『特別』を人生の信念にしたなら、どうなるのでしょう?

 

それは、まさに『寅の翼』で描かれた美佐江のような悲しい結末に終わる可能性が高いと言えるでしょう。

 

私は、幸いにも慶應幼稚舎の受験に失敗し、その結果港区立南山小学校へゆき、しかも成績も悪く、自分を『特別』と思うことなど出来ませんでした。反対に私は出来が悪いゆえに、両親のいう『いい子』でないことに恐れを抱いていました。

 

幸い、小学2年生の時に、知能テストを受け、担任の先生が「どうも今回の知能指数テストの結果は、学校の成績と一致していないようです」と言われた時、直観的に私のことと分かり、まさに救われる思いでした・・・。

 

両親や学校の先生などから、道徳や精神について教わることがなかった私は、それを自分で見つけ出すしかありませんでしたね。

 

しかしながら、幸いにも私は、幼い頃から『意識の永遠性』を確信していたため、『輪廻転生』やら『因果応報』やらといった、精神世界の真実を受け入れることが出来ていたため、美佐江のように自分の能力の『特別』さを、私自身の人生の指針とはせず、言い換えると自分の信念とすることなく生きてこれたのです。

 

ただ、元麻布に戸建ての家があり、慶應で、金持ちであれば、相当程度に謙虚な姿勢を取らねば、誰にとっても「鼻持ちならない奴」であることは間違いありません。

 

そこまでの配慮について私自身、少なくとも離婚を経験するまで足りなかったと自覚しています。それは、夫という肩書を失い、地位や肩書の虚しさに気づかされたからですね。私は、ひとつひとつの失敗から学んでいます。

 

しかし私の家族は、『特別』さを信念として生きているため、私の失敗を『負け犬』と判断します。私の主張は『負け犬の遠吠えだ』といいます。残念ながら私のそのような人生への取組みや内面の成長を理解することは難しいようで・・・。

 

それはさておき、このスピリチュアルの真実に気づいているのか、いないのかは、明らかに人生観に決定的な違いを生じさせるでしょうね。

 

美佐江は、ちょうど私の両親と同じころの生まれです。物心ついたころ、道徳的な文章のすべてが黒塗りの教科書で青春時代を過ごし、意識の永遠性、輪廻転生や、因果応報に気づいていないなら、自分の能力の『特別』さを、唯一人生の生きがい、信念として生きてしまうのは、やむを得なかったでしょう。

 

私の目線で見ていた私の両親も、美佐江と同じような観点を持ち生きていたのは、疑う余地はありません。

 

あなたの信念は、どのようなものでしょう?

 

大谷翔平の座右の銘は、戦国武将武田信玄の言葉で「真剣にやったら知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だといい訳ばかり」だそう。

 

マザー・テレサの座右の銘は、「謙虚さは真理なり」でした。私はと言えば「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」です。

 

大谷翔平は、世界一の野球選手を目指しました。マザー・テレサは、悟りを目指しました。私は、スピリチュアルの真実の追求を目指したという訳です。

 

誰もが、信念を持って生きています。ホーキンズ博士は、信念が人を生かし、信念なき場合、死が待っていると述べている通りでしょう。

 

あなたも、何らかの信念に突き動かされ、不断の努力を積み重ねることが出来ます。

 

問題は、それが真偽の臨界点である200を超えているのか否かですよ。

 

200未満は、自分のことだけを考えて生きるレベルの『信念』です。それは、美佐江や私の両親のようにプライドを『信念』とする場合などに該当するでしょう。

 

 

200以上は、自分と他者の価値を同じレベルに置き生きるという『信念』ですね。マザー・テレサ、大谷翔平や、不肖ながら私も、視点は常に他者を自分と同列以上のものという価値観のもと、それぞれの信念を座右の銘にしています。

 

私が「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が座右の銘である最大の理由は、エゴとスピリットの違いを、私は幼い頃から理解出来ていたものの、家族を含め、周囲にそれが分かる大人が誰もいなかったことからですね。世の中、何かおかしいという疑問からでした。

 

電子書籍を発刊しました。「愛 その真実とは」

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ホーキンズ博士も推奨

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