• 31 Dec
    • 歳末雑感 2011

      「太田米屋と鈴木米屋」 はまだ連載中ですが、中断して歳末のご挨拶です。2011年はひどい年だった。震災はもちろんだが、政治も悲惨だった。子ども手当は「23年度から1人当たり月2万6千円」との公約を早々と放棄。現在は1万~1万5千円の支給にとどまり、所得制限の導入も検討している。前原氏は自民、公明両党との政調会長会談で、「子どものための手当」との姑息な名称変更案を提示したが、あっさり拒否された。当然だ。ガソリン税など暫定税率廃止の公約は削除され、高速道路無料化も原形をとどめていない。被災地では1年だけ無料化されたが、それも3月で終わる。国家公務員の総人件費2割削減も実現は困難だ。マニフェストでは25年度までに人件費などの削減だけで1兆1千億円の財源を生み出す計算だった。しかし国家公務員給与を平均7.8%削減する特例法案も成立を断念。12月のボーナスは昨年よりも増額となった。順調に見えた高校無償化と農業の戸別所得補償も制度変更を迫られている。鳩山元首相が訴えた米軍普天間飛行場の国外、県外移設も迷走。名護市辺野古への移設計画に回帰した。この2年で失った沖縄の信頼の回復は容易でない。衆院比例定数80削減についても前原氏は、「約束したことは法律でしっかりと実行する。民主党だけでも法案を出す」と明言したが、見通しは立っていない。民主党が平成21年衆院選のマニフェストに掲げた最重要政策の一つである「八ツ場ダム建設中止」さえ撤回が決定された。建設中止は「コンクリートから人へ」と訴えた政権交代の柱だった。が、公約違反はこれだけではない。年末になって野田佳彦首相は、公約になかった消費税増税を決定した。政権の正当性さえ疑われる事態であるが、日本の不幸はここに至っても選ぶべき政党を持たないことである。「山形夢横丁」は7年目に入り、記事総数は666項目になった。週に1.8項目のペースで書き続けてきたことになる。わが家では朝日新聞、河北新報、山形新聞を購読しているが、山形新聞には震災のニュースはもう載らない。福島から15万7千人が県外に避難していて、山形は最多の12,945人を引きうけているのに、である。山形県民の間では、震災は終わったことになっているのではないかと不安だ。先日芸能人もボランティアもいなくなった被災地を訪ね、知人が亡くなった野蒜の踏切に手を合わせてきた。被災地では瓦礫は減ったものの、地盤沈下により陸地は海に変わり、No Man's Land と化していた。いずれ「12月の被災地」という特集を組む。「震災は何も終わっていない」このことを山形の皆さんに伝えるため、死者を慰霊するため、今年も震災の記事を続けます。「生き残った者」の義務として。たとえ町は姿を変えても、駅前を歩けば懐かしい風景が蘇る。駅隣の交通センターを見れば鉄道病院が、ビブレの跡地を見れば明月堂と前田蕎麦屋が、ホテルキャッスルを見れば稲荷角と呼ばれた藤田菓子店がまぶたに浮かんでくる。・・・そこは山形夢横丁、セピアの町。辰つぁんの山形通いはまだまだやめられない。 辰つぁんは年賀状をやめて4回目の正月になります。今年も辰つぁんから年賀状は届きません。このブログを以て新年の御挨拶に代えさせていただきます。2012年が皆様にとって平穏で、幸多き一年でありますよう、お祈り申し上げます。また来年、「山形夢横丁」でお会いしましょう。良いお歳を。 にほんブログ村 にほんブログ村  

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  • 30 Dec
  • 28 Dec
  • 26 Dec
  • 24 Dec
    • 地震日記 6.11 脱原発デモに参加 6

      ドイツでは、2022年までに原発から脱することが決定した。現在ドイツでは電力供給の約23%を原発が担っているが、2022年までに風力などの再生可能エネルギーをメインとした構造へ転換する。福島の事故がきっかけになったとはいえ、脱原発への政策転換の素早さは見習いたい。FOREVER21とH&Mの間にはあのPeach Johnがある。最近社長を解任された野口美佳氏は仙台市生まれで宮城学院高卒業。仙台では有名人である。平成6年に設立した通信販売会社ピーチ・ジョンは、年商160億円以上を売り上げた。芸能人が大好きで、彼女が所有するマンションの一室で押尾学が事件を起こし、時の人となった。解任の理由は業績不振ということになっている。 さて、H&Mに来た。H&Mの店内。どちらの店も、なにも買わないできた。結局、特にこれというものはなかった。家内は、しまむらとユニクロに行けば十分のようだ。今日の新宿は仙台七夕以上に混んでいた。 人の流れに合わせ、自分のペースで歩けないととても疲れる。 19:08 のやまびこに乗り、21:28に仙台に着いた。 用事を3つも済ませて、忙しい1日だったが、JR東日本パスは大変役に立った。 犬たちはお利口に待っていた。えらいなあ。「6.11 脱原発デモに参加」 了 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 22 Dec
    • 地震日記 6.11 脱原発デモに参加 5

      これは伊勢丹前。 カップル、親子連れ、おばさん、お年寄りまで、(組織的に)動員されたとは思えない雑多な人たちが集まっていた。幟もプラカードも手作りで、危なくない材料で作ってある。ちょっと雰囲気が怪しい人もいるが、場所が新宿だからこれでいいのだ。沿道の見物人もすごい数に膨れ上がっている。 さて、三つ目の用事は、FOREVER21とH&Mで買い物すること。(これは家内の希望です。)伊勢丹の角を右に曲がって、ちょうどFOREVER21に来たところで、隊列を外れた。 デモ全体には参加できなかったが、一応意思表示はしたので自己的には満足。しかし学生時代の戦闘的なデモに比べると、ずいぶん平和的だ。時代は変わった。人民は成熟したのか、退化したのか。FOREVER21の2階から見るデモ隊。隊列はこの後、甲州街道→新宿駅東南口→アルタ前広場 と進む。主催者側発表2万人。警察側発表3300人。100万人はいたように見えたがなあ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 20 Dec
    • 地震日記 6.11 脱原発デモに参加 4

      当時、デモに参加するには角材(勝負の時は鉄パイプ)、ヘルメット、石(投石用)が3種の神器だった。大学の食堂には、「一人一本、持って行こう!」と、火炎瓶の作成方法を書いたビラが撒かれていた。材料は、「Zippoオイル」、「粉石鹸」、「食用油」、「濃硫酸」、「○素○カ○ウ○」。(作り方は書きません。)Zippoオイル、粉石鹸、食用油は生協の売店で売っていた。濃硫酸と○素○カ○ウ○は大学の実験室の棚にいくらでもあった。つまり学生は大学構内で自由に火炎瓶を作れたのである。反●学●などの過激派は大学の教室で火炎瓶を作成し、堂々と「火炎瓶製作中につき火気厳禁」などと張り紙をしていた。 教官は過激派に捕まると長時間軟禁され、自己批判を迫られるので、寄り付きもしなかった。デモ学生は同年齢の機動隊員を「権力の狗!」(犬ではなく、狗)と罵り、投石した。学生の投石をきっかけに機動隊員が襲いかかる。「こいつらは親の金で大学行ってるのに、勉強もしないで何やってるんだ」、若い隊員は憎しみを露わに警棒を振り下ろし、学生が倒れれば大勢で蹴った。動かなくなるまで。乱闘になれば必ず機動隊が勝つことになっていた。学生の抵抗が激しい場合は催涙弾の水平撃ちが行われた。本来催涙弾は50mほど先の地点を放物線を描いて狙うのものだが、機動隊員も興奮してくると、目の前の学生の顔を直接狙ってくる。これで失明したり、三里塚闘争では死亡したデモ参加者も出た。デモの最後に首謀の学生は逮捕され、一般の学生は蜘蛛の子を散らすように逃げた。機動隊は背中に権力という魔物を背負っていた。福島原発に自衛隊ヘリがバケツで散水する映像を見て、東大安田講堂での機動隊の散水を思い出した。それから30年以上になる。今のデモはほんとに穏やかだ。防護服でデモしているおじさんは、警備の警官と気安くしゃべっている。「お巡りさんは外の仕事多いから、放射線浴びて大変だねえ」「仕事ですから(きっぱり!)」「今度非番の時、一緒にデモしない?」「本官はいいです」と、にこやかに会話している。 (こんなんでいいのか?) 昔の学生闘争はこんなだった↓http://www.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w&feature=related にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 18 Dec
    • 地震日記 6.11 脱原発デモに参加 3

      上京の目的その2。「6.11 新宿・原発やめろデモ」 http://611shinjuku.tumblr.com/ に参加すること。デモ全体は、新宿中央公園→甲州街道→新宿駅西口→新宿大ガード→アルタ前→明治通り→甲州街道→新宿駅東南口→アルタ前広場 と進む。約1時間30分を予定している。私は 「新宿駅西口→新宿大ガード→アルタ前→明治通り」だけ参加した。 アルタ前。七夕より混んでいる、と発想するのが田舎者だ。サウンドカーには若者バンドが乗り、歌いまくり踊りまくりのノリノリ状態。趣向を凝らしたカラフルなコスプレ参加者も多い。昔、プラカードは(警官に対して)武器になるよう角材で作ったものだが、今は危なくないように段ボール製だ。 警官も待機しているが、盾も持たずリラックスしている。むしろデモ隊に右翼が突入するのを警戒しているようだ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 16 Dec
    • 地震日記 6.11 脱原発デモに参加 2

      放射能はともかく、今日の上京の第一の目的は、次女のフルートコンサート。 次女はこの4月からプロになった。今日の会場は京王プラザ近くのドルチェホール。 場所がちょっと難しい。新宿西口からの行き方は頭に入っていたが、中央線を降りた後、西口に出る経路が分からず。南口に出て、ピンサロのビラ配りのお兄ちゃんに「都庁ってどっち?」と聞いた。お上りさん丸出しになってしまった。演奏には間に合った。3曲を30分間演奏した。1.コンクール用小品 G.フォーレ2.ハンブルガ―ソナタ C.P.E.バッハ 3・フルートとピアノのためのソナタ「パンの笛」作品15 J.ムーケ演奏はなかなか良かったように思えた。 終わって一緒に駅まで帰った。演奏の時はともかく、外に出るとこの髪型は目立ちすぎる。コンビニで飼い主を待つワンコ。一番左はカットしてないプードル。やっぱりプードルはカットしないとプードルに見えない。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 14 Dec
    • 地震日記 6.11 脱原発デモに参加 1

      6月11日、久しぶりに東京に行って来た。用件は3つ。ちょうど今日からJR東日本パスが売り出されたので、それを利用した。JR東日本エリアなら、1万円で1日乗り放題。東京日帰りにはもってこいの切符だ。ただし利用期間が限定で、前日まで購入することが条件。パスはこれ↓ 利用期間第1回:平成23年6月11日~平成23年6月20日第2回:平成23年7月9日~平成23年7月18日震災で東北への旅行者が減っているため、JR東日本が編み出した起死回生の切符です。 久しぶりに乗るMaxやまびこ。 福島駅に着いた。天気がよくないのもあるが、誰も外を歩いていないのが不気味だ。しかもこの駅から乗って来る人は、みなマスクをしている!iPhoneを見ていたら、原発の地下水や周辺の海から、さらに福島市でも放射性ストロンチウム90が検出されたとのニュース。原発近くの海では、基準の濃度限度の240倍だそうだ。最近240倍くらいでは驚かなくなったが、ストロンチウム90は半減期が29年と長く、体内に入ると骨に蓄積して、白血病をひき起こす。 隣の乗客も不安そうに外をながめている(いくら見ても放射能は見えないけど)。 福島、郡山、二本松の大気は常に1μSv/hを越えている。(最近は1.3~1.5くらい。)1としても、年間では1×24×365=8.76mSvになる。 1.5だと13.14mSvとなる。(国際的な年間許容量は1mSv以下。国は突然20mSv以下は大丈夫、なんて言い出したけど。) 本来ならこの三つの市の住民も会津に避難した方がいいのだが、そうすると補償金が莫大過ぎるから、政治家は口をつぐんでいる。東北新幹線も、東北自動車道も会津に迂回する必要が出て来る。村が避難するのとは規模が違うのだ。二本松市に住む友人と電話での話・・・二本松の住人はなるべく外に出ず、深呼吸もしないようにしている。呼吸が早くなるので、走らないようにしている。もちろん運動もしない。せめて内部被曝を減らそうと、(皮肉なことだが)福島で取れた農作物を食べないようにしている。福島は地下水も汚染された。風呂と洗い物は水道水を使うが、飲料水はペットボトルを買っている。東電から献金をもらっていない政治家は小泉純一郎と菅直人だけで、菅は浜岡をいきなり止めたし、残りの原発も止めそうだから、政官上げて菅降ろしが激しくなっている。巨万の原発利権を手放したくない輩は多いのだ。二本松に住んでいていいのか、と開業医に聞いたら、「ほんとは全員引っ越した方がいいけど、そうすっとうちが潰れっちまうからいでくれ」、と真顔で言われた・・・ にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 12 Dec
    • 震災を丹念に追う河北新報 4

      最後の波が引いた後、西棟5階の会議室には、避難者と患者、医療スタッフの42人がいた。水も、食料も、毛布もない。外は雪が降る寒さであった。患者7人が次々と息を引き取った。死因は低体温、津波による窒息とみられる。自衛隊の救助ヘリが屋上に到着したのは翌日の昼過ぎだった。ヘリは患者を石巻赤十字病院に繰り返し搬送したが、最後の患者数人を搬送し終えたのは、2日後の3月13日の午前中だった。医療スタッフたちはここで2晩を過ごした。入院患者107人のうち72人、看護師と看護助手3人が死亡・行方不明となった。河北新報は津波の記憶を後世に伝える、「語り部」になることを決めたのだろう。3ヶ月経っても、昨日のことのように丹念な記事が載る。6月11日は3ヶ月目にあたるが、この日の河北は広告を除く30ページ中、実に20ページを震災記事に当てた。収集した膨大な事実をすべて吐き出すつもりだ。それは年内に終わるのだろうか。PS3月11日、志津川病院・整形外科のS先生はたまたま非番で、仙台の自宅にいて難を逃れた。その運の強さを買われ(?)、志津川病院の新院長に指名された。行政との折衝、医療スタッフの確保を期待され、両肩に責任がのしかかる。当面、金曜の夜仙台に戻り、日曜の夜志津川に赴く、という生活になる。しかしS先生の実家は福島にあり、こちらも大変なのだそうだ。「震災を丹念に追う河北新報」 了 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 10 Dec
    • 震災を丹念に追う河北新報 3

      さて、6月7日の河北新報のメインは、志津川病院の記事だった。 震災当時の状況を丹念に拾ってある。 志津川病院は海からわずか400メートルの平地にある。 午後2時46分地震発生。 「高さ6メートル」という大津波警報に、近隣住民が次々に建物に駆け込んで来た。逃げ込んだ住民ら約120人の誘導と入院患者の搬送が重なり、上階に登る階段は混雑を極めた。午後3時半頃 津波が防潮堤を越えた。病院スタッフの懸命に搬送をしたが、病室にはまだ多くの患者が残されていた。突然、窓という窓から、真っ黒い大量の水が入ってきた。あっという間に病室の水かさが増し、1,2,3階を水没させ、4階に達した。4階にいたスタッフは胸まで水に浸かった。死を覚悟した看護師は、自分の身元が分かるよう、ボールペンで腕に名前を書いた。医師の一人は、普段外している結婚指輪を財布から出して指にはめた。しかし津波は奇跡的に、4階の1m60cmの高さで止まった。第1波が来た30分後、今度は強烈な引き波となり、多くの患者が3階と4階の窓から海に連れ去られた。「見るな!」と誰かが叫んだ。それはパニック映画を見るような、恐ろしい光景だった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 08 Dec
    • 震災を丹念に追う河北新報 2

      山形市の高校に通っていた頃、社会科のK先生が、「山形新聞だけ読んでいると馬鹿になる(=日本のこと、世界のことが分からなくなる)から、必ず全国紙も読みなさい」 と言っていた。K先生はその後、H高の校長、県の教育長になられた。私は教えを守り、その後常に全国紙1紙、または全国紙と地方紙各1紙を購読してきた。朝は1時間ほど記事に目を通してから出かける。夜、もう一度きちんと読み直す。大学の恩師も新聞好きだったが、ある日を境に全く読まなくなった。奥様は、その日が認知症の始まりだったと思う、と話された。読書百遍意自ずから通ず、の理(ことわり)通り、さっぱり分からない分野の記事も一字一句飛ばさず読んでいると、だんだん通じてくるものだ。 山形県における新聞別の市場占有率(2008年)を見ると、山形県内の54.47%の世帯が山形新聞を取っている。       全体  山形新聞  A紙   B紙    C紙    D紙   E紙  F紙   その他 発行部数 387,008 210,834 66,607  65,722  25,939 12,946  4,495 1,458    7 占有率       54.47%   17.21%  16.98%  6.70%  3.34%   0.90%  0.38%   2紙を取っている世帯は僅か1000世帯である。つまり山形県内の半分ちょっとの世帯は山形新聞だけを読んでいることになる。K先生に従えば、山形県民の半分ちょっとが馬鹿になっていることになる。昭和40年代には同紙の占有率は80%を超えていたはずだ。当時朝日新聞を取っている家は、町内で「アカ」と言われた。「赤旗」を取っている家は町内会に入っていなかった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 06 Dec
    • 震災を丹念に追う河北新報 1 

      わが家では、新聞は朝日新聞、河北新報、山形新聞の3紙を読んでいる。仙台の地元紙「河北新報」は、3カ月たっても震災の記事を、まるで昨日のことのように丹念に載せている。朝日も全国紙にしては震災の追跡に熱心だが、やはり地元の利か、記事の量で河北に軍配が上がる。6月7日の河北新報↓一方、山形新聞にはもう震災関連の記事は一行も載らない。震災は河北に任せておけ、という方針なのだろう。サクランボの出来、中総体の結果、山形県内の交通事故など、回覧板レベルの記事が満載である。福島原発のニュースがないのも驚きである。山形新聞しか取っていない山形県民は、被災地は既に復興し、原発も冷温停止したと思っているに違いない。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 04 Dec
    • 山浦玄嗣さんのこと 4 「海が呑む 3.11東日本大震災までの日本の津波の記憶」

      山浦さんのことを取り上げたのは、この12月1日に「海が呑む 3.11東日本大震災までの日本の津波の記憶」という本が発売されるからです。この本に山浦さんの津波体験記が収録されています。出版社は晶文社。本体価格:1,400円+税 判型:四六 花輪 莞爾、山浦 玄嗣 :著 丹念に集められた被災体験談。日常生活に不意に襲来する大津波の恐怖を文芸的筆致で描いたルポルタージュ集。 三陸海岸、紀伊半島、奥尻島――。近現代日本を襲った巨大地震津波の傷痕を訪ねて、被災した人々の体験談を丹念に集め、時と共に忘れられがちな大津波の恐怖を文芸的筆致で仕上げたルポルタージュ集。特別寄稿として、津波被害の大きかった大船渡在住の医師であり、新約聖書を気仙地方の方言〈ケセン語〉に訳したことで知られる山浦玄嗣氏の「3.11巨大地震津波体験記」を収める。佐野眞一氏(ノンフィクション作家)推薦!津波は大災害をもたらすとともに、人を夢魔のような幻想に誘う。エドガー・アラン・ポーの『メエルストルムの渦』は、海の底に引き込まれる恐怖感で髪の毛が真っ白になった漁師が魅惑的に描かれている。この『海が呑む』も、日常生活に不意に襲来する大津波が白昼夢にも似た味わいで描写されている。「胡麻汚しした巨大な蒟蒻のような波が……背をぬるぬる光らせて中空まで持ち上がり迫っていた。小高い鉄道の路床を夢中で這いのぼり……余勢を駆った波頭は、岸壁からのり上げ一切を呑み尽くした」。この形容は、芥川賞の候補に二回あがった幻想文学者でなければできないシュールな表現である。恐怖のすぐ裏に甘美さが張りついていることを見逃してはならない。本書に併録された、新約聖書を気仙地方の方言の“ケセン語”に翻訳したキリスト者にして医師の山浦玄嗣氏が記した「3.11巨大地震津波体験記」も、当事者ならではのディテールが満載されていて必読である。はじめに海が呑む(Ⅰ)――三陸海岸(岩手県三陸町綾里、大船渡町)海が呑む(Ⅱ)――津軽半島、秋田県能代市海が呑む(Ⅲ)――紀伊半島(三重県尾鷲市、和歌山県有田郡広川町・湯浅町)奥尻島悲歌――北海道奥尻郡奥尻町特別寄稿 3・11巨大地震津波体験記(山浦玄嗣)これから――エリ・エリ・レマ・サバクタニ(山浦玄嗣)http://www.youtube.com/watch?v=T3ydN8juOGM 皆さん、立ち読み、いやぜひ購入してお読みください。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 02 Dec
    • 山浦玄嗣さんのこと 3 「ケセン語聖書」    

      この4年がかりで完成した「ケセン語聖書」は出版社の倉庫に保管されていたが、倉庫もろとも津波にのみこまれた。しかしこのたび倉庫から水につかった3千冊の聖書が見つかったという。カトリック信者の山浦さんは、三陸沿岸南部の気仙地方の方言を「ケセン語」と名付け、新約聖書を訳して出版していた。2011年6月19日5時6分   Asahi com津波にのみこまれた岩手県大船渡市の出版社の倉庫から、水につかった3千冊の聖書が見つかった。泥を払い、かわかして販売したところ、「大津波に耐えた聖書」として注文が相次いでいる。聖書は、地域の出版文化の復興を目指す人たちの心も支えている。カトリック信者で大船渡市の内科医、山浦玄嗣さん(71)が、三陸沿岸南部の気仙地方の方言を「ケセン語」と名付け、新約聖書を訳したのが始まり。地元で自費出版などを請け負う出版社「イー・ピックス」が、「ルカによる福音書」など計4巻を9年前から刊行している。「神様んすぅ、神様んすぅ、なしておれぁどごぉ見捨てやりぁしたれ?」(わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか?)震災後、変わり果てた街を見たとき、山浦さんは自らが訳した聖書の一節が頭に浮かんだ。病院も浸水し、患者に満足に薬を渡せない状況が1カ月続いた。山浦さんが4年がかりで訳した聖書も大半が水につかった。イー社の倉庫は津波で天井が落ち、大半の本が水につかった。同社代表熊谷雅也さん(58)は震災から3日後、聖書が入った段ボール数箱を見つけ、高台にある自宅に持ち帰った。庭にすのこを敷いて天日干しし、汚れがひどくないものを仕分けした。熊谷さんは4月、プレハブで社員3人と営業を再開した。定価で売るのに抵抗はあったが、交流のあった三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)財団副理事長の工藤正広さんが「貴重な聖書。記念館で定価で販売させて」と申し出てくれた。こうした動きがインターネットなどで広まった。ここ数年、年間300~400冊で推移していたのが5月以降、信者を中心に620冊が売れた。郵送で取り寄せた東京都目黒区の高瀬瑞枝さん(70)は「手元に届いたとき、まだ少ししめっていた。被災した本を手にして津波がどういうものだったのか感じた」と話す。宮城県の女性は車で5時間かけて買いにきた。米国・デトロイトの日本人牧師からは120冊の注文があった。震災後、従業員の給料を払うめどがたたず、「どうしたらいいかわからなかった」と熊谷さんは振り返る。聖書の販売をきっかけに少しずつ再建の兆しが見えてきた。聖書はB5判、朗読CD付きで5880~6090円(税込み)。問い合わせはイー・ピックス(080・6003・4319)。山浦さんの話はyou tube でも見られます。http://www.youtube.com/watch?v=gkZ6UuMnQBEおとずれ 2009 4月号 ケセン語訳聖書http://www.youtube.com/watch?v=T3ydN8juOGM&feature=related山浦玄嗣講演会 上智大学100周年記念 にほんブログ村 にほんブログ村

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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