「はるかりん ─ 僕が彼女の彼女になるとき」(中川 はるか著) について | イージー・ゴーイング 山川健一
2006-06-20 05:39:32

「はるかりん ─ 僕が彼女の彼女になるとき」(中川 はるか著) について

テーマ:アメーバブックス編集長日記
 今日もまた、アメーバブックスの新刊のご案内です。

中川 はるか
はるかりんー僕が彼女の彼女になるとき

 amazon.co.joに掲載中の「出版社/著者からの内容紹介」
「幼馴染で同級生の彼女と高校生から付き合いはじめ、5年後、一大決心でプロポーズ!!
しかし…彼女から、レズビアンである事をカミングアウトされ放心状態。
「お願い…女の子になってほしぃの」と彼女の衝撃的な懇願に言葉を失う。
真剣に悩み苦しみ話し合った結果、性転換後に結婚する事になった。
肉体的、精神的にどの様な変化が現れるのか?不安だらけのなか、女性ホルモンの投与を開始する。
本書は、愛の成長日記、体の転換日記です。彼女好みの女の子になると本気で心に誓い、究極の愛を追求し、愛する人へ身も心も捧げる♂の恋愛ストーリーです」 (以上、本文より抜粋)


 これはアメブロで連載中の「性転換ドキュメンタリーBlog」を書籍化したものです。もともと人気ブログであり、「ブログの女王」というテレビ番組で取り上げられたこともあり、話題になっています。
 出版化は、最終的には編集会議において編集長であるぼくが決定しました。装置は特殊であっても、恋愛を描いた言葉として、文学的な深い感動があったからです。
 書名は、最初はごくシンプルに、ブログのタイトルをそのまま使用するつもりでした。
 ところが、巨大掲示板などで、この本の出版化に反対する声があるのを知りました。当社にも問い合わせのメールや電話がかかってくるようになりました。
 掲示板のURLを教えてもらい通読すると、真摯な書き込みが多かったです。もっとも、なぜか非公開のはずの、原稿受け渡し用のぼくのメルアドが書き込まれていて「マジで?」と思ったりはしましたが。
 
 批判のおもな要旨は、以下のふたつのものが多かったです。

 1 ブログを読むと辻褄の合わないことがあり、これは創作ではないのか。それをドキュメンタリーとして出版してもいいのか? 
 2 ブログでは主人公がホルモン剤を入手して女性になっていこうとしているが、それを真似する人が出る危険性がある。実際に女性ホルモンの投与を受けている性同一性障害の方々にも迷惑がかかるのではないか。
 
 最初にこのブログをプリントアウトした原稿を担当編集者から手渡され、他の多くの原稿といっしょに順番に読んでいった時、「これはフィクションかもしれない」という発想は、ぼくにはまったくありませんでした。それはきっと、長らく小説を書いてきたぼくの立場が関係しているような気がします。
 個人的にというか、作家としては「小説」「ノンフィクションノベル」「ノンフィクション」の違いは曖昧で、大切なのは「感動できるかどうか」だけだと思ってきたからです。
 ただ、アメーバブックス編集長としてのぼくは作家とは別の視点を持つべきだと思い、いろいろ悩み、考えた末、以下の2つのことを決定しました。
 
 1 書名を「性転換ドキュメンタリー」ではなく、より恋愛小説に近い「はるかりん」にする。
 2 以下の文章を書籍に入れ、「ドキュメンタリー」ではなく「創作」であることを銘記する。

 ※本書はアメーバブログにて2005年12月より掲載中の
 「性転換ドキュメンタリーBlog」(http://ameblo.jp/harukarin-a/)を
 改題、加筆・修正し、創作として書籍化したものです。
 
 これは「はるかりん」に限らず、今後小説ふうのストーリーのブログを当社で書籍化する際には、すべてそうしようと思ってます。つまりノンフィクションとしてではなく、あくまでも「創作」として編集・刊行していくということです。

 「はるかりん」だけではなく、すべての書籍について「フィクション」か「ノンフィクション」か断定するのはむずかしいとぼくは思っています。日記にもフィクションは含まれ、フィクションにも象徴的な事実が含まれるはずだからです。
 しかし、「ノンフィクション」として出すことでご迷惑をかけてしまう方々の存在が予想されるということを知った以上、これは創作であると銘記するのが出版社としての責任だと考えました。
 
 正直な話、インターネット上でこうした指摘を受けなければ、書名は「性転換ドキュメンタリー/僕が彼女の彼女になるとき」のままで、本の中にも何も銘記せずに出版していたかもしれません。
 ご指摘くださった皆さんに、感謝いたします。

 ブログを書籍化する場合、そのブログは単行本の初出、もしくは素材にすぎないとぼくは思っています。
 若い編集者達にも「ブログをそのまま安易に単行本にしようと思ってはだめだよ。描写を磨き、文章を整え、とりわけその本の中の結末をしっかり描かないと」と言ってます。
 ブログは日記のようなものなので、書き続けようと思えばその人が生きている限り続けることができます。しかし単行本は限られた紙数の中でいかに本質的なことを表現できるか、が大切だと思います。つまり、象徴的な描写というものが、不可欠なのです。
 
 ところが、考えてみれば、こうした努力を積み重ねれば積み重ねるほど、その作品は「ノンフィクション」から「フィクション」に近寄っていきます。
 ブログ発の単行本には、こうした問題がずっとつきまとうだろうとぼくは思ってます。
 
 そして、もう一度小説家としての立場に戻っての感想を述べさせてもらいます。
 「夜の果物、金の菓子」を出版した時にも、「ITベンチャーと裏社会の関係の記述は事実なのですか?」というような、どこが事実でどこがフィクションなのか教えてほしいという問い合わせがとても多かったのです。一般の読者の方々ばかりではなく、実はジャーナリストの方にそう聞かれることも多かったのです。
 多くの人々は「夜の果物、金の菓子」の中の余計な部分(恋愛などのフィクションの部分)を丁寧に取り除き、大切な情報(ノンフィクションの部分)を抽出しようとしていたのかもしれません。
 恋愛小説としても感動できるはずなのになァ……と、作者のぼくは俯くばかりでした。
 つまり、今の時代は「ノンフィクション」は危険でスリリングであり、「フィクション」すなわち小説は作り事なのだから安全で面白くない、と考える人が多いのかもしれません。

 かつてぼくはミュージシャンがドラッグに溺れていく「ロックス」という小説を書いたことがあるのですが、それぞれの登場人物にはモデルが存在しました。
 あれも今思えば、小説だったから安全だと判断されて出版できたのかもしれません。
 それはとりもなおさず、小説というもののパワーが落ちていることを示しているわけで「なんだかなァ」と、いう気がしないでもないのです。
 太宰治の作品のような本質的に危険な小説を、いつか書きたいものです。


■「話題のブロガーに10の質問」(amebabooks) に、はるかりんさんへのインタビューが掲載されています

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