意識の眼


見て見ぬふりというのもあるが、
視界には入っていて、目の網膜に映りはしていても、
意識がそこへ向かわず、見えていないに等しいものもある。
かと云えば、近くに在っても気づかず、目にさえ留めていないものもある。
そういう意味では、意識さえ変えることができれば、
周囲は、いくらでも新たな世界を見せてくれる宝庫にも成り得るかもしれない。
特に草花などは、この時期繁殖スピードが著しく速いので、
知らぬ間に、景色を一変させてしまってることがあるのに、
それすら、まったく気づかぬこともある。

最近、こんなことがあった。
我が家の勝手口の通路、狭いうえに隣家も迫っているために、
内鍵をしてしまって、出入りに使うことはなく、
大袈裟に云えば、身近にある人跡未踏の地なのだ。
そこは、当初きれいに踏み均した砂地の土が入れてあったので、
土色のそんなイメージしかない。

ところがである。
先日、風呂の湯の出具合が良くなく、
勝手口にある室外機の点検に回った時のことである。
通路一面、まるで苔生したように緑の色に蔽われていて驚いた。
一瞬、苔ではないかと目を疑ったが、
ところどころ小さな花が咲いてるところを見ると、
苔ではないようだったが、まるで苔のごとく、
一面緑の絨毯を敷き詰めたように隙間なく地面を蔽い尽くしている。
勝手口の雑多なものを視界から取り除き、
そこだけに眼(まなこ)を絞り込めば、
意外にも綺麗なミニチュア庭園ほどにも見えてくる。
また、そのように見たいものだけ切り取ることができるのも、
写真のおもしろいところだ。
まさに写真は意識の反映でもある。
意識の眼が、写真のどこに焦点を当てているのかが肝要な気がする。
それは、写真に現れるレンズの焦点と必ずしもイコールではないかもしれない。
誰にでも、裏の心と云うものが在るからだ。
 

 

☆おことわり☆

諸事堆積しておりまして、
しばらくのあいだ、
「フォトエッセイ」不定期更新とさせていただきます。
変わり映えしないブログに、
日々変わらず、温かな眼差しを注いでいただき、
まことにありがとうございました。
継続再開を期して、写真は撮り続けておりますので、
その日まで、お待ちいただきますよう、
よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田拓郎/言葉

 

 

古くからの友人、高木早苗さんが、松江市観光大使を務める京太郎さんと、

ご当地松江を舞台にしたデュエットソング、

『さよならだんだんまた明日』をリリースされました。
とても素敵な歌ですので、是非聴いてあげて下さい。

不肖私めの撮影した写真も少しだけ入れてありますので、よろしくです。

 

「だんだん」は、出雲地方独特の方言で、ありがとうの意です。

 

 

 

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