株式会社YGK
代表取締役社長 山崎正弘さん
小学校の卒業作文に、将来自動車を作
りたいって書いたんです。親父が庭先
でエンジンを分解したり組み立てたり、
そういうことが好きだったせいか、と
にかくそんな夢を持つ子供でした。
普通だったら工学部に進学してエンジ
ンの設計を覚えて、というふうに考え
るんでしょうけど、僕の場合はそうじ
ゃなかったですね。
大学進学のために東京へ出て、5万円
の中古トラックを買って運送業を始め
たんです。
学校を出て優秀なエンジニアになって
も、自分のものと言い切れるエンジン
やクルマを作ることは出来ないと思い
ましたし、そもそも勉強は向いてない
なと。ならばエンジンを作る会社、ク
ルマを作る会社を作ればいい。そのた
めにまず必要なのはお金だと考えたん
ですよ。
手始めに港区の小中学校へ牛乳を配達
する仕事を取って、朝4時から昼の11
時まで働きました。ビン牛乳120ケー
スのルートを5コース回るわけです。
けれども午後はトラックが寝てるわけ
です。それじゃあもったいないという
ことで、昼の1時から夕方の4時まで
新聞を電車の駅へ運ぶ仕事を始めて、
そのうち夜の時間ももったいなくなっ
て建築現場へセメントの袋を運ぶよう
になってね。
再生タイヤを履いたボロトラックが、
大卒の初任給が7万円くらいの時代に、
毎月70万~80万円稼ぐようになりまし
た。
体力勝負のようなところはありました
し、長髪にサンダル履きで自由を叫ぶ
ことが流行っていた時代に、坊主頭に
作業服で馬車馬のように働いてること、
最初は恥ずかしさもありましたよね。
でも夢がありましたから。
働くこと、つまり生きてゆくことの支
えは、自分の家族だと思ってる人もい
るし、単純にお金だと感じている人も
いるし、実現できる夢だという人もい
ると思うんです。
そこは社員であっても兄弟であっても、
入り込むことができない領域です。オ
レはこう思ってるんだけど、あんたも
そういう風に思ってよとは言えないわ
けでしょ。
僕は夢を実現するために、とにかくお
金を稼がなければならないと考えたん
です。
今の会社を興して順風満帆のように見
えたり、失敗して何もかもなくなりか
けたり。そんな中で、人とのつきあい
方も分かってきました。人生の一部の
時間であっても夢を共有することが出
来れば、本来不干渉であるはずの生き
る支えという領域を共有できることも
知りました。
自分に出来ないことは、出来る人にお
願いしてやっていただけばいい。
ひとりじゃないと思うと気持ちが楽に
なったり、逆にその人に対する責任を
感じて重くなったり。もう、色々です
よ。
でもね、がむしゃらに働いてるうちに
いろんなアイデア沸いて、次の展開が
開けるんじゃないですか。
ニートな時代だなんて言いながら、自
分の仕事も選択できないような人は、
働いてないから何も浮かんでこないん
じゃないですか。
働くということは、職種を選ぶという
ことじゃないんです。
とりあえず何でもいいから働くんです。
そうしてプレッシャーを押しのけなが
ら次の可能性を模索し続けるんです。
それが働くということでしょう。
エンジン作れるところまで漕ぎ着けま
した。でも夢まだ半ば。次はクルマで
す。
それにしてもこんなワンマンな男をこ
こまで応援してくれた社員とか、そい
つらを支えて頑張ってくれた家族のこ
ととか思うと涙が出るよね、いま酒が
飲めたらさ。
Interview, Writing: 山口宗久
かもめ・2005年9月号掲載
※内容は、すべて取材時のものです
※記事掲載への思いについて。
山口宗久(YAMAGUCHI-MUNEHISA.COM)
Twitter / nineover
facebook / Yamaguchi Munehisa