こんにちはわんわん

 

 

 


前回の記事では 私たちが ”神・仏” に 帰依することで・・・

 

自分自身に ”超能力” が 備わることによって・・・

 

数多くの ”奇蹟(きせき)” を 起こすことが 重要であることを 述べました。星

 

 

 

 

 

しかし そこで 重要なポイント に なるのは・・・

 

信仰者としての ”ひとりの人間” が 日常生活に おいて・・・

 

自分自身が ”神・仏” に ”近づきたい” と 願うことが 基本にあります。

 

そして その結果 さまざまな ”戒律” を 守ることによって・・・

 

その人間が 徐々に ”人間以上の存在” へ 近づくことに なるのです。走る人キラキラ

 

 

 

 

 

 

つまり 私たちが 本当に ”神・仏” に ”救われる” ためには・・・

 

宗教における ”戒律” を 守ることが ”絶対条件” なのです。注意

 

ただ ”神・仏” に 対して ひたすら “拝みつづける” ことを していても・・・

 

私たちが ”戒律” を ”実践” しなければ・・・

 

それは ほとんど ”無駄な行為” に 終わることが 多いのです。ガーン

 

 

 

 

 

 

では そもそも ”戒律” とは どのようなものなのか?

 

それを かつて このブログでは ”原始仏典スッタニパータ” の 内容によって・・・

 

私たちは ”具体的” に ”どのように 生きるべきか?” を 考えました。

 

最近 このブログでの 新規の読者様も 多く いらっしゃいますので・・・  

 

その ”戒律の内容” を ここで 一部 振り返ることに いたします。

 

かつて お読みになった方々も その内容を もう一度 ご検討ください。ニコニコ

 

 

 


★★★★★



これまで ”原始仏典 スッタニパータ” の 内容を 見て参りましたが・・・

今回の記事では 第二章の ”最終節” の 内容を 取り上げます。

これは 私たちのような ”世俗に生きる者” に 対しての・・・

”ブッダの教え” が 明確に 示されているものです。




その内容は ”ダンミカ” という名の ”在家信者” が・・・

”500人の信徒たち” とともに ブッダの前に やってきて・・・

その貴重な教えを 説かれている・・・という場面です。

この節も 非常に 長いものですので ”要約した内容” を 示します。

それでは 第二章 第十四節 ”ダンミカ” の 内容を 見てゆきます。





376 ”智慧 (ちえ・真理を知っていること)” が 豊かな ゴータマ・ブッダよ

    家から出て ”出家する人” であろうと

    ”在俗の信徒” であろうと

    どのように 行く (生きる) のが よいのですか?

   
    (中略)


385 (ブッダは 答えた)

    (出家した) 修行者たちよ われに聞け。

    ”煩悩 (欲望)” を ”除き去る修行法” を 汝らに 聞かせよう。

    ”目的 (解脱すること)” を 目指す 思慮あるものは

    出家人にふさわしい そのふるまいを 習い 行え。




386 (出家した) 修行者は

    時ならぬのに (昼間以外に) 歩き回るな。

    定められた時 (午前中)に ”托鉢(たくはつ)” のためにだけ 村に行け。

    時ならぬのに 歩き回るのは ”執着” に 縛られるからである。
   
    それゆえに ”目覚めた人” は 時ならぬのに 歩き回ることはない。




387 諸々の 色・かたち・音声・味・香・接触 (人間の欲望の対象のこと) 
 
    それらは 人間を ”酔わせる” ものである。

    これらに対する 欲望を 慎んで 

    ”食料” を 得るためにだけ 村に入れ。




388 そうして 食物を得た 修行者は

    ひとり 退いて ひそかに 坐れよ (坐禅しなさい)。

    自己を 制して ”内に” 顧みて 思い

    (自分の) こころを ”外に” 放ってはいけない。




389 そんな (出家した) 修行者は

    (真理の) 教えを 聞きに来た人が あれば

    あるいは 他の修行者と 語り合う時が あれば

    その人には “優れた真理” を 示してやりなさい。
  
    ”陰口” や ”誹謗 (ひぼう・悪口)する言葉” は 発してはならない。




390 (その意味は) ある人間たちは

    ”誹謗の言葉” には 反駁 (はんばく・反論) するものだ。

    そのような こざかしい人間を われらは 賞賛しない。

    (ある人間たちには) “論争への執着” が あちこちから 生じて

    (”反論” を お互いに言い合う ”不毛の争い” への 執着心のこと)

    それで 彼らは そこに ”束縛” されることになり

    そこで 彼らは 自分のこころを ”遠くへ” 放ってしまうからである。

    


391~2 ”智慧” に すぐれている ブッダの弟子たちは

    ブッダが説いた ”理法” を 聞いて

    食物・住む場所・寝具・衣を洗う水 に 対しても 注意しており

    それゆえに 修行僧たちは それらに対して

    ”執着” したり ”(欲望に) 汚れる” ことはない。

    それは あたかも ”ハスの葉の上の水滴” が  汚されないようなものだ。




393 次に ”在俗 (在家)の者たち” が 行うべき つとめを 汝らに説こう。

    それらを 実行するものは 善い教えを聞く “仏弟子” である。

    純然たる 出家者に対する さまざまな ”規定 (戒律)” を    
    
    ”所有のわずらい (所有することでの心配)” が ある人 (在家者)が 

    それらを 達成するのは 容易なことではない からである。




394 (在家の人間も) 生き物を 自ら 殺してはならぬ。     

    また 他人に 殺させてもならぬ。

    また 他人が 殺害するのも 容認してはならない。
    
    強い者でも おびえている者 (弱い者) であっても
  
    すべての生き物に対する ”暴力” を 抑えなさい。
 



395 次に ”与えられていないもの” は なんであっても

    また どこにあっても これらを ”取る (盗む)” ことを やめなさい。

    また 他人に ”取らせる (盗ませる)” ことも あってはならず

    他人が ”取り去る (盗む)” ことも 認めてはならない。

    


396 ものごと (真理) が 解っている人は

    ”淫行 (性的な交わり)” を 回避しなさい。

    燃え盛る 炭火を 回避するように。

    もし それが できなければ・・・

    少なくとも 他人の妻を 犯して (不倫)は ならない。  
          



397 会堂 (集会)に いても 団体 (社会)に いても
 
    他人に向かって ”偽り (うそ)” を 言ってはならぬ。

    また 他人に 偽りを 言わせてもならない。

    他人が 偽りを 言っているのを 容認してもならない。

    すべて 虚偽を 語ることを 避けなさい。




398 ”飲酒” を してはならない。

    他人に 飲酒させてもならない。

    他人が 飲酒することを 容認してもならない。

    これは 終いには 他人が “狂酔する (狂う)” ことになるからである。




399 それは 諸々の ”愚者” は “酒に酔う” ことで・・・

    ”悪事” を 行うからであり

    また 他人を ”怠惰ならしめる (なまけさせる)” からである。

    このような ”わざわい” を 回避しなさい。

    “酒に酔う” ことは “愚者” が 好むことであり

    人間を 狂わせて 迷わせる (苦しませる) からである。





400~1 (1) 生き物を 害してはならない。 (殺してはならない)

      (2) 与えられないものを 取ってはならない。 (盗んではならない)
 
      (3) うそを ついてはならない。

      (4) 酒を 飲んではならない。
 
      (5) 淫事 (性的交わり) の 不浄の行いを やめなさい。 (以上が ”五戒” )

      (6) 夜間に 時ならぬ 食事をしてはならない。 (昼までに済ませよ)
  
      (7) 花飾り (装飾) や 芳香 (香水)を つけてはならない。

      (8) 地面に 床を敷いて 眠りなさい。

      
       これらが 八つの項目からなる ”ウポーサタ (八斎戒)” である。

       苦しみを 終滅させた ブッダが 示したものである。




402  そして これらを 毎月 8日 14日 15日 に 

     ”ウポーサタ” として 清く 澄んだ心で 行いなさい。



403  この ”ウポーサタ” を 行った

     ”真理” を 理解している ”在家信者” は

     次の日の早朝に 食料と 飲料を 

     ”僧侶たちの集団 (サンガ)” に 分け与えなさい。




404 そして ”正しい法 (理法)” に従って 得ることができた 財産で

    あなたの 父母たちを 養いなさい。
    
    ”正しい商売” を 行いなさい。

    (これは “不正な商売 を してはならない という 意味であり・・・

 

          “不正な商売” とは・・・
 
     武器の売買・人身売買・生き物の売買・肉の売買・酒の売買・毒の売買 など )

    
    このように つとめ励み 怠ることなく 暮らしている ”在家信者” は

    ”死後の来世” では

    みずから光を放つ という 神々のもとへ 赴けるのである。




以上が 第二章 第十四節 ”ダンミカ” の 内容でした。本






ここでは まず ”出家(しゅっけ)修行者” に 対するもの・・・

そして その次には ”在家(ざいけ)修行者” に 対するもの という・・・

両者に対する ”正しい生き方” が 順番に 示されていました。星






では なぜ 出家者と 在家者に ”同じ内容” を 示さなかったのか?

それは No.393にも 示されていますが・・・

”在家者” は さまざまなものを ”所有” しているのであり・・・家

そこでは さまざまな ”心配” や “不安” が あるからです。

そんな ある意味 ”ハンディ” を 背負っている ”在家者” に対しても・・・

ブッダは 人によって さまざまに ”説き方を変えた” のであり・・・

”出家者” とは ”別の生き方” を 示したのです。ひらめき電球
 





つまり 私たちのような “世俗に生きる者” というのは・・・

“出家者” に 比べれば 多くの ”ハンディ” があるので・・・

註釈にもありますが ブッダの死後 仏教での ”出家僧侶” たちは・・・

そこで “在家信者” たちを “低く見る” ことが 始まったようです。べーっだ!

 

 

 

 

 

これが 先日も このブログで書きましたが・・・

仏教における “特権(差別)意識” の 始まりだったようです。(※)

しかし これが 仏教での ”主流の思想” に なってしまえば・・・

ブッダが 生前 望んでいた ”すべての人間が 救われるように!” というのも・・・

完全に ”実現不可能” に なってしまうわけです。ショック!






それゆえに ここで 私たちが 注意すべきなのは・・・

ここでの ”在家者” に 対する ”戒律” というのは・・・

”出家者” に 対する内容に ”準じたもの” なのであって・・・

それだけでは ”不足” なのです。

それゆえに 私たちは ここに書かれている ”すべての戒律” について・・・

今後の人生で ”実現する” ことが 重要です。目






また 後半の部分で 登場する ”ウポーサタ” とは・・・

バラモン教団に 所属している ”出家修行者(比丘・比丘尼)” たちが・・・

月2回 新月 と 満月の日(15日・30日) に 集まって・・・

”具足戒 (ぐそくかい) という ”戒律本” を 読み上げて・・・

それらに 抵触していないか ”確認・反省・懺悔” する 儀式のことを 意味しています。巻物

 

 

 

 

 

 

さらに ”在家信者” においては・・・ 

毎月の ”六斎日” (8日・14日・15日・23日・29・30日) に

通常の ”五戒” から ”八斎戒 (はっさいかい)” へと・・・

より ”厳しい戒律” を 守ることが 行われていました。

これが その後 ブッダの死後における ”仏教教団” にも 継承されたのです。クローバー


     
     



世界での 主要な 宗教においては・・・

”戒律 (かいりつ)” というものが 存在しています。

それは なぜなのか? といえば・・・

No.385にも 示されているように・・・

私たちが 到達すべき ”目的” が あるからです。星







つまり 私たちが・・・

その ”目的” に 到達するためには・・・

宗教家たちが 示していた さまざまな ”戒律” に 従うことが 必要です。注意







では その ”目的” とは 何なのか?・・・

それは 世界の 主要な宗教における さまざまな教義を ”総括” しますと・・・

それは 私たちが ”死後の来世” において・・・

“地獄世界” へ ”転落しないこと”・・・であると 考えられます。ガーン







つまり 私たちが ”戒律” を 守らなければ どうなるのか?

その意味は 私たちは ”死後の来世” では 確実に・・・

さまざまな “地獄世界” へ ”転落してしまう” ことに なるのです。ドクロ

そうならないために さまざまな 宗教家たちは 人類に対して・・・

”厳しい修行生活” から 導き出された・・・

その貴重な ”戒律” を 示していた と 考えられるのです。目








また ここで 原典の註釈を 記された・・・

”中村元(はじめ)氏” による 内容を ご紹介しますと・・・(No.386の 注釈より)



”仏教が 最初に説かれた時には 後世の仏教徒たちが 考えたような

 <仏(ほとけ)> を 問題としていたのではない。

 思慮ある人 求道者としての ブッダを 考えていただけ なのである。

 求道者を ブッダから 区別したのは 後代の 思想的所産 なのである。
 
 いわゆる <仏教学> なるものを ”捨てて” かからなければ・・・

 スッタニパータを 理解することは できない。・・・”

・・・ということが 述べられていました。本






つまり ”原始仏典” に 記されている さまざまな内容 というのは・・・

私たちが これまで知っていた ”仏教の概念(大乗仏教)” とは・・・

”全く異なっている” ことを 認識しなければなりません。注意

 





それは 仏教の開祖である ”ゴータマ・ブッダ” というのは・・・

”人間” としての ”ひとりの修行者” と 位置づけられており・・・

つまり 私たちが 知っているような ”超人的な仏(ほとけ)” としての・・・

”願いを叶えてくれる存在” では 全く ありません。ガーン







それゆえに この ”原始仏典” に 示されている 内容こそが・・・

私たちが ”本来の仏教” を 知ることによって 理解できる・・・

”本当の意味” での ”救われる道 (方法)” なのです。星







つまり 私たちが・・・

どれほど ブッダの姿を 具現化した ”仏像” を 崇拝していても・・・

どれほど さまざまな “経典” を 唱えたとしても・・・


ここに書かれている さまざまな ”戒律” を ”実践” しなければ・・・

私たちは いつになっても ”救われることはない” と 考えられます。ガーン







私たちが この世界での ”苦しみ” から 救われるためには・・・

さまざまな ”戒律” を・・・

”自分自身” によって “実践する” ことによる・・・

“自助努力(じじょどりょく)” を することが 不可欠です。

それが ”本来の仏教” としての・・・

“原始仏典” における “ブッダの教え” の ”核心” なのです。目






     
また ブッダの教え で 重要なのが・・・

No.388・390 にも 示されていましたが・・・

”自分のこころ” を・・・

”外へ” さらには ”遠くへ” 放ってはいけない・・・ということです。

これによって ブッダの教え が・・・

”自分自身の内面” を 重視していることが 理解されます。ドキドキ




    

それは “五戒の内容” からも 読み取れますが・・・

私たちが ”殺す時”・・・“盗む時”・・・“ウソをつく時”・・・

“酒を飲む時”・・・”性交する時” は・・・

私たちの ”内面的な心の状態 ” というのは・・・

確実に ”乱れている” ことが 自覚されます。波

つまり 私たちが “心乱れた状態” が 続けば・・・

ブッダが 説いていた ”ニルヴァーナ (涅槃寂静)” にも 到達できません。ショック!







それゆえに 私たちは ”自分のこころ” を・・・

決して “外部” には 放っては いけないのです。

そして ”自分のこころ” を ”内部” に ”集中する” ことによって・・・

自分自身を ”制する(コントロールする)” ことが 重要になります。

そのために 必要なのが “瞑想(めいそう)” による 修行法なのです。(※)得意げ







それによって ”自分のこころ” から ”汚れ” を 取り除いて・・・

”清らかにする” ことも できるのであり・・・

それで ”自分のこころ” が ”乱れる” ことも なくなって・・・

自分自身を ずっと ”平穏に維持する” ことが 可能になると 考えられます。ドキドキ



 

 

ブッダは なぜ 人類に対して・・・

”ニルヴァーナ(平穏の状態) を 実現せよ”・・・と 説いていたのか?

それは 私たちが ”この人生” で・・・

さらには ”来世” において・・・

“地獄世界” へ 導かれないために 説かれていたようです。ドクロバツレッド






私たちは この人生において・・・

何のために ”努力” するのか?・・・

そして 何を ”目的” に 生きるべきなのか?

その ”答え” というのは・・・

”原始仏典 スッタニパータ” を 読めば 自ずと 理解されてくるようです。本






皆様も もし この人生で・・・

“生きる目的” を ”見失う” ことになって・・・

この人生が ”無意味である” などと お考えになった時には・・・

“原始仏教” としての ”ゴータマ・ブッダの教え” に 立ち戻られて・・・

さまざまな ”戒律” を ”実践する生き方” に 変えてみては いかがでしょうか?

それによって この人生が ”無意味ではない” と 思えるようになり・・・

さらには 自分自身を “永遠の幸福” に 導くものになると 考えられます。目







これまで 見て参りました 原始仏典 スッタニパータ 第二章の内容 というのは・・・

このように 重要な内容が ”列挙” されています。

皆様も これまでの内容を いま一度 再確認されて・・・

ご自身の 今後の ”人生設計” に 生かされてみては いかがでしょうか?星








私たちは ”死後の来世” に 置いて・・・

 

“地獄世界” に 導かれないためにも・・・

この人生で できるだけの ”自助努力” をして 参りたいですね。ニコニコ












(※) この世界での “地獄” について 考えました・・・

    “地獄世界とは?” の 記事は こちらです星





   仏教における “特権意識” の 問題点についても 触れました・・・

   “出家の意味とは?” の 記事は こちらです星




   
   そして 原始仏教における “瞑想の意義” が 理解できる・・・

   ”八正道(はっしょうどう)” の 解説記事は こちらからどうぞ星