ポプラ社小説大賞特別賞受賞作、伊吹有喜「風待ちのひと」に酔う

友人の奥さんである伊吹有喜さんが「風待ちのひと」で第三回ポプラ社小説大賞特別賞受賞し、この度それが出版された。さっき読み終えたところだ。とてもいい長編小説だった。新人とは思えぬ構成力、描写力に酔わされた。
きっと長く書きつづけてきた方なのだろう。
ぼくは残念ながらご本人にお会いしたことはないのだが、こんな経歴の方だ。
〈伊吹有喜〉1969年三重県生まれ。中央大学法学部卒業。2008年「風待ちのひと」(「夏の終わりのトラヴィアータ」改題)で第3回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞。
ちょっとストーリィを紹介する。
東大を出て海外の有名大学の大学院で学び、都内の銀行で働く哲司は、「心の風邪」で休職中である。
心の風邪というのは、鬱病のちょっと手前だということで、睡眠誘導剤を飲んでいる。
彼には大学時代に自分より優秀だった美しい女性と結婚し、中学受験を控えた娘が一人いるが、家庭崩壊の危機に直面している。
哲司の母親は既に亡くなっている。哲司は母親が一人暮らししていた紀伊半島の海辺の町にやって来て、休養を取るのと同時に、母の遺品やこの家そのものを処分しようとしている。著者は三重県の出身だけあり、この海辺の町の描写は秀逸である。中上健次さんが「枯木灘」などで描いた海よりずっと透明感があり繊細な──しかし、同時にとても怖くもある風景が描かれている。
そこで知り合うのが、喜美子である。
2人とも39歳で、この小説は大人のセカンドラブを描いているのだ。
喜美子は夫と息子を亡くし、今は理容師として生計を立てている。高校を中退した彼女は、自分のことを「オバチャン」と呼ぶ。自分は無知であり、哲司が愛するクラシック音楽のことなどわかりっこないのだ──と、決めつけている。
だが心の深い部分では、クラシック音楽を理解したいと痛切に願っているのだ。なぜかと言うと──というのは、ネタバレになるのでここでは触れない。
哲司は最初の頃は、この「オバチャン」をうざいと思っているのだが、少しずつ彼女の魅力の虜になっていく。この喜美子の存在感は圧倒的で、単行本の帯の推薦文で書評家の瀧井朝世さん も「福々しい笑顔を持つ喜美子が最高に魅力的」と書いている。
人生をやり直す。
再生する。
静かな希望を発見する。
この小説では、誰にだってそれは可能なのだ、ということが美しく描かれている。
ここで誰かがもう一度恋に落ちれば、すべてが輝き始めるのだ──といこうことを、この作家は教えてくれているのだ。