私の詳細プロフィール自分史①:小学校から会社員時代前編まで | 山形から日本を元気に!行政書士・FP佐竹寿教

山形から日本を元気に!行政書士・FP佐竹寿教

この度は、お会いすることができてうれしいです(^^♪
行政書士・ファイナンシャルプランナーの佐竹と申します。
私は、学生時代社会人時代と山形県でその歴史を歩んで参りました。
そんな、大好きな山形を元気にしたい!それこそが私の原動力です!!!

山形から日本を元気に!佐竹寿教の詳細プロフィール


私のこれまでの自分史ともいうべきプロフィールを正直に書いてみました。少々長文ではありますが、どうかお付き合いいただき、私の人となりを知っていただければ幸いです。


小中学校時代

私は、1977年山形県東村山郡中山町で生まれ、小学校、中学校と中山町で過ごしました。


当時私の小・中学校では、「北斗の拳やお坊ちゃま君」などのマンガが流行っており、マンガを読んでは友達とふざけて遊んだりする日々を過ごしました。



私は不器用な性格で、この時はボールを使ったり、コントロールが必要なスポーツはまるでダメでしたが、走ったり、体力や力を使うスポーツは得意だったので、小学校から中学校3年まで空手を習っていました。



また勉強も、そこそこ出来るほうでしたが、中学校2年くらいになってからは急に成績が落ち始め(特に英語がついていけなくなって)、


スーパーファミコンなどゲームにばかり夢中になり、勉強する自信を無くし「オレは頭が悪いからだめだ!」と思うようになりました(今思えばここからがマイナス思考の始まりだったような気がします。)



親は、そんな私を見て情けないと思っていて、毎日ヒステリーを起こしてばかり・・・



私も次第に勉強が楽しくなくなって、何をすればいいかもわからずじまいでした。



そして、当時私の父が営んでいた工場を継ぐために、寒河江市にある寒河江工業高校機械科に入学しました。



●高校時代

高校に進学してからは、国語や数学など普通の勉強のほかに、原動機や機械や鋳造などの工業系の科目も加わった授業になりました。


しかし、工業系の勉強にすごく興味があるわけでもなく、勉強に熱中することはほとんどなかったです。



ただ、社会科だけは勉強するのが楽しくて成績もいいほうでした。



毎日なんとなくゲームやマンガなどにのめり込み時間を過ごす日々が続き、



私の周りの友達も積極的に頑張っている人がいなくなるなど・・・友達も変わっていきました。



そして、なんとなく目的もわからないまま高校時代を終えました。



当時の親の考えは「とりあえず公立高校だったらどこでも卒業さえしておけばいいんだ、そしたら、あとは会社に入って働いていればいいんだから・・・」



といった考えで、周りの友人も似たような考えでした。(今を思えばその考えはとても恐ろしいですが・・・(^_^;))



●社会人になってから(前編)

高校卒業後、本来であれば父の経営する工場を継ぐということになっていたのですが、



その頃、バブル経済が崩壊して父の経営する工場は仕事がなくなってしまったんです。



結局何をしたいかもわからないまま、山形では有名な某食品会社に機械修として就職することになりましたが・・・



就職した会社はあまりいい会社とは言えませんでした。



まだ、入社して間もないころ、私は機械修理をする部署に行く前に、会社の様々な仕事の現場を経験するため、食品製造現場で食品の袋詰め作業をしていた時のことです。



突然現場にいた社員の男に思いっきり殴られたんです。



いきなり殴られたので何が起こったのかもすぐにはわかりません。この時は2メートルぐらい吹っ飛びました(笑)



それで、なぜ殴られたのか?ということなんですが、なんでも「袋詰めのタイミングが遅い」という理由でした。



なぜ・・・



そんな理由で・・・



初めてやった仕事で・・・



殴られなきゃならないのか・・・



全く理解が出来ませんでした。




話によればその人は元自衛隊員らしく、ヒステリーを度々起こすとのこと・・・。



しかも、そのことを他の先輩社員に聞いてみたら「殴られたお前が悪いんだから今度から気をつけろ」・・・といった冷たい対応をされ・・・



その時私を気遣ってくれたのは周りにいたパートのおばちゃんたちだけでした(涙)



今を思えば信じられないですよね~(^_^;)当時はパワハラという言葉や概念というものがありませんでしたからね・・・



その会社は社内いじめ(パワハラが半端じゃなくひどかったんです。(それが理由で辞める人も多かったです。)



私は、機械修理など与えられた仕事はとにかく一生懸命やっていましたが、一緒に働いている先輩などとは仲が良くなく、



気に入らないと殴られそうになったり、「お前の親父もくそやろ~だな」とか暴言を言われたり、



大切なことを教えてもらえなかったためにミスが出てしまい、それを私のせいにされたりなど、ストレスのハケ口にされていました。



周りにいる社員の方などにも見て見ぬふりをされたり、強いものには逆らえないと言った感じでそっぽを向かれたりなど・・・



当時の私は仕事(会社)が本当に楽しくなかったんです。



楽しかったといえば、当時付き合っていた彼女、および、地元や高校の友達等と遊んだりしたことでした。



新たな目的も見つからないまま・・・そういった日々を過ごしました。



そして、入社から3年半ほどたったある日・・・。



その頃会社では、パワハラが深刻化していました。



「窓際族」という言葉が流行しだしたのもこの頃だったかな~と思いましたが、会社の上層部で各部署に人員削減するように指示がなされ、



各従業員のダメな所を見つけては指摘し、精神的に追い込んだりするような環境になってきたんです。



私も、上司に何気ないほんの些細なミスなんかを大げさに言われたり、



私の手には負えないような無理難題な仕事をしろとか命令されたりするなどして、その標的にされました。



あとで聞いた話ですが、各部署の長(わたしの場合は課長)などは会社の上層部から、



「何とかして誰かやめさせろ!」と指示されていたとか・・・



そして、パワハラはエスカレートしていき、ついに、私は、



「仕事をしなくていい」と命令され、普通に今まで話していた人からも急に無視されるようになったんです。



とてもつらかったです・・・友達にもそんなことは言えませんでした。



良くないことをしているのは会社なのに、会社では悪いことをしているのは私・・・みたいな目でみられてしまうんです。



私は、涙ながら工場の敷地内の清掃や、職場内の片づけなどを1人で黙々とやっていましたが・・・



もう・・・耐えられませんでした・・・。



やめることを決意し、上司にそのことを言ったら、「そうか、頑張れよ。」と満面の笑みで言われ、



益々人が信じられなくなって、だんだん人間不信になっていきました。



そして、その会社を辞めた後、深夜、運送会社やコンビニでアルバイトをして、次の就職まで繋ぎました。



職場・・・特に職場の環境や人に対して不信感や不安感もありましたが、そこでは、職場内の人も良く、前の会社みたいな嫌なことはなかったので、居心地良く過ごすことが出来ました。



そして、次の会社の面接に合格し、車のメンテナンスや、部品、必要品を販売する会社に就職することになりました・・・



が・・・



この会社が前の会社よりも、もっと酷い会社だったのです。



当時23歳・・・私の苦難は、まだ始まったばかりでした。



私の詳細プロフィール自分史②:会社員時代中編 に続く・・・

------------------------------------------------------------------------------------------
いつもありがとうございます!
相続・起業支援さたけ事務所

990-0401
山形県東村山郡中山町長崎498
電話:023-666-6338 PHS:070-5095-2091
私の詳細プロフィール(自分史)↓

詳細プロフィール自分史①:小学校から社会人前編まで
詳細プロフィール自分史②:会社員時代中編
詳細プロフィール自分史③:会社員時代後編からスロッタ―時代まで
詳細プロフィール自分史④:人生の転落から独立開業をするまで

相続手続き・対策の佐竹事務所
http://souzoku.satakejimusyo.info/

会社設立代行センター山形

http://kaisyaseturitu.satakejimusyo.info/

山形自動車登録代行佐竹事務所

http://jidousyatouroku.satakejimusyo.info/

山形車庫証明代行佐竹事務所

http://syakosyoumei.satakejimusyo.info/

山形異業種交流会.COM
http://kouryukai.satakejimusyo.info/
-------------------------------------------------------------------------------------------

山形から日本を元気に佐竹寿教(相続・事業承継コンサルタント)さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス