3週間に渡って繰り広げられた交流戦も終盤カード、昨年の北海道のエスコンフィールドに引き続き、今年はカープ観戦で仙台、楽天イーグルスの本拠地、楽天モバイルパーク宮城にやって参りました。



カープにとっては鬼門の交流戦、その交流戦をここまでカープは9勝7敗と五分の戦いを繰り広げています。

対するイーグルスもシーズン序盤なかなか調子が上がりませんでしたが、今江新監督の下、交流戦で一気に巻き返してきました。交流戦は何とここまで12勝4敗と交流戦首位。


他のPL出身監督が苦戦する中、今江監督の監督としての手腕、ここまではなかなかのものといった感じでしょうか。


イーグルスも4番に鈴木大地選手が入り、打線がつながり始めた印象です。辰巳選手も勝負強さは健在、浅村選手も一時故障で離脱するも、復帰後はサードでスタメン出場を続けており、好調イーグルス打線を牽引しています。

しかし、個人的にはこの人に注目...


そう、小郷選手、交流戦は主に1番を打ち、勝負強い打撃で劇的な勝利の立役者となっています。そして何より小郷選手は、私と出身高校が同じ、それだけに本日の試合も気になる存在です。

このカープとの3連戦、イーグルスは、交流戦優勝がかかる大事な3連戦となります(ソフトバンクが負け、イーグルスが勝つか引き分けで優勝が決まる一戦。昨日はカープが延長戦を制し、意地を見せました。)

いやー、しかし、懐かしい。私が前回イーグルスの本拠地を訪れたのは、約18年前(球団が創設した2年目)、野村克也さんが監督を務めていた頃だったと思います(観戦した試合はカープ戦ではなく、確かロッテ戦だったと記憶しています)。その時はまだ球団も立ち上がったばかりでイーグルスの本拠地のベースとなった宮城県営野球場もまだ地方球場の面影が色濃く残る状態でした。それが今はどうでしょう…



素晴らしい球場に変化を遂げているじゃないですか。天然芝がほんと美しい。

ちなみにこちらは...



楽天モバイルパーク名物の観覧車、メリーゴーランド。

数年が経過し、宮城県営野球場(現楽天モバイルパーク)はボールパークとして大きく変貌を遂げていました。球場全体にはファンを楽しませる工夫が至るところに施されています。

ほんと月日の流れを感じますね、これも楽天球団の経営努力あってこそなんでしょう…。

イーグルスの本拠地、楽天モバイルパーク宮城は住宅地の中に位置していることから、鳴り物応援は禁止されています。そのため応援は、声でのアカペラ応援となります。私自身今回楽天モバイルパークでカープ戦を観戦するのは初めてなので、カープのアカペラ応援がどんな風なのか、とても楽しみにしていました。

本日の交流戦もビジター応援席には数多くのカープファンが詰めかけていました。




球場の左側がイーグルスのホームユニフォームを基調とした白に対して、右のビジター側はカープ色の赤。どこの球場にもかけつけ真っ赤に染めるカープファンには頭が下がります。ちなみに本日の試合は満員とのこと。

そしてこの仙台での交流戦には、奴も参戦...



そう、我らがスライリー、やはり彼はどこにいっても人気者、いるだけで和みます。

最高の雰囲気の中での交流戦最終カード、今日の試合、必ず勝ちましょう!!

さて、そんな本日の試合、先発は、カープは今季初勝利を目指す玉村投手、対するイーグルスの先発は...


玉村投手と同じ年齢でもある2023年のドラ1左腕古謝投手、さてさて、そんな同級生同士の投げ合いは、どんな試合になるんでしょう。

試合はカープが2回にさっそく相手先発の古謝投手を攻め、チャンスを作ります。ここで二俣選手、秋山選手と連続タイムリーが飛び出しカープが幸先よく2点を先制します。そして、6回にも坂倉選手、堂林選手の連続タイムリーが出て、貴重な追加点をあげることに成功。4-0とカープで、中盤まで試合を優位に進めます。

玉村投手もランナーを出すものの、得点までは与えない、要所を締める粘り強いピッチング。昨日の試合もイーグルスに終始押され気味で必死に耐えていたことを考えると、本日もカープのペースか。

しかし、7回意気揚々と「それゆけカープ」を歌い

さあこれからからといった、その裏でした。

やはり試合はそう簡単に終わりせんでした。7回に疲れの見え始めた玉村投手をイーグルス打線が攻め、太田選手の2点タイムリースリーベースが飛び出し、試合は一気に2点差に。この後、玉村投手からバトンを受けたハーン投手も、代わって先頭の小深田選手にいきなり犠牲フライを打たれ、試合はとうとう1点差に...。

押せ押せのイーグルス応援席、球場全体の圧を受け、一気に流れはイーグルスに傾きかけます。


しかし、そこは今季のカープ、そうあっさりとは相手に流れを引き渡しませんでした。玉村投手の後を受けたハーン投手が1点で踏ん張って後続を断つことに成功。

その後8回は島内投手、9回は我らが守護神、栗林投手が見事な火消しぶりを見せてくれました。

結局、カープは4-3で1点差での逃げ切りることに成功し、昨日の゙ゲームに引き続き交流戦好調のイーグルス相手に連勝することができました。

この日のヒーローは、もちろん今季初勝利の玉村投手。


ヒーローインタビューでは、同じ年の古謝投手よりも先にマウンドを下りるわけにはいかなかったと、プロの先輩としてのプライドをのぞかせる一面も。また一方では、6回の2点で安心してしまったと本音がポロリと漏れる場面もあり、これには球場のカープファンからも思わず笑い声が沸き起こっていました。

玉村投手は、本日初勝利ではありますが、今季もゲームはしっかり作ってましたからね。本日はそれが報われましたね。ほんとおめでとうございます。次回以降の投球も楽しみですね。

いやー、それにしてもですが、本日の勝利により、カープは明日のゲームを残してこれで鬼門の交流戦勝ち越しで終えることが確定したってわけですから、これは誠にめでたい。なんでも勝ち越しは7年振りとか。ほんと私は夢を見ているのかって感じです(笑)明日も勝って気持ちよく交流戦締めといきたいですね。鬼門を最高の形で乗り越えた今季のカープ、今季はマジでやってくれるかもしれませんよ。

対するイーグルスですが、やはり交流戦の好調ぶりは本物でした。シーズン序盤の不調から交流戦ここまで巻き返せるのはやはりチームとして地力があるからでしょうね。特に本日の試合に限って言えば、浅村選手、渡邊佳明選手のシュアなバッティングが印象的でした。

当たり前ですが、応援も18年前とだいぶ変わってました。その応援がなかなかかっこいい。何か耳につくんですよね。特に先頭打者のテーマがかっこいいんですわ。


私個人的には、カープのアカペラ応援を満喫させてもらいました。何か異様な盛り上がりがありましたよほんと。こんな雰囲気を味わえるなど、普段足を運ぶ機会のないパリーグの本拠地に行ける交流戦はやはり格別ですわ。

今回私が楽天モバイルパークを訪れた理由、それは仙台でカープ戦を一度観たかったのもありますが、実はもうひとつ大きな理由がありました。それはあの出来事から20年経った今年だからこそ、仙台の地で感じたかった風景があったから...。

皆さん、ご存じでしたでしょうか...?今年はイーグルスが産声をあげて20年の節目の年にあたることを。そしてその球団創設に至る20年前、今でも球界で語り草となってい大事件、俗に言う「球界再編問題」があったことを...。

ちなみに、こちらは当時の状況についてまとめられた参考文献


今回仙台を訪れるにあたり、私自身、当時のことを改めて振り返ってみたいと思ったんです。

20年前の衝撃、これは私自身今でも鮮明に覚えています。近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併問題(ブルーウェーブがバファローズを吸収合併)に端を発して突如勃発したこの球界再編問題。

当日パリーグがどの球団も万年赤字経営に苦しんでいました。パリーグ球団のひとつであった大阪近鉄バファローズもそれは例外ではなく、赤字額は毎年40億にまで膨れ上がっていたとか...。

そんな中、近鉄球団は突如(マスコミのスクープ記事を受け)、「赤字続きの経営でこのままでは球団を維持できない、その打開策として同じ関西に本拠地とするオリックスブルーウェーブとの合併を模索している」と世間に公表。この話が突然であったばかりか、シーズン真っ只中だっただけに当時球界並びに野球ファンに与えた衝撃は相当なものでした…。

これまで球団の身売りなどは私も見てきましたが、球団が消滅するなんて話は初めてでしたもんね。特に学生時代、大学時代の友人とよくバファローズの試合を観戦しに大阪(現京セラ)ドームによく足を運んでいた(2001年の春季キャンプにはその友人に誘われ南港からフェリーに乗って宮崎日向にバファローズのキャンプを観に行ったことがあり、またその年のバファローズ優勝決定試合を現地で観戦していた)だけに、野球ファンとして球団合併のニュースに大変ショック受けたことを昨日のことのように思い出します。

話はこれだけで終わりませんでした。赤字続きのパリーグ存続を図るため、さらにもう1球団減らし(ダイエーホークスにも経営難の話が持ち上がり、そこからロッテマリーンズとの合併話も持ちあがるなどし)、パリーグ4球団をセリーグに吸収する形での「10チーム1リーグ構想」まで模索しているとのニュースも飛び出る始末...。

そんな中でした、当時日本がヒルズ族に代表されるITブームに沸く中、その代表として時代の寵児ともてはやされた堀江貴文さんことホリエモン、その彼が率いる会社ライブドアが、バファローズ買収に突如名乗りをあげる展開となります。

これに球界のご意見番、読売グループのナベツネこと渡邉恒夫前オーナーが異を唱えます。当時渡辺オーナーはライブドアの新規参入に否定的、こんな怪しい会社をプロ野球界に参入させるわけにはいかないと、新規参入にはあくまでも反対姿勢でした。これに1リーグ制を目論む他のパリーグ球団関係者も同調したことで、一時は一気に合併後の1リーグ構想に流れが傾きかけました。まさに球界を牛耳る球団のオーナー主導の結論ありきの展開というわけですね...。

しかし、ここで12球団の選手会が近鉄球団合併反対(1年凍結)と選手の身分保障、そして何より12球団維持を訴え立ち上がります。現場の野球ファンも、オーナー側の現場の選手やファンを無視したやり方に大反発、12球団の選手会を後押し、途中渡邉オーナーの「たかが選手」発言もこの論争に拍車をかけまさに大騒動に...。

当時その渦中にいた選手たちの苦労は計りしれないものでした。特に当時選手会会長でもあったヤクルトスワローズOB古田敦也さんをはじめ、バファローズの選手会長だった磯部公一さんは、プロ野球選手として試合に出場しながら、すきま時間を見つけてはスーツ姿で球団関係者と団体交渉を重ねるなどまさに奮闘の日々。こうした団交は結果的にプロ野球史上初となるストライキにまで話が発展することになりました(その日はまさに「プロ野球が死んだ日」として、球史に刻まれることに...)。

「プロ野球は果たして誰のものなのか?」、「プロ野球の公共性とは?」、「そもそも選手会は労働組合として適切なのか?」、こうして球界再編問題は当時球界全体、社会全体巻き込んだ大きな議論へと発展していったというわけです(当時は「朝まで生テレビ」の討論テーマにもなりましたからね…)。

最終的にはオーナー側がこうした世論に屈する形で、1リーグ制を断念、選手会も合併やむなしとしながも新球団と合併球団(オリックスバファローズ)への選手振り分けという点をもって妥結。こうして騒動は、2025年も新規参入球団を含めての2リーグ制を維持するという方向(もう一つの合併話として話があがっていたダイエーホークスは、ソフトバンクに身売りという形)で結論を得ました。そして、このタイミングでライブドアの他に新規参入に名乗りを上げたのが、当時堀江貴文さんと共にIT業界で勢いのあった三木谷浩史さん率いる楽天グループだったというわけ。

最終的には審査コンペの結果楽天グループは、ライブドアに勝利。こうして今の楽天イーグルスは仙台を本拠地とし(初代監督を田尾安志さん、初代選手会長は磯部公一さん)、1954年高橋ユニオンズ以来、実に56年ぶりの新規参入球団(東北楽天ゴールデンイーグルス)が生まれました。ちなみにライブドアはライブドアフェニックスとして加盟申請、新規参入した際の初代監督は元タイガース、スワローズで活躍したトーマス・オマリーさんだったとか。これはこれで参入してたら、ホリエモンはどんな球団運営を行ったのか興味深いですけどね。

さて、こうした球界再編問題は、新規参入球団以外にも大きな副産物を生み出すことになりました。それが今我々プロ野球ファンは当たり前のように楽しんでいる「セパ交流戦」。もともとパリーグは交流戦実施を強くセリーグに要望していましたが、セリーグは当時セリーグに比べ人気のなかったパリーグとの試合に対して否定的でした(当時ドル箱とも言われた巨人戦が減ることでの営業収入の減少を懸念)。それが主要オーナー側が主導したこの球界再編問題をきっかけに翌年からの交流戦実施に球界は大きく舵をきったというわけですからね。何とも皮肉なもんですよ。

また渡邉オーナー自身も、その渦中で巨人の新人獲得選手における裏金問題が発覚し、その責任を取ってオーナーを辞任。球界のドンも球界再編問題の中で退場するなど、ほんと波乱含みの1年間でした。

ここまでが球界再編問題の経過というわけです。この流れを追うだけでも大変ですが、この1年はほんといろいろあったんですよ...。

そしてそして、こうして新規参入した楽天イーグルスではありますが、イーグルス自体も球団創設期の混乱は相当なものだったと記憶しています。

そのことは、少し前の書籍になりますが球団OBの山村宏樹さんの本に詳しくまとめられており、私もあの頃、監督、選手、裏方さんは、こんな思いだったんだなと、改めて書籍を読んで知る部分も多々ありました。


球界参入初年度は、練習場の確保など、楽天職員も球団経営は素人でまさに運営は手探り状態、選手もバファローズの一部選手をはじめとした分離ドラフトで獲得した選手や他球団で試合機会に恵まれない選手を中心とした編成でした。結果、新規参入1年目は37勝97敗1分の断トツ最下位、開幕2戦目には0-26の大敗などといったゲームもありましたね。

その後野村克也さん、マーティー・ブラウンさん、星野仙一さんへと監督が移り変わり、2011年には未曾有の東日本大震災も経験。そこから苦難を乗り越え、2013年にはなんと悲願の日本一にたどり着いたわけです。

私もテレビで観戦していましたが、前日先発していた田中将大投手がこの試合の最終回、星野仙一監督の気迫のこもった球審への名前のコールのもと、連投のマウンドへ。最後の打者を三振に取り雄叫びを挙げる瞬間、東北中を歓喜に巻き込んだ光景は、他球団のファンでありながら心が震えたことを昨日のことのように思い出します。それはまさに球団創設から始まったイーグルスのドラマがまさに最高の形で完結した、そんな瞬間だったように思います。

今回、あの騒動から20年ぶり(私自身18年ぶり)に仙台の地を訪れ、野球ファンとして改めてあの球界再編問題からの時代の流れを現場で振り返ってみたかった、それが、今回私が仙台の地を訪れた大きな目的の一つでした。

実際訪れて、やはりきてよかったなとつくづく思いましたね。「この当たり前にある光景はあたり前じゃない、今この瞬間プロ野球が観れることに、好きな球団を応援できることに感謝し、我々ファンも今後ともプロ野球と真摯に向き合っていきたい」、そう強く感じた今回交流戦、仙台遠征だったように思います。

野球のある日常に感謝の心を忘れず、私はこれからもこの命ある限りプロ野球を愛し続けますよ。

以上、長くなりましたが、今回の仙台遠征記でした。

PS.こちら球場観覧車からの光景です。43にもなってまさか観覧車に乗るとは思いませんでした(笑)