熊五郎の枚方日記2
  • 17Jan
    • おぜんざい~の画像

      おぜんざい~

      頂き物の御餅は終了しましたが、「保存用の御餅」というのが登場しました〜ひとつひとつ包装なので、ほんとうにありがたいですね~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 『蓮如上人と光善寺』その182 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)の画像

      『蓮如上人と光善寺』その182 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)

      『蓮如上人と光善寺』その182真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)二、本願の生活者となる勧め(蓮如上人御一代記聞書)『蓮如上人御一代記聞書』は、『御文』とともに広く親しまれてきた上人の言行録(げんこうろく)である。全部で三百六十か条あるが、だいたい三部の書からの編集と言われている。 はじめの四十三カ条は、一冊本の『空善日記(くうぜんにっき)』であり、蓮如上人七十五歳のご隠居からご入滅までの記録である。続いて中間の二十五カ条は、『昔物語記(むかくものがたりき)』の十六カ条と出所未だ不明の九か条である。終わりの二百四十八カ条は、『実悟旧記(じつごきゅうき)』からのものである。『空善日記』を書いた空善は、蓮如上人の側近にあって長く仕えたお弟子である。 『実悟旧記』の筆者実悟とは、蓮如上人の第二十三子のことである。この『実悟旧記』は、実悟の享禄四年前の編集とあるから、蓮如上人の滅後約三十五年を経た頃にできた記録ということになる。 『昔物語記』は筆者未詳で『御物語次第』とも呼ばれている。蓮如上人の第十六子の蓮悟の物語からの聞書(ききがき)で、筆者はおそらく実悟であろうとも言われている。                     (以上、稲葉昌丸師編の『蓮如上人行実』による) 『蓮如上人御一代記聞』は、長く蓮如上人の側近にあって上人の日常生活を見聞した人びとの記録であり、本願の生活者としての実践道を歩まれた上人の内面がよく語られている。そこには、如来の本願のこと、信心のこと、お念仏のことなどの大切な教えをはじめとして、私たちの聞法の心がけや日常生活のあり方に至るまで、数々の珠玉の教訓の言葉が溢れている。 また、蓮如上人が直接筆をとられた『御文』とは異なり、さりげない日常生活の匂いもほのかに滲みでて、暖かい人間像を写し出している名句も多い。また夕餉(ゆうげ)の家族団欒(だんらん)の一時に、中央に座ってみんなに話しかけている慈父のような情景さえ浮かんでくる。 親鸞聖人の主著『教行信証』と、その弟子唯円房の書いた『歎異抄』のように、蓮如上人の『御文』、そして『蓮如上人御一代記聞』を、合わせて鏡として学んでいきたいものである。 以下、『蓮如上人御一代記聞』の中から主要な数カ条をとおして、「蓮如教学」の中心的な課題をたずねながら、私たちの日々の心の支柱となって下さるこれらの教えを、よくよく頂いていきたい。出口光善寺市民の会 You Tube光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口御坊光善寺本堂修復事業応援市民の会

  • 06Jan
    • 頂き御餅「最終日」の画像

      頂き御餅「最終日」

      頂戴した「御餅」が、なくなります~おいしいので、毎日よく食べました〜ありがとうございました~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 『蓮如上人と光善寺』その181 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)の画像

      『蓮如上人と光善寺』その181 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)

      『蓮如上人と光善寺』その181真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市) 以上、蓮如上人の『御文』の代表的な数篇を拝読しつつ、不充分ながらもその教えのあらましを学んできた。『五帖御文』は、いつどの一篇を読んでも、必ず何かを教えられる。今後も、折にふれて繰り返し拝読したいものである。 真宗では、昔から寺院の法要でも、家の後内仏の前でも、勤行のあとには必ず『御文』が読まれてきた。 祖父、祖母や家族らとともに、みんな子供の頃から、充分その意味もわからぬままに、よく御文を聞いたものである。それらの教えの言葉が、やがてその後の人生の歩みの中で、ふと一筋の光明となって導かれたという体験をもつ人も多いことかと思われる。 戦後は、核家族化が進んで仏壇のない家庭も増えた。子供たちが、祖父・祖母らのよき家族から、宗教的な情操教育を受ける場もほとんど消えてしまったようにも見受けられる。儀式的な場所以外で、『御文』が読まれるのを聞くことは極めて少なくなった。『真宗聖典』を折々に聞いて、『御文』の教えに学ぶよう心掛けたいものである。 『御文』のことを、「阿弥陀如来からこの私に頂いたお手紙」と言われた稲城選恵師の言葉が、痛く耳の底に残り続けて尊い。出口光善寺市民の会 You Tube光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口御坊光善寺本堂修復事業応援市民の会

  • 05Jan
    • お餅と玉子スープ~の画像

      お餅と玉子スープ~

      御正月ですから、幸せのお餅が続きます~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 『蓮如上人と光善寺』その180 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)の画像

      『蓮如上人と光善寺』その180 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)

      『蓮如上人と光善寺』その180真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)生命の尊厳を教えられる 蓮如上人の御文の中で、もっとも広く知られているのは何といってもこの「白骨の御文」であろう。無常の哀感ただよう中世仮名法話の中でも、名文中の名文と言われてきた。 この「白骨の御文」は、蓮如上人が出口御坊光善寺で書かれたという次の説がある。 光善寺の東に中振(なかぶり)という所がある。その地の木綿(もめん)問屋「三牧屋(みまきや)」に、熱心な聞法者の母娘がいた。娘の婚約が整ったが、輿入れの前夜も聞法に訪れるほどの篤信者であった。 ところが婚礼の朝の聞法は母親ひとりであった。上人が尋ねられると、娘が昨夜突然なくなったとのことであった。人の世に、突如として訪れる無常の悲しみの姿から、その母親に書き与えられたのが、この「白骨の御文」であったと伝えられる。 ほかに、吉崎時代、山科本願寺時代に書かれたとの説がある。 さて、かくも有名な「白骨の御文」については、いまさら何の解説めいたことも不要であろう。誰もが、読んで素直に理解できる。しかも、しみじみと心に味わうことのできる優れた文学作品でもある。私たちは、この御文によって、人生の無常を知るだけであってはならないのではないか。「生のみが吾人にあらず、死も亦吾人也、吾人は生死を並有する者也」との清沢満之師の言葉を前に聞いたように、人間が生死並有(へいゆう)の存在であることを、しかと知るべきとの教えに違いない。稲城選恵師は、善導大師の『往生礼讃』に、「恆(つね)に死王(しおう)と居(きょ)す<4>」との言葉があることを教えて下さった。王の命令であれば、いつ死ぬかも知れない仕事にも当たらねばならない。王の下にあるすべての臣下は、みな常にこのような死と直面して王の下で生きている、との譬(たと)えである。 現代は、そんな生殺与奪の権力を持った者のいない時代であるが、多くの死の危険に囲まれていることに変わりはないであろう。また、いかなる人も死を免れることができないのも事実である。「後生の一大事」とは、今、この今の命を知ることであろう。人が必ず死すべき存在であればこそ、この「白骨の御文」に、「今」を生きる命の尊厳をよくよく学ぶことが大切かと教えられる。 註1、浮生(ふしょう)―水にただよう浮き草が、流れに漂うて定まらぬように、また水に浮かぶ泡が忽(たちま)ち浮かんでは消え去るように、人の世の定めなきことをいう。 註2、桃李(とうり)のよそおい―容姿の端麗なことを、桃、すももの美しさに譬えていう。 註3、六親眷属(ろくしんけんぞく)―六親は父母兄弟妻子のこと、眷属は身内親族のこと。 註4、恆(つね)に死王(しおう)と居(きょ)す―善導大師『往生礼讃偈第一巻』―『真宗聖教全書』1-658頁参照。出口光善寺市民の会 You Tube光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口御坊光善寺本堂修復事業応援市民の会

  • 03Jan
    • お餅・チキンラーメン~の画像

      お餅・チキンラーメン~

      老夫婦の御正月ですので、何でもありです~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 『蓮如上人と光善寺』その179 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)の画像

      『蓮如上人と光善寺』その179 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)

      『蓮如上人と光善寺』その179真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)(六)「白骨」の御文(大意) 私たちの、この浮き草のようなはかない人生の生きざまを考えてみると、次のようなものと知られる。すなわち、人がこの世に生を受けてから命終わるまでの一生というのは、なんとはかない幻のようなものであろうか。一万年も生きたという話は、ついぞ誰にも聞いた事はない。あっという間に人生は終わり、誰一人として百年の若さを保つ事は出来ない。我も人も、いずれが先とも知れず、死はおとずれる。まさにそれは朝露のようにはかないものだ。今朝元気であったのにと思っていても、夕べには死者となってしまうのが、人間の命というものである。 ひとたび無残な死に襲われれば、忽(たちま)ちにして息は途絶え、眼閉じてその身は冷たくなり、命の美しさはすべて消え果てる。その時になって、肉親あい寄り一族集まっていかに歎き悲しんでも、いかんともしがたい。さりとて、いつまでもそうしてはおれず、火葬の場へと送れば、あとはただ白骨のみが残るばかりとなる。 あわれ涙も枯れるといえど、何と空(むな)しいことであろうか。まことに人の世はすべて定めなき命である。 それゆえにそ、ひたすら阿弥陀如来に帰依し、自らの命の尊厳をよくよく知り、人生を全うして生きることを心がけ、念仏申す身となることが肝要である。 よくよく心得てほしい。出口光善寺市民の会 You Tube光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口御坊光善寺本堂修復事業応援市民の会

  • 02Jan
    • ささやか~老夫婦の「正月御膳」の画像

      ささやか~老夫婦の「正月御膳」

      夫婦ふたりで、孫たちも来れませんので、ほんとうに「ささやかな御正月」になりました。まあ、こんなことも長い人生のひとこまではありますね~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 2020/12/31大晦日「ぼったくり天ぷら」~の画像

      2020/12/31大晦日「ぼったくり天ぷら」~

      大晦日、御寺業務の帰りに、嫁さんの手間を少しでも軽くしたいと思い、「高い」のは承知で「としこしそばの天ぷら」を、スーパーで、買い求めました〜「しょうもない/えび天2匹・かきあげ2個」で「1,000円」、それは、まあ「大晦日」ですからしかたがありませんが、おいしくないのも、嫁さんの手ではないので「しょうがない」ですが、油が悪いせいか「夜中に腹痛」~なので「今年は、天ぷらも御願いします」と、元旦早々の「御願い事、第一号」になってしまいました。ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 大晦日「正信偈」しめくくり~の画像

      大晦日「正信偈」しめくくり~

      「2020/12/31」正信偈は、完全暗記に、今一歩届きませんでした。なので「光善寺本堂前」にて、赤本を手に、読み上げ唄させていただきました。さすが、本堂の御屋根に響き渡り「好い声」~今年は、ほんとうに「すらすらの暗唱」で、リベンジしたいと思います。「何とか春までには」です~光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口光善寺市民の会 www.hirakata.biz/kouzenzisimin真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺 http://www.kouzenzi.org

  • 31Dec
    • 「あん餅」de 晩ごはん~の画像

      「あん餅」de 晩ごはん~

      光善寺から、ありがたい「あん餅」を頂戴しました。熊五郎家は、お餅だらけです~「毎日・お餅」すごすぎ、うれしすぎです~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 「正信偈」を暗記したい!!【リターンズ】その2-15の画像

      「正信偈」を暗記したい!!【リターンズ】その2-15

      本日、【リターンズ】は最終日になりました。ですが「全然不満足」な状況です。でもまあ、まがりすぎでも最後まで言えています。なので新年から「すらすらの正信偈」をめざし、「【続・リターンズ】その3~」を開始します~光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口光善寺市民の会 www.hirakata.biz/kouzenzisimin真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺 http://www.kouzenzi.org  

  • 30Dec
    • お餅~お餅~お餅~の画像

      お餅~お餅~お餅~

      毎年頂きますが、息子のお嫁さんのところから、「つきたてお餅」が、送られてきます。ほんと、ありがたく、おいしく、最高です~ひらかた便利ネット http://www.hirakata.biz/光善寺本堂修復応援商品好評発売中

    • 『蓮如上人と光善寺』その178 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)の画像

      『蓮如上人と光善寺』その178 真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)

      『蓮如上人と光善寺』その178真宗大谷派 淵埋山 出口御坊 光善寺刊(大阪府枚方市)(六)「白骨」の御文(本文) それ、人間の浮生(ふしょう)<1>なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事をきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。我(われ)やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露(つゆ)よりもしげしといえり。されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆう)べには白骨(はっこつ)となれる身になり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔(こうがん)むなしく変じて、桃李(とうり)のよそおい<2>をうしないぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)<3>あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さしてもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半(よは)のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々(なかなか)おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、たれの人もはやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。 なかしこ、あなかしこ(『御文』―五の十六)出口光善寺市民の会 You Tube光善寺本堂修復応援商品好評発売中出口御坊光善寺本堂修復事業応援市民の会