働くということ・25 服部芳和さん | くるまの達人

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とか、タイトルで謳いながら、実はただの日記だったりするけど、いいですか?

かもめ・2006年3月号掲載
※内容は、すべて取材時のものです


昨年、親父が亡くなりましてね。
塩野屋っていうのは、
京都で14代続いてる老舗の
織物製造業なんですけど、
親父はその分家で服部絹業店
というのをやっていたんです。

僕は二十歳のときに、この仕事を
継ぐって決めたんですが、
仕事を始めて20年くらい経ったときに
飛び出しまして。

昔ながらの流通のシステムでは、
世界中の人に絹織物を
楽しんでもらいたいという
僕の夢は適わないって思ったんです。

ところが、さすがに親父が逝ったときに、
僕が継ぐべきことは何だろうって悩みまして。
お寺の坊さんのところへ相談に行きました。

精神的なこと、経済的なこと、社会的なこと。
この3つのどれなんやろうって。

結局、継ぐということは、
この中のどれを大事にするか
ということではなくて、
全部のバランスを大事にすること
なんとちゃいますか、
と教えてもらったんです。


ただ僕は、精神論が好きやからね。
やっぱり精神的なものを大切に
引き継いでいきたいと思ってます。

京都というのは、
今や世界中の人が知っているブランドなんです。
そこの西陣で織物を手に入れるということは、
それだけで価値のあることやと思われてます。

ところが、実は本質はそこにはないんです。
その品物の裏に、
どういう思いが込められているのか。
どういう職人さんが、
どういう気持ちを込めて織っているのか。
それがいちばん大事なんですね。

表面的なイメージと違って、
本質は見えにくいんです。


会社は法人っていうでしょ。
法の人やから、人格と同じように
社格みたいなものがあるんやね。

社員はそれを高めるためにいるんやから、
上司や先輩から
何かの仕事や部署を引き継ぐということは、
まんま守り抜けということではないでしょう。

そこで表現できる精神を任されたわけでしょ。
広大な土地をもらったようなもんですやん。
自由に開拓したら、ええんと違いますか。

僕も親父を継いだときに業界の先輩から
“おまえがな、親父と同じようなものを
作っていたら、後を継いだとは認めへんで”
って言われまして。

最初は何を言ってるのか分からなかったんですけど、
つまり精神を受け継いで自分なりに表現してみろと、
そういうことやったんですね。


最近、ちょっとした畑を耕してるんです。
大根をこさえようと思ったら、
種を3つ蒔いてわらを被せときます。
しばらくして双葉が3本出てきたら、
そのうちの2本を間引くわけです。

普通はいちばん大きいのを残すでしょ。
ところが、それではいい大根が
できへんときがあるんです。

農家のおっちゃんに聞くと、
後から出てきた三男坊が実はいちばん
生命力があるかもわからへんでって。

どこで見分けるのって、
それが見抜く力なんですね。

農業っていうのは、
何月何日に間引きますっていうのはないんです。

まだちょっと分からんなって思ったら
もう少し競わせたらええし、
雪の多いときはもうちょっと待てかもしらんし、
日照りが続いたら抜くなかもしらんし。


ただ大根は間引いてしまったらおわりやけど、
人間は根っこを残して他の場所に移植してやれば
伸びることがあるのがおもしろいですね。

ここはA君に任せよう、C君は残念やったな。
でもB君は彼にふさわしい場所に移植して
部下を一人つけてやれば、
A君よりも育つかもしらんで、って。
周囲のそういう目も大事ということです。

さて、僕はどこに根付いて、
どう育つんでしょうな。



織道楽 塩野屋 14代当主
服部芳和さん



Interview, Writing: 山口宗久



※記事掲載への思いについて。



山口宗久(YAMAGUCHI-MUNEHISA.COM)
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