春隣(はるとなり)


春隣と言うにはまだ早いのかもしれないが、
年明け早々、下がりはじめた午後の日が射し込んでいる庭先は、
小春日和と云うほどの温もりはないが、妙に静けさに満ちている。
実家に転居して、庭先まわりの野道を歩いてみたのはこれが初めてである。
大地の風景は、荒れた雪模様の日のなごりを受けて、
澱んだように汚れてはいるが、
野道に目を凝らすと、そこには光のざわめきと、
蠢きはじめた春の息吹が散見されて心うれしくなる。
それは、春そのものの真っただ中に見る美しさとは裏腹に、
ひそやかに隠された力強さを感じるがゆえに、甚く惹かれものがある。

冒頭に掲げた写真は、不思議な光の散乱を捉えたものであるが、
道の脇の下り坂になった小さなU字溝に射し込む強い午後の斜光が、
前夜の激しい雷雨を受けて一転、晴れ上がったこの日、
まだ、ちょろちょろと小刻みに流れつづける水に撥ねて煌めくさまである。
水底は流れ込んだ土で澱んではいるが、
半円形のU字溝であるがゆえに、小さな水滴が溝全体にまで、うっすら残り、
そこへ注がれた陽射しが、まるで光のグラデーションをかけたようになり、
そこで光は、小刻みに撥ねては、きらきらとまるで踊るような輝きを放っている。
まるで、ものの存在そのもののありようを、光が握っているかのようである。

そして草地に目をやると、そこは、はや、
ホトケノザに席巻されたようにも見えるが、
名の知れぬ小さな花たちも散見され、それがやけに気丈に映る。
大地から芽を出しはじめたものは、どこかしら、力強さを宿している。

松江から持ち帰った初雪蔓(かずら)の葉が、
白からピンク色へと色を変えはじめていて、それにも、はっとする。
まるで、恋する人に見つめられ、
恥らうかのように、ぱっと頬を赤らめる女人のようでもある。
同様に運んできた、鉢植えの梅もいつのまにかほころびはじめている。
家のまわりを見渡したほどで、こうであるから、
日々見失っているものは、草花に限らず数多(あまた)あるに違いない。

年初そうそうに被災された方たちは、
それどころではないはずで、重苦しいのだが、
やがて、北国も春隣、野の草花が何ものにもめげず、
ひび割れた大地から芽を出し、必死に花咲かせてみせるように、
再興の道に向けて歩を進められることを願ってやまない。

春隣を詠った句を見つけたので、載せておきます。

ほどけたる 雪に日溢れ 春隣

日野草城(ひのそうじょう)「昨日の花」より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春隣/朗読版

 

 

春よ、来い/松任谷由実

 

 

短編小説 恋文~往信 朗読版

 

短編小説 恋文~返書 朗読版

 

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不肖私めの撮影した写真も少しだけ入れてありますので、よろしくです。

 

「だんだん」は、出雲地方独特の方言で、ありがとうの意です。

 

 

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