三連休最終日、日曜日となりました。
外は雨、とても寒いです。
SNSより。いわさきちひろさんの作品。お茶会?の様子。猫ちゃんとお人形さんもゲストなのでしょうね
かわいい。
熱が下がって、再び内科を受診した日、今度は家族が体調不良に陥りました。昨日土曜日に再び必要なもの、簡易検査キットや市販薬等を買いに出て、思ったよりも買い物が早く済んだので、久しぶりに駅前の食品ストアを物色していたところ、目に入りました。
アーニャアメ かわいいな(でも虫歯になるので買わないという・・キシリトール100%でないと虫歯になるから)
(この類も、歯にくっつくので、食べた後はできるだけ早めに歯磨きをしますのよ)
先週は月曜日から木曜日まで、お休みさせて頂いたので、明日から仕事と考えると、頭が働くだろうかとほんの少しだけ心配です。
現在の私の状態は、自分で振り返ると好ましい状態ではない、警戒せよ、という状態です
入社して来月で半年になるのですが、半年近くもいるのに、自分の言語で業務内容を整理できていないのです。
これはとても危険な状態「すぐにでも業務内容の整理をして自分のための手順書を作りなさい」と、もう一人の自分から言われる状態です。
もう一人の自分から言われているにも関わらず取り組まない理由がある。。
その理由について考えていましたが、幼少期の行動に現在と同様のことがあったことを思い起こしました。
「自分の外側の世界に引きずられて、外の世界の出来事が内面の動機付けにまで影響させることを許してしまっている」状態。
「外の世界の出来事が内面の動機付けにまで影響させることを許してはならない」と私の本心は望んでいるのに。
これがおそらく、「適応する子(AC)」のネガティブな面なのだと思います。「適応する子(AC)」のポジティブな面は、協調性ですので。。
当然ながら、外の世界は自分が自分に影響を与えることのできる自分の内面世界と相当異なっていて、外の世界は私自身の管理下にはおけないことのほうが多い。管理下におけない世界は「所与」として、「そんなものだ」として、無駄な軋轢を生じさせないように、基本的な社会の礼儀を行いつつ、あとは自分の内面世界を充実させる、自己成長の試みを実行することに自己資源を注ぐことが好ましい・・そしてそれを行うことは私には許されているにも関わらず。
これが私自身が時間をかけて変えてゆきたい癖なのだと思いました。
無意識に内面世界への影響を許してしまっている、無防備になっているので、無意識を意識的にしてゆかねば行動も変えられないですよね。
次の心理士さんとの面談で、この話を報告したいと思います。
業務内容の整理は、部分的には絵コンテが頭の中に出来ています。まだ全体図としてつながりを作れていません。
結局は、事実実態を正しく会計処理することが業務のゴールで、そのゴールが社会制度に適っていること(税務調査、外部会計監査に耐えられる健全さがあること)、ゴールまでのプロセスにはフォーマルな社内規則や個別に取り決めて運用しているルールがあること・・税務調査に耐えられる健全さと言う視点(社会的な視点)が入っただけで(外→内)心理的にすっきり感を覚えました。
これらの絵コンテや理由付けは、私の内側にとどめておくことで、チーム内で展開することはありません。
伝わらないでしょうし、社会的な視点を否定される可能性が高いのです。
少し前に、外部検査が入った時、客観的な証拠資料の提出が必要だった際に、客観的ではない内部資料(後に振り替えが必要な伝票)を提出して、案の定、却下され差し戻されたことがありました。「第三者から見てもその取引事実がわかる客観性ある証憑でないと差し戻されますよ」と伝えているのに、人の話を聞こえないふりして、内部資料提出することに邁進、上長承認を得ていました
グループシンク(集団浅慮)ってこういうことをいうのかー。間違えている方向へ突き進む心理がとても興味深かったです。
情報整理した資料については、ここまで考えなくていい、こんな風に考えるのが余計で非効率、考えるだけ無駄だと愚かなことを言われる可能性や、相手の反応、振る舞いが想定できるので、私自身にストレスをもたらすようなやりとりを未然防止するには、接点をもたないが一番かも知れません。
従業員のひとりであっても、組織内で業務分担しているということは、組織の社会的責任も分担しているということ、正当な論拠をもって、あるべき姿を毎日実現させることが期待されていることを理解せずして、何のための仕事なのか?石を運ぶだけの仕事にしても、偏狭で近視眼すぎないか?と、いつも感じています。
価値観も働く理由も人それぞれなのと、メンタリティの共有もしたくないので、そういうものとして距離をとるのが安全ですね
お腹を冷やさないよう、気を付けて午後からの時間を過ごすことにします。
皆様も、ご自愛ください