2017-03-15 11:16:01

物語・ストーリーを考えたい高校生のための春休みストーリー創作講座

テーマ:イージー・ゴーイング

 

 

東北芸術工科大学の文芸学科では、物語・ストーリーを考えたい高校生のための「春休みストーリー創作講座」を開催します。講師はぼくと石川忠司と玉井建也、文芸学科の教員3人が担当します。興味がある人、来てね!

 

開催日時 2017年3月25日(土)10:00~15:10
参加費  無料(学食ランチ・チケットをプレゼント)
応募条件 本や漫画を読んだり映画やアニメを観たりするのが好き、物語を空想することが好きな高校生
会場 東北芸術工科大学(〒990-9530 山形市上桜田3-4-5)
持ち物 筆記用具、メモをとるノート

 

詳細は大学のサイト

 

 

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2017-03-10 14:15:35

お坊さんに聞く108の智慧

テーマ:イージー・ゴーイング


藝術学舎から、『お坊さんに聞く108の智慧』(田中ひろみ)という本を出版します。発売日は3月15日で、Amazonなどのネット書店では17日頃から発送開始。今は予約を受付けています。その見本が1冊、ぼくの手元にあります。藝術学舎というのは東北芸術工科大学と京都造形芸術大学の出版局で、ぼくはそこの編集長なので。

 

著者の田中ひろみさんは仏像イラストレーターの方で、仏像に関する著書がたくさんありますが、「いろんなことを相談される機会が増え」、ところが「答えに困る場合」がある、と。そこで、5人のお坊さんにさまざまなことを相談するこの本が生まれたというわけです。

うーん、実によくわかります。ぼくも作家で大学の教員で、いろいろな人にいろいろなことを相談されるケースが多いのです。本書で読者の方がお坊さんに相談しているのと同じ内容の質問を受けたことも二度や三度ではない。そしてほとんどの場合は田中ひろみさんが書いているように「答えに困る」わけです。

たとえばこんな相談事です。

 

・ずっとフリーターでいたい。
・好きなことを仕事にしたい。
・会社をやめたい。
・同性との交際を親に隠している。
・前の彼女を忘れられない。
・生きている意味がわからない。
・DVを受けて育った。
・悲しいニュースばかり。

 

こうした相談事が108並んでいるのが本書で、お坊さん達の答えはどれも素晴らしいです。5人のお坊さんのアドバイスは驚くほど的確で、しかもよく読むと深いです。仏教知がその根底にあるからでしょう。

 

もともと仏教というのは、「難解なことを簡単に伝える」ことを重要視していて、「火事の起きている家にいる時は一刻も早く逃げることが大切なのであり、なぜ火事が起きたのかとか炎の本質とは何かなんてことは後で考えればいい」というお釈迦様の哲学に基づいています。

 

この『お坊さんに聞く108の智慧』は、まさに火事が起きている家から一刻も早く逃げ出すための1冊なのです。

ぼくはゲラや見本で何度かこの本を読みましたが、これからは「悩み解決」のための辞書のように使わせてもらおうと思っています。皆さんも。是非どうぞ。

 

田中ひろみさん、ありがとうございました!

 

PS 発売は幻冬舎です。

 

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2017-03-02 14:45:11

東北芸術工科大学文芸学科、卒業生の皆さんへ

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人は十九歳の時にそのピークに達する──卒業おめでとう! 

山川健一(文芸学科教授)


 人は十九歳の時にそのピークに達するのだ、とぼくは思う。ここで言う十九歳というのは、もちろん一つの象徴である。仕事の成果そのものはともかくとして、内面的には、人は十九歳にして既にピークに到達してしまうのだ。

 その後の彼のプログラムは、無意識裡にではあるかもしれないが、十九歳の時に組み立てが完了してしまう。今なら、はっきりそう言える。年齢を重ねていくにつれて、「あの時の俺の決意は本物だったんだ」ということを他の誰でもない自分自身に証明するために、ぼくらは目も眩むような時間を費やすことなる。

 

 

 十九歳の時、高校時代にメチャクチャやっていたぼくは大学入試に失敗し、おまけに父親と喧嘩し、殴りとばされ、「おまえなんかもう息子でもなんでもない」と家を追い出されてしまった。

 三畳一間のアパートを西武新宿線の田無に借りて、アルバイト生活が始まった。そのアパートには浪人暮らしの若い男たちだけが住んでおり、古雑誌置き場にはポルノが山積みにされ、南沙織のポスターがそこいら中に貼られ、共同の流しは詰まり、狭い庭にはBVDのパンツがずらりと並んで干されていた。ひどいものだ。

 夕方になると、ぼくは後楽園球場へ出かけた。前の日誰が着たかわからない水色の上下の、ちょっとダブダブのユニフォームを着こみ、帽子をかぶり、弁当かコーラを売って歩くのである。

 あの頃、ぼくは内面的には自分自身のピークを迎えていたのだと思う。あの頃の風景の見え方、ブルースの聞こえ方、生々しい女たちの肉体、一万円札の価値といったものを、ぼくは今でもはっきり思い出すことができる。そうした、後で考えればじつに現実的な、しかし当時のぼくにとっては非現実的で抽象的な日常生活の中で、風景はとてもクリアに見えた。なにしろ、回りはみな敵ばかりなのである。世の中で、敵の姿ほどはっきり見えるものはない。アイツもアイツもアイツも敵。というわけでよく喧嘩した。殴り、殴られて帰ってきた。

 それは、まさしく生のピークであった。しかし、それを展開するための方法論がまったくなかった。

 ぼくは安易だった。自分の位置さえをも明確には認識し得ないくせに、いろいろなものに「NO!」という否定の一語を発していた。たとえば、学校というもののシステムに。さらに社会というもののシステムに。あるいは周囲の友人や知人たちに。何が「正義」なのか、何だったら信じるに価するのかということが判然としない時には、とりあえず自分以外の全てを否定してみるしかないではないか。

 当時のぼくは、さまざまなロックのレコードを聴きながら、あるいはコンサートに行きながら、自分はとりあえずここにいるだけなのだと思っていた。自分はとりあえずここに間借りしているが、いつか出て行くのだ、と。ロック・ミュージックというのは、もともとそういう音楽だ。ロックは本来、いつかここを出て行く人間のための音楽なのではないだろうか。

 ジャズなんて下らないさ、クラシックになんか感動はないよ、学校や家なんか放り出して、社会のステップをのぼって行くことなんかやめて、踊りに行こうぜ、というのがロックンロール・ミュージックの基本的な主張である。ロックは、周囲のあらゆるものに「NO!」を言いつづけた音楽なのである。

 そして、ここが何よりも重要なところなのだが、こうしたロックという音楽は、錯誤すらもが輝いていると感じている人間を、あたかも宗教がそれを信じている人間をそうするように、許したのである。そういう意味では、ロック・ミュージックとはたしかにドラッグなのであり、宗教なのだ。

 時に、ロックのビートを肉体に叩き込むように詩や小説を読んだ。アルチュール・ランボー、フェルディナン・セリーヌ、ボリス・ヴィアン、ヘンリー・ミラー、ジャン・ルネ・ユグナン、アンリ・ミショー、そしてドストエフスキーといった人たちである。日本の作家でも、横光利一、木山捷平、太宰治といった人たちの感性はブリティッシュ・ロックのそれにとても近いような気がした。

 

 

 だが、文学作品は、音楽などよりはるかに正確ではっきりした自分自身の像をその中に見い出すことはできても、決して自分が許されていると感じさせてくれはしなかった。ロックが宗教のように許す、安易で中途半端で錯誤にみちたこの〈私〉という存在について「もっと深く考えよ」と言葉たちは囁くだけだ。だからぼくは、小説というものを書くようになってからも、いや小説というものを書くようになってからはなお一層と言うべきか、ロックのビートにのめりこんでいった。

 ただ逃げていたのだ、最終的な判断を留保していたのだ、とは思いたくない。ぼくは、その時もまだ「NO!」と言いたかったのだ。文学シーンが自分の場所だとは思いたくなかった。デビッド・ボウイの「ロジャー(間借り人)」という歌などを新しいアルバムの中で聴いた時などに、思ったものだ。われわれはみな時間と空間の間借り人なのだ、われわれはいつか大家にサヨナラを言って出ていかなければならないのだ、と。そんな具合にあらゆるものに「NO!」という言葉をつきつけるロック・ミュージックは、〈私〉という不確かな存在にだけは「YES!」と言ってくれるような気がしたのである。

 

 

 ぼくはひたすら文学書を乱読し、ブルースやロックのレコードを聴き、そうした時に頭をかすめる印象のフラグメントをノートに書きつけていた。それはあたかも、自分自身がヒーローの長い映画を観ているようなものだった。この瞬間を逃したら後でたいへん悔しい思いをするにちがいない、と思うと、いつもノートに向かった。やがて、そんな時代の卒業制作として書いた小説で、作家デビューすることになる。大学四年生の時のことだ。

 十代後半から二十三歳でデビューするまでの数年間、自分自身の内なるヴォルテージはピークだったはずである。ただその頃に戻りたいかといえば、答えは「NO!」である。あんなことはもうたくさんだ。では、十九歳のマインドを時の向こうへおいてきてしまったかといえば、それもやはり答えは「NO!」だ。本当は、何をやるにしても、十九歳の時のマインドをいかに持続するかということが最大の課題なのだ。そのためにこそしたたかになる。セコくもなる。今はそう思っている。

 ミック・ジャガーもボブ・ディランも中原中也も小林秀雄も太宰治も谷崎潤一郎も、セリーヌもヴィアンもミラーもユグナンも、そしてあのドストエフスキーも、みんな十九歳だったことがある。彼も彼女も、そしてこのぼくも、かつては十九歳だった。それは、なんて素晴らしいことなのだろうか。

 

 

 いかがわしく、それでいながらイノセントで、臆病なくせにいつも戦闘的なわんぱく小僧。彼は、もちろん、もう子供ではない。充分にワルでしたたかでセコい眼をしながら、同時にピュアなマインドもどこかに持っている輝かしい存在。それが、彼なのだ。わんぱく小僧はその時、既に人生のピークに達しているのである。彼は、今こそ、トップに立っている。

 十九歳は、ゆっくりと、ぼくらの目の前を通り過ぎていった。少しずつ、ピリオドが近づいてくる。だが、いい。やがてどこかで迎えるその瞬間に、ぼくらはあの眩しい光のただ中へ戻ってゆくだろう。

 皆さんが書き終えた卒業制作は、十九歳のマインドの確かな刻印なのである。人は、自分自身の幻の十九歳へ向けて、少しずつ時間を使い果たしていくのだ。皆さんは今書き終えたばかりのその卒業制作に向かって、ゆっくりと成長していくにちがいない。

 その作品が存在するのとしないのとでは、人生の意味が大きく異なってくる。だからこそぼくは敬意の気持ちを込めて「おめでとう!」と言いたいのである。

 

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2017-02-04 17:56:58

楠章子さんの新刊、「ばあばは、だいじょうぶ」が朝日新聞朝刊で紹介されました

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いま、楠章子さんに東北芸術工科大学文芸学科で集中講義をお願いしてます。その楠章子さんの新刊、「ばあばは、だいじょうぶ」という絵本が、昨日の朝日新聞朝刊で紹介されたんだよね。
 
 

学校から帰ったら、つばさは楽しかった事も、悲しかった事も、困った事も、何でもばあばに聞いてもらう。ばあばは、いつでも、「つばさは、だいじょうぶだよ」っていってくれる。そのばあばが、「わすれてしまう」病気になって……。

作者の楠章子さんが実際に15年以上の介護生活を送ることのなから紡がれた物語です。みなさん、是非ともお読みください。

 

新聞で紹介されたせいか、Amazonなどのネット書店では売り切れになってますが、すぐに入荷すると思うのでリンクを貼っておきます。

 

 
 
ついでにと言ってはなんだけど、楠さんは大人向けの普通の小説も書いていて、「電気ちゃん」というの作品は、ぼくがいちばん好きな小説です。
 
 
電気ちゃん 電気ちゃん
 
Amazon
 
こちらも、是非ともお読みください!
 

 

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2016-12-31 01:23:54

レオン・ラッセルを聴きながら終わっていく2016年

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今年もとうとう大晦日だね。
ぎりぎりまで仕事してますが、なんとか無事に年を越せそうです。
レオン・ラッセルに"Tight Rope"という曲がありますが、そんな感じ。"Tight Rope"は1972年にリリースされたレオン・ラッセル最大のヒット作『Carney』に収録されていたミディアムテンポの曲です。

 

 

俺はぴんと張られたワイヤーの上を歩いている
一方は氷に、もう一方は炎に繋がれているのさ
お前と俺とで演じるサーカス・ゲーム

 

俺はぴんと張られたワイヤーの上を歩いている
一方は憎しみに、もう一方は希望に繋がれているのさ
だけどお前の目に入るのは俺がかぶってるシルクハットだけ

 

俺の居場所はワイヤーの上にしかない
笑い種になるような失敗を重ねながら、俺は落ちていく
             レオン・ラッセル/"Tight Rope"


そのレオンも今年の11月13日、ナッシュビルの自宅にて死去しているのが発見された。74歳だった。淋しいね。

 

かつて丸三日間、東京でレオンと過ごしたことがあった。ぼくはTFMでロック番組のDJをやっていて、彼にインタビューし、ライヴを録音してオンエアしたのだった。キーボードの側面に"Harley Davidson"と書いてあった。アメリカのオートバイの名前ね。キーボードというオートバイにまたがり、世界を旅しながらライヴをこなしていたわけだね。

 

なんでそんなことをしたのか自分でもよくわからないのだが、ぼくはインタビューの途中で立ち上がってレオン・ラッセルの横へ行き、背中をバシバシ叩いた。そして耳元に口を寄せて言った。


「しっかりしてくれよ。だってあんたはレオン・ラッセルなんだぜ!」


彼は怒りもせず、無言のまま二、三度頷いた。あの時も彼は「ぴんと張られたワイヤーの上」を歩いている気分だったのかもね。その時にホテルでぼくにコーヒーをいれてくれた男がレオンのバンドのギターで、次の日にブルーノート東京で行われたライブに行ったら首からギターをぶら下げていて、「おまえギターだったの? 気がつかずにごめんね」と言うと「なんだかんだ言っても俺もレオン・ラッセルを愛してるんだよな」と言っていた。そんな感じでぼくらは仲良くなった。

 

昨日のことのように鮮やかに思い出す人生のシーンというのがあって、レオンとのこのシーンも、そんな貴重なシーンの一つです。

 

レオン・ラッセルの最大のヒット曲は"A Song For You"だろうが、そしてぼくもこのバラードを今も心から愛しているが、"Hummingbird"も好きだな。俺のハミングバードよ、飛び去らないでくれ……と歌うこのナンバーは、何と言うか、心を打つよね。

 

なんでレオン・ラッセルの話になってしまったのか自分でもよくわからないのだが、とにかくぼく自身はぴんと張られたワイヤーの上から落ちることもなく、今年も無事に過ごすことができました。

 

皆さん、感謝します。
よい年をお迎え下さい。

 

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2016-12-04 01:16:57

"Blue & Lonesome"はブルースと言うよりはストーンズだぜ!

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昨日渋谷で、2日の金曜日に発売されたばかりのローリング・ストーンズ11年振りのアルバム""Blue & Lonesomeを買ってきた。デラックス・エディションではなく、普通のバージョンのほうだ。

 

最初に聴いた時、下っ腹にズシリと来るビートに驚愕した。
まさに不意打ち。
何曲か聴いていくうちにボディブローがきいてきて、倒れそうな気分になった。"All Of Your Love"で、文字通りベッドに倒れ込んだ。

 

マジかよ?
なんでこんなにヘヴィなわけ?
ミック、ミック、なんでそんなにシャウトするわけ?
"I Can't Quit You Baby"なんてほとんど絶叫じゃん!
キース、あんたのリフは重量級だよ。ソロの"Crosseyed Heart"ではここまでじゃなかった気がするけど、やっぱりストーンズという装置があんた自身に蹴りを入れるのかい?

 

これがストーンズなんだよな。チャーリィのシャッフルの叩き方がクリアになった気がして、でもこれが1960年代のロンドンのブルースシーンのスタンダードだったんだろうなと思ったりして。

 

エリック・クラプトンが参加している2曲はさすがにソフィスティケートされていて聴きやすいが(この2曲があって良かったぜ!)、あとはピュア・ローリング・ストーンズだ。

 

若い人に「これがブルースってもんですか?」と聞かれたら、ぼくは一瞬返答に窮するだろうという気がする。

 

「いやいやいや、ブルースがみんなこんなにヘヴィで丸裸で牙を剥いているわけじゃないんだよね。これはさ、何と言ったらいいのかな、そうだ、ローリング・ストーンズなんだよ!」

 

昨年12月にロンドン西部にあるブリティッシュ・グローヴ・スタジオで、たった3日間で録音されたのがこのアルバムだ。この時代に、全曲オーバーダブなしだ。

 

いろいろ書きたいことはあるが、まあ、今夜はここでやめておこう。
1人で爆音で聴いていると、今がいつの時代でここがどこで、自分が誰なのかわからなくなってきそうだ。

 

"Blue & Lonesome"、最高です。
これから飲もうと思います。

2016-10-28 16:24:34

しまさん「LICKS」を語る

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山川健一の「LICKS」は、読んでみると抱腹絶倒なエッセイが並んでいるんだけど、なぜ彼がこのサイトを作ろうと思ったのかという記事が書かれているブログがあります。読んでみて下さい。

 

ELECTRIC BANANA BLOG
しまさんの独り言、なんてね。ハニー。

 

http://ameblo.jp/oboochang/entry-12205995914.html

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2016-10-28 15:17:05

不義理、ご容赦!

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実は書き下ろしの評伝をやっておりまして、先月今月とそれが追い込みで、ようやく脱稿しました。詳細については、決まり次第ここでお知らせします。

というわけで、他のことにまったく手が付けられず、ブログやTwitterも更新できず、大切な友人の皆様に不義理を重ねてしまいました。原稿が終わりシャバに帰ってくることができましたので、どうか見捨てることなく今後ともよろしくお願いします。

というわけで、いくつか取り急ぎ報告いたします。

 

■「山川健一LICKS 」登場!
旧い友人のしまさんという方から、「この度、健さんの全作品を網羅(することを目的にした)LICKSというページを作りました」というメールをいただきました。

 


LICKS

http://eleclub.kagennotuki.com/licks/licks.html
LICKSというのは「舌でなめる」というような意味で、これはもちろんローリング・ストーンズが2002年にリリースした2枚組ベスト・アルバム"Forty Licks"にちなんでいるのだと思われます。
しまさん、ありがとう。感謝! 感謝! 感謝!

 

■ズボンズ4年ぶりのフルアルバム!
友達のズボンズが4年ぶりのフルアルバム「Ice Cream & Dirt」をリリースしたよ。
http://natalie.mu/music/news/201733

 


相変わらず尖っていて、必聴だと思います。
ある日の深夜、大学の研究室で石川忠司教授とロックの話になり、ズボンズの話になった。ドン・マツオは親しい友達だよと言っても、信用しない。仕方ないから住所録のマツオ君の電話番号を見せてやるとひとつ溜め息をつき、こう言った。
「あんたは、こんなに偉い奴だったんだね!」
「ドン・マツオは偉いさ。俺は偉くないけどね」
ぼくはそう答えた。
でもドン・マツオからのメッセージでは、息子さんがぼくの本を読んでいたので「友達だよ」と言ったら尊敬されたんだそうです(笑)。石川忠司よ、それにドン・マツオの息子さん、俺達はほんとに親友なんだぜ!

 

■新人俳優の佐藤寛一郎君が映画デビュー
瀬々敬久監督最新作『菊とギロチン』で、新人俳優の佐藤寛一郎君がデビューします。アナーキストの役だそうです。この寛一郎君は、じつは佐藤浩市さんの息子さんで、ぼくもつき合いのある青年です。映画、楽しみだ!
http://news.aol.jp/2016/10/22/kikugiro/

 

 

他にもいろいろあるんだけど、おって報告していきます。
明日、明後日は、児童文学の作家の方々がやっている「季節風」の大会に参加します。

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2016-09-09 02:37:52

光と影の魔術師による『小川義文 自動車』

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友人の小川義文が写真集を刊行した。
タイトルは『小川義文 自動車』。

 

 

彼は本書の中で文章も書いているが、余計なことは一切書かず、必要なことだけを記述していくそのスタイルはあたかも自動車のエンジンのようである。

 

小川義文とぼくのつき合いは長い。
初期の頃、この男とは本気でつき合いたいなと思ったぼくは失礼な質問をした。

 

「たとえばリチャード・アベドンが撮影したミック・ジャガーの写真が壁に架けてあったとするよね。それを見た人はだいたい、あ、ミックの写真だって言うでしょう。アベドンの写真だってことは、その次だよね? 写真って、何?」

 

その時に小川義文は怒るかと思ったのだが、苦笑しただけであった。まあ見てなよ、そのうちに分かるよ──とでも言いたげであった。

 

長いつき合いで、この男が教えてくれた。写真とは紛れもなく光と影の芸術なのだということを。この1冊の写真集『小川義文 自動車』に収録されたすべてショットは、魔法みたいなものである。小川義文は光と影の魔術師なのだ。

 

ぼくと小川義文には何冊か共著の本がある。ぼくが文章を書き、彼が写真を撮るわけだ。だがある時、ぼくは彼に言った。

 

「これからは小川さんが文章も書きなよ。絶対にそのほうがいい。多くの人が徳大寺有恒の後継者は誰かって探してる。それは、実は、小川義文以外にはあり得ないんだよ」

 

 

それで彼は、『写真家の引き出し』を書いた。2008年のことだ。これをきっかけに、彼は文筆家にもなった。たいへんだったかもしれないが、だからこそ『小川義文 自動車』に辿り着くことが可能だったのだと思う。

 

この1冊の写真集には、小川義文のすべてが詰まっていると言っていいと思う。出版不況のこんな時代にこんな贅沢を共有させてくれるなんて、なんと素晴らしいことなのだろうか。『小川義文 自動車』に最大限の敬意と、そして、祝福を!

 

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2016-09-08 01:27:34

「越水利江子さん出版百冊記念祝賀会」での祝辞

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9月3日に京都の新都ホテルで、「越水利江子さん出版百冊記念祝賀会」が華やかに開催されました。ぼくもスピーチをしたのですが、その大意です。

 

この度はおめでとうございます。
越水利江子さんには、ぼくが学科長をつとめる東北芸術工科大学文芸学科の客員教授に就任していただき、数年の間、集中講義をお願いしていました。知り合ったきっかけは、2011年の震災と原発事故を巡り、ぼくが反原発ツイートをしていたのを越水さんが読んで下さったことでした。ごく自然に、昔で言う文通のようなことが始まりました。越水さんは母親らしいスタンスで長く原発に抗議されつづけており、頭が下がりました。

 

さっそく数冊の本をアマゾンで購入したのですが、最初に読んだ『風のラヴソング』は、はっきり言って泣きました。

 

 

 

 

京都まで、教員仲間(石川忠司)、バンドのギター(石澤ヨージ)、それから娘といっしょに越水さんに会いに来て、芸工大文芸学科の教員を引き受けてもらえないかお願いしたのですが、越水さんは「自分の作品にとって京都という土地は肉体である」ということで、無理だということでした。それでもあきらめきれなかったぼくらは、夏と冬の集中講義を客員教授という形でお引き受けいただきたいとお願いしたのです。夜、京都の街で飲んで、翌日このホテルの1階のカフェでまたお会いしたのですが、午前中だったのに越水さんはまたビールを飲んでました(笑)。

 

今は残念ながら退任されたのですが、ぼくの研究室には今も「越水利江子文庫」があり、学生達が自由に借りて読んでいいことになっています。4年生に勧められて『風のラヴソング』を読んだ1年生の、そのまだ19歳の女子学生がそれを返しに来ました。見たら目にうっすらと涙を浮かべ「子供を対象にした児童文学でもこんなに深いことが書けるんだなと驚きました。一生かかっても、私もこういう小説が書きたいです」と言うのです。文芸学科160数名に、今も越水利江子のDNAはリレーされていると言うべきでしょう。

 

学生だけではありません。教員であるぼくも多くのことを越水さんから学びました。いちばん大きなことは、丁寧に書き、丁寧に生きなければならないのだということです。ぼくと越水さんは同じ年代ですが、こちらは学生の時にデビューしたので、もう100数十冊の本が出ていると思います。しかし、正確に何冊の本を出したのか、どの本が100冊目だったのか、よくわかりません。この会場にいらっしゃるような心優しい友人達にも恵まれなかったので(笑)、こういうパーティを開いてもらうこともできませんでした。ぼく自身の粗雑な生き方の結果なのだと反省するばかりです。

 

今日、ぼくは東北芸術工科大学文芸学科の学生達と教員達を代表してこの会場にやって来ました。越水さん、またいつでも山形にいらして下さい。集中講義は無理でも、講演をお願いします。ぼくらは等しく、ラッセル車のようにエネルギッシュな、牡丹のように美しい、筍のような生命エネルギーに満ちたあなたを愛しています。そして次の本、次の次の本、さらにその次の本を心から楽しみに待っています。

 

※ラッセル車、牡丹、筍のたとえは、ぼくの前にスピーチされた方の表現で、それをお借りして話しました。

 

※この写真を撮ってくれたのは、小中高で2年後輩だった作家の寮美千子さんです。

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