• 30 Nov
    • 山浦玄嗣さんのこと 2  「あっぱれな被災者たち」

      岩手県大船渡市の医師山浦玄嗣さん(71)は、新約聖書の四つの福音書を地元・気仙地方の言葉に翻訳した「ケセン語訳新約聖書」の著者としても知られています。地元のカトリック教会に通う山浦さんは、東日本大震災の大津波が襲った三陸の診療室で何を見たのでしょうか。 3月11日午後2時46分。私が理事長の山浦医院の午後の診察が始まる時間でした。自宅のすぐ隣にある医院に入ると間もなく、大きな横揺れを感じました。揺れはいつまでも収まらず、船酔いみたいに吐き気がしてきたころ、ようやく静まりました。幸い自宅も医院も床上に浸水しただけで済みました。でも、津波でたくさんの友だちが死に、ふるさとは根こそぎ流された。黒い津波が押し寄せるのを見て、イエスが十字架で叫んだ「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか?」を思い出しました。この一節は当時よく知られた詩の冒頭で「あなたに依(よ)り頼んで、裏切られたことはない」と締めくくられます。イエスは力尽きて、最後まで口にできなかったとされています。苦悩のなかで毒づきながら、それでも神への信頼は揺るがない。私も同じです。 重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開けました。津波の後には寒い日が続きました。患者さんは停電し暗い待合室で、私が用意した毛布にくるまっていました。60人はいたでしょうか。患者さんには薬が必要なのです。不通になった鉄道の線路伝いに、家族のため雪で真っ白になり2時間かけ歩いてきたおじさんがいました。「遠いところ悪いが、5日分しか出せないよ」と言うと、ひとこと「ありがたい」。2時間かけて帰っていきました。もっと欲しいと言った患者さんもいます。でも「薬はこれだけしかない」と諭すと、はっとした顔になり「おれの分を減らして、ほかの人に」と譲りあってくれました。 「ががぁ(妻を)、死なせた」。目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。 人はみんな死にます。しかも、死はどれも理不尽なのです。でも、無駄な死はひとつもありません。死には必ず意味があります。診療室の人たちは不遇を嘆くのではなく、多くの死者が出た今回の出来事から何かを聞き取ろうとしていたのかもしれません。必要以上に持ち上げるつもりはありません。しかし、あのつらいなか、意味のない問いかけをすることなく、人のために何ができるか、本当に生き生きとした喜びを感じるには何をすればいいのかと、懸命に生きていました。あっぱれな人たちに、私は出会えたのです。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 28 Nov
    • 山浦玄嗣さんのこと 1  『ケセン語訳新約聖書』

      「あっぱれな被災者を見た 『ケセン語訳新約聖書』著した医師・山浦玄嗣(はるつぐ)さん」という記事が朝日新聞大阪版、2011年05月16日夕刊に掲載された。山浦さんは現在大船渡在住ですが、20年前までは仙台に住んでおられました。私とは30年前からの知り合いです。彼は敬虔なクリスチャンで、私はキリスト教アレルギーですので、まったく宗教以外でのお付き合いです。私のアレルギーの原因は幼時体験にあり、それについてはこのブログのあちこちに書き散らかしてあります。たいていのクリスチャンは、少しでも隙を見せると手を引っ張って教会に連れ込み、折伏しようとしますから油断ができません。しかし山浦さんだけはそういうところのない、「安心できる」クリスチャンです。非クリスチャンを憐れむこともしません。記事は大阪版なので読んでいない方も多いでしょうから、ここに掲載します。  にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 26 Nov
    • New York Times の震災写真

      New York Times はどんな写真を載せたか?http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#254  (写真注意) 日本の震災本より、よっぽど真実を伝えている。 年が改まる前に、もう一度あの日のことを振りかえって見て下さい。 「 うちと車はまた買えっけんと、かあちゃんはどごで売ってんだ」 (私が勝手に付けたコピーです。) 子を抱く母津波の悲惨さはこの2枚で伝わる。震災本の何千枚の絵は不要である。New York Times の写真にBGMをつけた作品↓「日本では放送できない 報道できない 震災の裏側」 (写真注意) BGM「人間失格」 by Metis http://www.youtube.com/watch?v=zrJje5pTZ0A&feature=related 「日本では放送できない 震災の裏側 生きる,希望Ver」 (写真注意)  BGM「生きる事選びました」 by Metishttp://www.youtube.com/watch?v=OnfQL2G-44s&feature=related にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 24 Nov
    • 香味庵まるはち 2

      ぶっかけ蕎麦と漬物寿し。もり蕎麦。蕎麦屋でもないのに、ここの蕎麦は腰と薫りがあって美味しい。芋煮膳  もちろん芋煮は牛肉醤油味の山形風。漬物の試食もできます。新製品「どうもっす」。看板商品「やたら漬」、ピリ辛の「オーからい」、食用菊を入れた「菊翁」、「芭蕉漬」、「田舎きゅうり」の代表商品5種のミニパックを詰め合わせた贈答用セット。「どうもっす」は「おはよう、こんにちは、ありがとう、ごめんなさい、さようなら」など、使う場面によってさまざまに使える山形弁のあいさつ。「おおからい!」もそうだが、ネーミングが絶妙。 ケンミンSHOWで紹介していた「水まま定食」はやっていなかった。あまり注文がなかったのか、夏だけなのか? にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 22 Nov
    • 香味庵まるはち 1

      旅籠町の蔵座敷レストラン「香味庵まるはち」。醬油、味噌の醸造蔵を利用しているので、中は薄暗い。 テーブル席。蔵座敷の入口。内部。蔵の2階に昇る階段もあります。階段に古民具が飾られて、大正ロマンをそそる。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 20 Nov
    • 百目鬼温泉 2

      渡辺えり、ケンミンSHOWの東京一郎夫妻も来湯したようです。風呂上がりはやっぱりこれ! コーヒー牛乳。外から見た露天風呂。湯気が暖かそうだ。農産物直売所が併設されている。つや姫の新米が置かれていた。源泉名  百目鬼源泉  泉質  ナトリウム-塩化物温泉  泉温  源泉 56.9℃ 使用位置 42.0℃  ph:7.6  湧出量     成分  蒸発残留物  11120mg/kg  〔Na=3667 K=64.6 Mg=12.0 Ca=698.4 Al=1.5 Mn=2.4 Fe=2.6 Cl=6381 Br=19.2 I=0.8 SO4=307.1 HCO3=194.2 CO2=0.6 H2SiO3=80.9 HBO2=43.1 〕 ・・・濃い!しかもNa、Clが超高濃度!-------------------------------------------------------------------------------- 料金  300円  時間  6:00~22:00  備品  ソープ、シャンプー、カラン&シャワー8、ドライヤー(有料:10~20円)、貴重品100円リターンロッカー  浴室  内湯+露天風呂× 男女各1山形市百目鬼42-1  電話023-645-9033  仙台への帰り道、高速を笹谷トンネルまで来た頃、ものすごい睡魔と脱力に襲われた。恐るべし、 百目鬼温泉。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 18 Nov
    • 百目鬼(どめき)温泉 1

      山形市西部の本沢にある「百目鬼温泉」。本沢地区は特産の青菜漬けで知られる農村地帯である。2002年、農家の人が井戸を掘っていたら、偶然温泉が湧き出した。最初この温泉は、タラの芽栽培の温床暖房用として使われていたが、地区の人々に出資を呼びかけ、625万円の協力金を集めて2006年12月、株式会社「本沢」を設立した。従業員に雇ったのは地元の主婦など12名。最近高齢化が進み、疎遠になりがちだった住民同士の交流も温泉のおかげで盛んになった。朝6時から入れ、今では一日平均800人のお客さんがある。見渡す限りの田園地帯にポツンと立つ百目鬼温泉。駐車場も大きい。出かけた日は雨だった。これが入口。内湯。42℃とやや熱め。なめるとかなりしょっぱい。「成分が濃いので3分以上入らないで下さい」と注意書きがある。長湯している人もいるが、確かに長く入っていられない感じがある。ふつう温泉に来たら1時間位入っているのだが、ここは30分もいると湯当たりしたようにふらふらになる。上がった後も長時間ポカポカ感が続く。そして上がってから30分ほどすると、猛烈に眠くなる。運転には注意。洗い場。シャンプー、リンス完備。露天風呂。屋根はまったくなく、雨の日はずぶぬれになる。風も雪もそのまま吹き込むワイルドさ。それがいいという人は、是非冬にどうぞ。西に上杉景勝と最上義光が交戦した長谷堂城(城山)が望める。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 16 Nov
    • 近所の民家から白骨3遺体! 2

      Oさんの隣のSさんは、「3月の地震で中が壊れて引っ越して行ったのだと思っていた。遺体の隣りに住んでいたとは・・・」と話していた。 Oさんの奥さんとは国見小学校で一緒に役員をしたことがある。体格の良い人だ。長女は中学から不登校だった。母子ともにあまり他人と関わらない人だった。私は犬の散歩で毎日この家の前を通っていたが、犬たちは何も反応を示さなかった。【ここまでに分かったこと】Oさんはコンビニの配送の仕事を失い、経済的に困窮していた。電気、水道を止められ、雨水を汲んで使っていた。奥さんが硬貨、記念硬貨だけでサンマリで買い物をしていた時期がある。奥さんは昼から酒を飲んでいて、犬を連れた人が前を通ると、「犬、通るな!」と怒鳴られたいう。地区の民生委員も家に入れなかった。遺体は死後半年~1年経っていると見られる。去年の夏~秋頃、喧嘩するような大声が聞こえていた。室内に血痕、凶器などはなかった。冷蔵庫、箪笥の引き出しは開いていたが、外部者が侵入した形跡はなく、3月の地震のためではないかと思われる。3人が同時に死亡したかどうか不明だが、地震の後、近所の人に奥さんが目撃されている。一体どういう事情だったのだろう。国見地区は最近人口が減っている。特に子どもの減少が著しい。地震で住めなくなって取り壊された家が10件を越し、更地が増えている。誰も住んでいないと思われる古家がいくつもあるが、中はどうなっているんだか。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 14 Nov
    • 近所の民家から白骨3遺体! 1

      11月2日夕方、わが家の近くのOさん宅に警察、報道陣が大集合。強盗でも入ったかと思えば、さにあらず。Oさんは家賃を滞納していて、大家が訴訟を起こした。大家と仙台地裁の執行官が立ち退きを求めて、施錠されていない南側の引き戸から立ち入ったところ、白骨化した遺体3体を発見した。1階和室の布団の上で男性、廊下で女性、2階から女性の遺体が見つかった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 12 Nov
    • 東京散歩 4  取り壊された本郷館

      だんだん狭くなる菊坂の路地。こういう標識は珍しい。あまりの狭さに、車は全く入って来ない。静かだ。この通りに宮沢賢治も住んでいたそうだ。彼も経済的には困窮していた。この辺りは学生が多い町だったので、文化の香り高く、生活費が安く済んだのだ。旅館鳳明館は健在だった。玄関の植え込みが往時の雰囲気を残す。しかし3階建ての名物下宿「本郷館」は取り壊されていた。いつ壊したの? と思って調べたら新聞記事にこう出ていた↓築106年の東京・本郷の下宿「本郷館」が7月いっぱいで取り壊されることになった。関東大震災や東京大空襲にも耐えたが、建物の老朽化が激しいとして家主側が解体を決定。かつての住人や建築家らがその姿を惜しんでいる。 本郷館は木造3階建て。1905(明治38)年、東京大学の正門から約200メートルほど離れた細い路地に建てられた。延べ床面積は約1500平方メートル、中庭を囲むように76室がある。風呂はなく、トイレや炊事場も共同。明治時代の大規模な木造下宿が当時のまま残っている例は珍しいという。かつて「放浪記」の作家、林芙美子が住み、学生らも大勢下宿した。 何と3カ月前ではないか!在りし日の本郷館↑新幹線の時間になった。散歩はここまで。東京駅でお土産を買う。お客さんが行列しているのは、ねんりん家のバウムクーヘンと、新東京ポテト。これは東京バナナの店が出した新製品。そして、「ひるおび」で紹介された「東京カンパネラ」。帰りの新幹線は奮発してグリーン車にした。グリーン車はお絞りとソフトドリンクがサービスされる。 私は昔、市ヶ谷と飯田橋の中間の場所に住んでいた。市ヶ谷は昔のままだったが、飯田橋駅付近は大規模な再開発が始まっていて、よくランチに通ったレストラン「ドルビー」が跡形もなかった。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 10 Nov
    • 東京散歩 3  本郷菊坂「一葉の町」

      東大の西側にあたる菊坂通り。ここは明治の小説家、樋口夏子(一葉)が約10年住んだ町。最近、一葉も林芙美子もあまり読まれないけれど、読んでみるとすごく面白い。明治23年、一葉は父親の死後、母妹と共に旧菊坂町70番地の貸家に移る。ここでの一葉は他人の衣服洗濯や針仕事で生計を立てた。あちこちに説明書きの看板がある。この路地は一葉文学の発祥の地である。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」等の秀作を発表した。こんな家が今もそちこちに。立派な破風造りの銭湯「菊水湯」。現役である。脱衣室の一角には読書コーナーが設けられていて、多くの書籍、漫画があり、風呂上りに休憩することができる。入浴料400円。鐙(あぶみ)坂。かなり急。狭いので車が通らず、時計が止まったような静寂が漂う。 一葉は、この路地の掘抜井戸の水を使ったとされる。一葉が生活のために通った伊勢屋質店。「此夜さらに伊せ屋がもとにはしりて、あづけ置たるを出し、ふたたび売に出さんとするなど、いとあはただし」。死の前年の日記には、「時は今まさに初夏也、衣がえも、なさではかなわず、ゆかたなど大方いせやが蔵にあり」とある。また一葉の亡くなった時の香典帳に、伊勢屋より「金壱円也」とある。土蔵は当時のままだが、店部分は明治40年に改築された。昭和57年に廃業したが、建物は保存されている。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 08 Nov
    • 東京散歩 2  東大構内

      溜池山王から南北線で東大前に来た。今日はアカデミックな場所を歩いてみようと思う。赤門。東大は入口にそれぞれ立派な門があって守衛がいるが、誰でも中に入れる。校舎の一角にスタバが。工学部前の広場にあるペンシルロケットの模型。これを開発したのが糸川英夫博士。私の父と第一東京市立中学校で同級だった。東大のシンボル、安田講堂。全学連と機動隊の安田講堂攻防戦が行なわれたのは、昭和44年1月18日から翌19日にかけて。逮捕者は600名以上になった。1月20日には東大当局が入試中止を決定した。あの頃は建物を封鎖して、火炎瓶を投げれば、世の中が変わると信じていた。「社青同」、「中核」、「社学同」、「反帝学評」などのセクトの看板が乱立した。"みんな夢でありました" 森田 童子↓http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/e93ae9905065ef766a8afdf1448d5c57?p=%E5%AE%89%E7%94%B0%E8%AC%9B%E5%A0%82%20%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%81%8B%E5%8B%95&b=1&dr=&pd=&st=&s=&ma=&of=&from=srp&rkf=1&r=7 濱尾 新。東大総長、文部大臣を歴任した。構内中央に悠然と腰かけている。三四郎池。加賀藩前田家が造成した庭園を育徳園といい、この池を心字池といった。夏目漱石の小説「三四郎」が、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。東大病院。本当は高層化したいのだろうが、歴史的建造物なので難しい。この翌日、愛子さまがマイコプラズマ肺炎で入院された。すぐに退院されたが、入れ替わるように天皇陛下が気管支炎で入院された。宮内庁病院はどうなっているのか。構内を散歩するダックス2匹。コンクリートばかりの東京のワンコは幸せなのか。医学部。軍服にサーベルを下げた鴎外が出てきそうな気がする。鴎外は文学者としては超一流だったが、医学者としては脚気を感染症と考え、多くの陸軍兵士を死に追いやった罪がある。脚気がビタミンB欠乏症であることは今でこそ自明だが、日清戦争では多くの兵隊を死に至らしめた原因不明の難病であった。海軍においては当時すでに脚気対策として洋食化の動きがあり、また麦のほうが白米よりも蛋白質含量が多いとして麦飯の導入もあわせておこなっていた。陸軍においても現場での経験から、麦飯を脚気予防の目的でおこなうところがすでにでてきていた。しかしドイツ留学より帰国した鷗外は、陸軍の兵食の現状をそのままでよしとする立場を取った。脚気を感染症と考えたのである。明治37年には日露戦争が勃発。鷗外も第二軍軍医部長という責任ある地位で従軍した。この戦争でも脚気患者が陸軍兵士に多発した。陸軍参戦総兵士数108万人のうち、全傷病者35万人。うち脚気患者が少なくとも25万人。戦病死者37000人中脚気によるもの28000人というのだから、悲惨としかいいようがない。明治40年、鷗外は陸軍軍医としての最高の地位である陸軍軍医総監にまで上り詰める。大正5年、54歳で陸軍軍医総監を退職したが、在職中から大正11年60歳での死まで、脚気病調査会の長を務めている。脚気病調査会は大正13年、鷗外の死後2年たってから、ようやく脚気はビタミンB欠乏による栄養障害病であることを認め、解散する。鷗外生存中は脚気がビタミン欠乏によるものであることは公的には認められなかった。陸軍軍医総監の名誉を守るためである。病院のそばにある鉄門。それで東大医学部の同窓会を鉄門会という。本郷の子ども会がハロウィンの格好で遊んでいた。(子ども会が東大に来るな!)ハロウィンはケルト人の収穫感謝祭が起源だが、日本人にはよく分からないお祭りだ。4年前には、JR山手線にハロウィンの格好をした数十人のグループが押し寄せ、車内の蛍光灯を外す、網棚の上に寝転ぶなど、暴徒化した。30日には札幌で、ゾンビパーティー中に蝋燭の火が女性に燃え移り、大やけどを負った。参加者の多くが血だらけのメークをしていたため、見物人が驚いて通報し、救急車が何台も駆け付けたという。(けが人は二人だけだった。)ハロウィンは「サンジョルディの日」、「恵方巻き」と並んで押しつけがましさを感じるイベントだ。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 06 Nov
    • 東京散歩 1  虎ノ門~桜坂

      (地震日記はちょっとお休み。)秋の東京を歩いてきました。紅葉には早いけれど、涼しくて散歩には最適の季節です。銀座線で東京から虎ノ門へ。ここが虎ノ門病院。市川団十郎が白血病で入院したのも、息子の海老蔵が喧嘩で運ばれたのもここ。息子は屋上で奥さんといるところを盗撮された。東京はあちこちに坂があり、いちいち名前がついている。昔はここから海が見えたのだろうか。ホテルオークラ。今回はここに用事があって来た。大倉集古館。ホテルオークラの創設者、大倉喜八郎が収集した東洋美術品を展示する。日本最初の私立美術館。霊南坂教会。1980年11月19日、山口百恵と三浦友和が結婚式を挙げたことで有名。ここで結婚式をあげるには入信するか、1カ月講義を受けに通わなければならない。(聞いてきました!)アークヒルズ。 あまり高くてファインダーに収めるのが大変。 「カラヤン広場」。 年中イベントが行われる。アメリカ大使館。都心の一等地に広大な敷地と巨大なビル。アメリカの力の強大さを示す。周囲には何十人もの警察官が立っている。テロ警戒中なのだそうだ。桜坂。桜の並木。春はさぞきれいだろう。この辺りは有名な場所がずらりと並んでいる。君よずっと幸せに 風にそっと歌うよ愛は今も愛のままで揺れる木漏れ日 香る桜坂悲しみに似た 薄紅色君がいた 恋をしていた君じゃなきゃダメなのに一つになれず愛と知っていたのに 春はやってくるのに夢は今も 夢のままで頬にくちづけ 染まる桜坂http://www.youtube.com/watch?v=6HMsbwhQL6w 桜坂をおりると南北線溜池山王駅に出る。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 04 Nov
    • 地震日記 震災本

      撮影者は違うのだろうが、どれも同じ写真に見える。1冊買っても、10冊買っても、同じである。津波の後の景色がどこも似るのは仕方ないとして、何千枚もの写真の中に遺体が一つも写ってないのが却って異様である。流されつつある家に人が写っている場合、日本では必ず消さなければならないという不文律がある。水に追われる車はナンバーが消され、窓はシークレットウィンドウ様にされている。「死者の人権」を守るため、専門の係員を動員して画像のひとつひとつを確認し、修正・抹消した末の写真集である。それはひとつの考えだが、修正したら既に写真ではない。「修正しました」と一言、本のどこかに断っておくべきかと思う。 これは震災直後に出た、識者と言われる27人の提言集。提言者たちもまだ動揺していて、考えがまとまらなかったのか、ろくな内容ではない。堀江貴文は、「自分の住んでいる六本木ヒルズは免震構造で、自家発電で、1カ月分の食糧が備蓄してある。みんなここに住めばいいのに」と自慢しているだけだった。 震災翌日には、被災地のいたるところに遺体が散乱し、生存者に衝撃を与えた。遺体の多くは彼らの見知った顔だった。自分の子を抱き上げた母親もいる。生存者たちはその光景を記憶の底に封印し、テレビのインタビューに明るく答えている。震災本を見たことと、いくつもの遺体を見た経験は別物である。 写真集を見て、これはひどい、と納得してはいけない。被災者はさらなる地獄を見ている。写真集の写真は写真ではなくて、「絵」であって 「画集」である。 にほんブログ村 にほんブログ村

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  • 02 Nov
    • 地震日記 6月5日  映画館の営業状況

      宮城県内の主な映画館の6月5日現在の営業状況です。以下の6館は営業中。桜井薬局セントラルホール MOVIX利府 チネ・ラヴィータ フォーラム仙台 ワーナーマイカルシネマズ名取エアリ ワーナーマイカルシネマズ新石巻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・MOVIX仙台 6月18日(土)から営業を再開。ただし4階シアターのみ。営業再開に先駆けて、6月15日(水)~17(金)の3日間は無料上映会を行う。以下は営業再開の見通し立たず。シネマ・リオーネ古川 7月から営業再開。仙台コロナシネマワールド   泉コロナシネマワールド 109シネマズ富谷 シアターフォルテ 石巻の北上川中州にあった岡田劇場は、津波により跡形もなくなりました。由緒ある建物だっただけに残念です↓石巻岡田劇場については書きたいことがたくさんあります。後日特集します。私が最後に映画館に行ったのは去年の9月。チネ・ラヴィータ で「東京島」を観たのでした。 にほんブログ村 にほんブログ村

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プロフィール

辰つぁん

お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
山形市生まれ。仙台市在住。 ダックスフント2匹を連れて毎日広瀬川遊歩道を散歩してます。

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