・アンナ・カレニナ(1935年 米国 MGM)
メトロ・ゴールドウィン・メイヤ ーの映画なのですが、この時代はまだライオンがガオー!と吠えるロゴではなく、MGMの紙デザインで始まります。
トルストイの名作「アンナ・カレニナ」。
サイレントで一度映画化されて、トーキー映画として公開された作品の方を見ました。
主役のアンナ・カレニナを務める女優さんは、初のサイレント、初のトーキーとも「グレタガルボ」さんです。
ああ、美しい。
銀幕のスターです。
「シャがかかっていて、ただただ美しい」「背景にバラの花をしょってる銀幕のスター!」、少女漫画などでよくありますが、「目の中に星が入っていて、レースのドレスを着て! 巻髪で! 身分の高い男性に求愛されまくって!」 そのイデアのような女優さんです。
美しい!
麗しい!
相手役、恋に落ちる若き将校ブロンスキーにフレドリック・マーチが登場します。フレドリック・マーチと言えば、小津安二郎監督のコメディ作品のトーキー映画「淑女は何を忘れたか?」で出てくる有閑マダムの奥方様方が、子供の家庭教師を探しているという会話で、「あんたの好きなフレドリック・マーチみたいな人いないわよ」とおバカなトークをしてるときに出てきた俳優さんの名前です。
つ映画「アンナ・カレニナ」のヒロイン、名家の嫁「アンナ」に一目ぼれして猛烈アタックをして、不倫の末にアンナと結ばれた若き将校「ブロンスキー」を演じた役者さんの名前です。
小津作品の淑女の奥様方、なんてことをおっしゃっていたのですか!^0^!
もう身も蓋もない! 子供の家庭教師には令夫人と背徳の恋に落ちるブロンスキーのような男性が良いと、そんな会話だったんですね。
もう、バカ!カバ!
(↑「淑女は何を忘れたか?」を見た人だけが分かるギャグです)
そういえば、歌舞伎座でタバコ休憩されてた時は、上原謙をおっかけておいででしたね! このトーキー映画「アンナ・カレリナ」も奥様方ご覧になられて(この映画の前年に日本で公開された作品)、活劇に歌舞伎に丸善でコーヒー!毎日楽しいじゃ、あ~りませんか!
「淑女は何を忘れたか?」はコメディ作品だと言われてみたのですが、どこで笑えばいいのか分からなかったんです。実は、ここが笑うところだと、今回喜屋武監督にこの事実を教えてもらったんです。教えていただくまで、まったく気が付きませんでした!(というより、当時の人間じゃないと気が付かないですよ普通。映画監督さんだから、映画を見るときに台本チェックまでされてるから、細部まで気が付くわけで、映画の専門家は我々とは段違いの精度で映画を観ています)
淑女の先輩方、90年遅れで私も「アンナ・カレニナ」を拝見しましたよ!
私もバカ!でカバ!ですから!、どうぞ、お仲間に入れてくださいましね^^!
話を「アンナ・カレニナ」に戻しますね。
破廉恥と後ろ指さされた人妻と若き将校の恋。
たとえ、夫婦仲が冷え切った仮面夫婦だったとしても、不倫は許されるものではありません。なのに、この二人「愛しあってるんだから」と堂々と表を歩いたり、叩かれまくって、失意の日々を送るようになります。
原作の方は、映画よりも長く、長い長いストーリーで、彼女たちの半生をロングスパンで描いていますが、こちらは映画なので、映画会社の裁量で「短く、要約して」ストーリーが展開していきます。
この要約具合、今時のドラマでも「漫画原作」「小説原作」の作品を、いかに話をつまんで、原作に近いテイストで映画に仕上げるか…ということをやっていますが、この作品なんて、まさに小説の「アンナ・カレニーナ」の話をはしょって、つまんでつないで、ということを、この時代からやっています。でも、設定は同じだし、もともとのストーリーがしっかりしているので、面白く見ることができました。
で、グレタガルボさん。本当に美しいです。
美しいだけでなく、知性を感じます。
知性がにじみ出ている「本物の上流階級の女性」で、それが圧倒的な美しさにつながってる気がしました。
美しい!
美しいのですが、現在の女優さんの誰かに似てるなあと、ずっと考えたのですが、「デビューしたての若い頃の美しいボーイジョージ」に目が似てるんですよね…(すみません)
ホリが深く、モノクロ映画のせいか、わりとお化粧をしっかりされていて、そのせいで、アップになると目のあたりが、「ボーイジョージ」の初期の彼のアイメイクなんです。グレタガルボのアイメイクをおそらくジョージが真似したんでしょうね、ここまで似てると。
シャがかかっているし、(あれ?ミステリーボーイ?)と、シャのせいで、余計「ボーイジョージ」を思い出してしまいました。
(グレタガルボファンの皆様、申し訳ございません。あくまで私の私見です。おそらく、ボーイジョージはグレタガルボの美を研究し尽くして、セルフイメージの構築をしたのではないかと、察した次第です。ついでにいうと、シンディーローパーも、彼女のメイク真似してるかなあと思いましたです、はい。
ダンスのシーンでは全身が映し出されるので、華奢な手や胸、美しく伸びた背筋などなどが女性らしく、令夫人という感じがして、ボーイジョージ感はゼロでした。「ああ素敵♪」と、舞踏会で華やかに踊るシーンにうっとり!
上流階級の女性、素敵だなあ♪
会話を楽しむ彼女の「声」がまた素敵でした。
ち着いた声、ちょっと低めの声で、ゆっくりと言葉を大切に発して、その話しぶりに品格を感じました。
私は声が甲高いので「賢く見せたいなら、声を低くしてしゃべってごらんなさい。それもゆっくり」とアドバイスを受けたことがあります。グレタガルボ演じるアンナ夫人は、声のトーンも低めで、落ち着いていて、ゆったりと話をします。会話に余韻があります。それが品の良い話し方なんだなあと、この話し方真似しよう!と、一生懸命見てしまいました。
まくしたてるようにはしゃべらないので、落ち着いて知的な感じがします。
実際、映画の中のアンナ夫人は「恋に夢中」で、落ち着いてなんかないのですが、表面上はそう見えたのが、「上流階級の女性」なんでしょうね。
昔の映画なので、「破廉恥」な関係といっても、きわどいキスシーンもベッドシーンもなく、腕を組んで歩いて、顔を寄せ合ってヒソヒソ話をしたり、いつも一緒にいるので、世間から「熱愛が噂になってる」という非難される展開があります。
きわどいシーンがないので、「えっ、なにもしてないのに? 男の人が一方的に熱烈アタックしてきて、彼が彼女のコミュニティの中に居座ってて、話をしたりゲームを一緒にしてるだけなのに、熱愛とか噂されてアンナかわいそう」と、「なんて当時の人たちは頭が固いんだろう。男の人が押せ押せで来てるだけなのに、どうして彼女のことまで悪くいうの?」と、私は最初思ったのですが、これが私の勘違い。
戦前の映画なので、きわどい表現が一切なかっただけのようでした。
ストーリー上では「この二人は熱愛中」に話が切り替わっていて、そこの切り替えは理解できず、「あれ?話が飛んでる!」「フイルムが切れて話が飛んだ?」と思うくらい、驚いてしまいました。
21世紀人の私の目には「ただのBF、知り合い」にしか見えません。
「チャタレイ夫人の恋人」みたいなシーンないのに不適切な関係なの?と言いたくなったりしましたが、これ、戦前の映画でしたね、完成度が高くて、つい忘れてしまいます。