保護を希望する人を行政側からの連絡で、民間が保護。

一人でも多く命を救う気概で動いてる支援者たちは、

断る事はしないだろう。


けど、こんなシステムおかしくないか?


このようなホームレス対策と呼ばれるものは、


リーマンショック以降、基本的に100%国庫負担だった。

しかし、2015年春から施行された、


生活困窮者自立支援法の予算措置で、

国が三分の二、自治体が三分の一、負担となった。


優先順位が低い、と判断されれば、予算も多く付かない。


結果、積極的な取り組みは行なわれない。


24時間対応など、コストが掛かるサービスは提供されない。


しかも、一時生活支援事業は任意事業の為、


「やる・やらない」は、各自治体の判断。


運用は各自治体まかせなので、地域ごとにバラツキが生まれる。


規模を拡大すれば、他地域から人が流入する、など懸念されれば、


「最低限でいいのではないか?」「やらなくていいだろう」

と消極的になるのも当然だ。


何も生み出さない、コスト、と決めつけられた存在に対し、

ギリギリの予算措置で提供される宿泊施設は、

決して心休まる事のない環境だろうと、容易に想像できる。


炊き出しでお話をした当事者の方は、

それらの多くは劣悪な環境で、

大部屋でプライバシーはない。


そうでなかったとしても、薄い板一枚の間仕切りで仕切られた、

非人間的なスペースに身体を横にするだけ。まるで、収容所。


それに加え、そこでの人間関係や揉め事などで、

疲れてしまう位なら路上でいい、と語った。



我が国では住まいの確保よりも、

職業訓練や就労支援などを優先するという考え方が根強く、

それが制度の中心に存在している。


住まいが確保されぬまま、

仕事を得たとしても同じ事の繰り返しになる可能性が高い。


生活困窮者の最終目標が、「自分の住まいを持つ事」

に設定されてしまえば、いつまで経っても、不安定な状態が長引き、

その目標が達成されにくい。


最優先すべきは、「住まいの確保」

欧米での支援の主流は、ハウジングファースト。

まずは住まいを確保する事から始める。


すると、その後の回復する時間(生活再建に向けて)が、

圧倒的に早いと言われている。


我が国は、少なくとも、行政が低所得の若者、高齢者、障がい者に対して、

早急に住宅支援をする必要がある。


これは、ホームレス支援、と言う部分のみに有効と言う訳ではない。


実際、ヨーロッパでは、少子化対策、持続可能な社会作りの為に、

若者に対する住宅支援や、所得保障などで、出生率を上げ、

それを国家戦略の1つとして行う国々が存在し成果を上げている。


内閣質疑・住宅研究・欧州調査の資料




最低賃金引き上げ、教育への負担軽減にならび、住宅問題は、

少子化対策の一丁目一番地でもあるのだが、

それらのホトンドが実施されていない。

どころか、必要とも思っていないようだ。


以前、内閣委員会での質疑で、菅官房長官にこれを問うた時、
「自助・自立」との答弁を頂戴した。

つまり、自己責任で生きろ、と言う事。



★内閣質疑 動画★
官房長官発言部分


フルVer




「持続可能な社会作り」は、国家のメインテーマでなく、

戦略としても存在していない。


その現実逃避に近い無策さにショックを受けた。


一億総活躍、とのたまうなら、少なくとも最低限、

活躍出来る土台作りは国の責務ではないか?


6人に1人が貧困、と言う我が国で、

この国に生きる人々の60%以上が生活が苦しい(平成26年厚生労働省「国民生活基礎調査」) 、


と感じている事を放置して、一億総活躍など、何の意味も無い言葉。


生きているだけで精一杯が大勢の世の中で、

生きる希望も閉ざされた人々が大勢いる中で、この先の超高齢化社会を、

どう支えるつもりだろうか?

社会保障の切り捨てが加速している現在、介護や医療を受けられるのは、

先々、ある程度の財力がある人に絞られても不思議ではない。


切り捨ての未来しか想像できない国に希望も活力も生まれるはずはない。


少子化対策など、先送りにし続けた問題にフォーカスするどころか、

堂々と自己責任論に転嫁する無責任さ。



頑張らないなら、生産性がないなら、生きてる価値はない、

って社会に政治主導で進んでる。

「そんなのあたりまえじゃね?」

そう思うあなたに聞きたい。


これまであなたは何を生み出して、どの様に人様のお役にたって、

どれ位、国に貢献した?

その価値をどれ位の人々が認めている?

それ以外で、あなた自身が、自分は生きていても良いとした根拠は?



こんな馬鹿な質問には答えなくていい。

あなたは、存在するだけで価値がある。

この国を支え合い、社会を構成する重要な存在だ。


それを認めているのが憲法だ。

どんな人でも、人としての尊厳を失わず、

健康で文化的な最低限度の生活を憲法でも保障されている。

それを反故にして、切り捨てを続けているのが最大の問題。


本人の努力でのみ生活を改善するには限界がある。


状況が悪くならないうちに、助けの手を差し伸べられる、

制度が必要なはず。


それを考えないならば、政治が存在する理由や、

税金を払う意味はない。


支え合いの社会の為に税金は支払われ、それを采配する為に、

政治が存在しているのだから。


今と同じ様な生活が、この先も続くと言う前提は、

誰にとっても現実味がない。

それは、ただの願望・妄想の域ではないだろうか?


国は、弱い立場の人々に対しての切り捨てを加速させている。

第二次安倍政権以降の制度の変更だけを見ても、

それはハッキリしている。

政治は、あなたというコストを削減する為の施策に頭を巡らせている。


あなたが現在、数億円もの資産を持ち、

それらを海外に逃がす位の事が既に出来ているなら、

関係のない話かも知れない。


支援の現場に行って、

当事者の方々と話をする度に何人からも頂戴した言葉がある。


「安倍政権を倒してくれ」


不安定な生活で事実上選挙権をも奪われた人々が、安倍政権による、

社会保障の切り捨てや、この国に生きる人々を守る最後の防波堤である憲法の改悪に

怒りを感じている。


1%の人々の為の施策に汗を流す政治に抗う為に、

99%の人々の力を結集させるのが、今。


越冬闘争の現場で、決意を新たにした。


現政権よりも心ある政治集団に政権を交代させ、

有権者が政治家をコントロールし続ける。


行政がしっかりと人々の暮らしをフォローする体制を、

あなたも一緒に作っていく気概を持って欲しい。


でなければ、この国に生きる99%の人々にとって、

過酷な寒さと絶望に震える日は近いのかも知れない。




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