幾度も病を乗り越えて今年62周年だった

フランソワーズ・アルディさんが、

6月11日 鬼籍に入られました。合掌







フランソワーズ・アルディさんを

知ったのは、筆者が中学2年の時だった。

女性アイドルのレコードを購入して得た

サービススタンプ(昭和💦)で、誰の

レコードを貰おうか?悩んでいた14歳の

筆者に「私なら荒井由実にするな〜」と

店員のお姉さんがポツリ…単純な男子は、

「それにします」そんなきっかけだった。



1974年は、LPレコードの時代だった。

全10曲のアルバムだが、A面を聴き終えると

B面にして聴くスタイルだった。

そのB面の4曲目(ラス前)に収録されていたのが、

「私のフランソワーズ」だったのだ。 

ユーミンが、フランソワーズ・アルディを

イメージして作詞 作曲した楽曲である。




荒井由実としては、2ndアルバムになるが、

この時点の荒井由実 作詞作曲のLP楽曲として

最長の 5分12秒の楽曲なのである。

14年の少年だった筆者は魅了された。


それから2年後の1976年、高校1年の時に
フランソワーズ楽曲を知ることになった…
大ファンだった木之内みどり(当時19歳)さんの
サイン会ミニLIVEで、木之内さんが頻繁に
セトリに入れ歌われていた楽曲
「涙が微笑みにかわるまで」この曲が、
フランソワーズ・アルディの
「さよならを教えて」(日本題)のカバーだったのだ。
万里村ゆき子さんの訳詞で、1972年に
美岐陽子さんが歌唱されていたバージョンを
木之内さんが、キュートに歌唱しておられた。
「最後のお茶だから時間かけて飲むわ…」の
歌詞が印象的で…4年後に芸能界に入ってからも
ずっと忘れられずにいたのだ。


♪さよならを教えて の原曲は、英語だったが、
セルジュ・ゲンズブールが、フランス語の
詞をつけ…フランソワーズ・アルディが、
歌唱するに至ったのである。



そして、今年1月にユーミンファンの
シャンソン歌手 大輔さんが、
ユーミンの古希を祝うBirthday トリビュート
LIVEを開催される時に 筆者がリクエストした
♪私のフランソワーズ 
大輔さんが、MCにおいて弾き語りで、
♪さよならを教えて の何小節かを歌われた。
「全編歌唱してください」とリクエストして
大輔さんが偶然にも見つけて歌唱されたのが、
木之内みどりさんバージョンの歌詞だったのだ。


その翌月(2月)に シャンソン歌手
珠木美甫さんが、18年片時も離れずにいた
愛犬 一休君が、虹の橋を渡られた。


皆に愛された一休君が、いてくれたことを
歌に残したい…と思った筆者の頭の中に
フランソワーズの「さよならを教えて」の
旋律が鳴り響いていた。
さよなら…の言葉を使わずに
これまで日本語で歌われていなかった
作詞をしてみたのであります。
キャリアある歌い手さんに認めて頂いた
筆者の作詞家デビュー作なのです。
お優しい珠木美甫さんは、
「私だけの曲にせずに大切な人や
ペットちゃんを亡くされた全ての方が
歌える歌詞にしたいです」と仰って下さり
ブラッシュアップし完成形になったのであります。


この画像は、8年前に筆者が撮影させて頂いた
珠木美甫さんなのですが、偶然にも
フランソワーズ・アルディさんの
♪さよならを教えて  のジャケ写と
同じアングルだったので、驚きました。

ピアニスト ショーン星野さんが、譜面を
作ってくださいました。
珠木美甫さんのアイディアで、
ラストの(一休)部分は、歌う方が
愛した方のお名前を言えるように
作られました。
珠木美甫さんは「どなたでも自由に
歌って頂き元気になってほしいです」と
仰ってくださいました。
天国のフランソワーズ・アルディに
届きますように…



【追記】
フランソワーズ・アルディ は、
生涯で…3度 来日しています。
初来日は、1974年4月
  2度目は、1991年4月
  3度目は、1996年7月
この3度目の来日の際に
紙媒体 フラウ(講談社)の取材で、
松任谷由実 との対談をしたのです。

 出典  FRaU (フラウ)