本日水曜日、晴天の過ごしやすい一日でした。
朝焼けが美しかった記憶です。
 
猫ちゃんたちの排泄物の匂いで、目が覚めました。
朝から元気で素晴らしくありがたいことですニコニコ
 
やっと、クッキーローラーを購入しました。以前から欲しいなぁと思っていましたが、口コミを見て、買わないほうが良いかもしれないと思って、見送っておりました。欲しいなぁと思っていたのは3年ほど前・・それ以降は、ローラーの柄部分の彫りが深くなり、しっかりと柄が付くように改良されたそうです。
さて、これでどのようなクッキーを焼こうかなひらめき
 

 
SNSより。曇天でも美しいキラキラ
 
女の子猫。夫よりも私のほうが出勤時間が早いのですが、夫が出勤する時間には、猫たちはおねむに入っているようです。
男の子猫は、ケージの上のクッションでぐぅすかぴーしています。
 
 
先日購入したホワイトティは、このようにしてアイスティにするのがお勧めだそう。
今、温かいお茶として頂いていますが、桃の薫りがして美味しいです。
 
紅茶のことはよく存じずで、今までは商業施設に入っている茶葉屋さんでお得な福袋を購入していました。
いつしか、福袋の茶葉を早く飲み切るのが義務のようになり・・3年位前に福袋の購入を止めて、必要な時に必要な量を購入することにしました。店員さんに相談しつつ購入するのも楽しいです。
以前、料理に合わせて、茶葉を変えると楽しいことを教えて頂きました。メンチカツにはこの茶葉、お刺身にはこの茶葉・・と。
へぇーと驚きましたが、フレーバーティでなければ、美味しそうだなと思いました。
今、ガラスポットに作り置きして、食事の時に頂いている「ほうじ茶」がとても美味しく感じられて、朝は冷たい飲み物は控えるようにしているのですが、口に入れるとやはり美味しいと感じます。このほうじ茶は、食品ストアで袋入りで売られている安価なものですが、美味しいです。
 
仕事の話になります。
「以前も言いましたよね。何度も話ましたよね。」と言う人がいます。
この言葉を聞くと、「はい。だから何ですか?(その次のステップは?その質問がどのような助けとなるのか?)」と聞きたくなります。
興味深いことに、この言葉を多用する人は、結果をより良いものにするために、という目的は持っていないことのほうが多い・・
人が育っていくプロセスに対して思い巡らす、そもそも想起すらしていない点も。
業務改善、効率化・・これも、意味がわかっていない場合もある。。PDCAを前提にもしていない。
(PDCAなどという単語を口にしたら意識高い「系」扱いされるかも知れない。私の言葉がかたくて論文みたいだ、と言った人と同じ反応をするかも知れません。このような人たちが行う「改善」や「効率化」は、徹底的な「属人化」・・暗黙知を形式知にすると言っても、外の視点が欠如しているので、言葉足らず。わからなければ、自分で言葉を足せばいいでしょ、という開き直りがあり、結果、自分が楽した分、他者にしわ寄せとなっているのに、それを効率化と言っている。全体で、という発想がないから、仕方ないのか。なんてぬるま湯なのだ!とこのような光景を見せつけられるたびに感じますオエー
 
めざめなさいロケット おはようバズーカー、ぶっぱなすわよ乙女のトキメキ
 
すごい剣幕で、人の首を獲る勢いで、追い詰める勢いをぶつけてくるわりに、要因分析をして、次回から未然防止をするとうところまでの発想がない、次回から防止することを目的にして、勢いを持って追及しているのか?と言ったら、違うんだってさー。
だから、時間が経つと、追及が弱くなって、それについて言及すると「そんなことどうでもいい。まだ気にしているのか?」という態度で返してくるので、個人的にはとても興味深いです。無責任?思考も自分の感情の扱いも粗いのだな、という印象がより強くなります。
 
この「人の首を獲る勢い」というのも、その人が持っている心理ゲーム、シナリオなのだろうな。
ゲームに巻き込まれないためには、必要のない謝罪をしないこと、と思っています。理不尽な状況に対して、なんとも言えない気持ち悪い関係、空気を回避したいために「すみません」と言うことで、プレイヤーとして引きずり込まれてしまう。ゲームを仕掛けられる時は大抵、「言っていたこととやっていることが違う」と言って、言いがかりレベルの内容で、こちらを責めてきます。しかし、よくよく冷静に事実整理をすると、本当にこちらに責任があるのか?怪しいものなのです。
 
こういうゲームの「独り芝居?」のようなものを見せつけられる度に、その人の生育史を想像してしまいます。
母親から、父親から、「何で、言うこと聞かないの!」と責められて育てられたのではないか?そして自分自身がなくて、同じように「責め」により人をコントロールしようとしているのかも知れない、その世界、その脈絡の中では自分は生きることが出来るから・・かも知れません。
 
また、もう一つ、この彼女の姿は、私の中の「私」なのかも。私には、厳格な面があり、その面によって、いつも人を裁いて、自分も裁いている、息苦しい窮屈な「私」がいます。
私の中の「私」と前述の女性の「人の首を獲る勢いが気分によるもの」とは異なりますが、人には「高圧的」とみられているかも知れません。
 
私も人に対して「はい。だから何ですか?」と思われるような、次のステップを感じられない(建設的ではない)ような発言をしているかも知れません。
相手にも癖の強いゲームがある様子なので、これに巻き込まれないように境界線はしっかりと引いて関わってゆこうと思います。
私も私で、相手の未熟さや弱さゆえの過ちある言動の「理由」を求めて、相手の裏を返すような問いを投げてしまうので、この点が「とっちめてやるぞ」のゲームにならないようにしなければ真顔
 
私も相手も、同じレベルにいるのだと思う。お互い、レベル低いのよねびっくりマーク爆笑
 
本日の無事に感謝。
皆様、おやすみなさいませ星空