ちゃんと教との上手な付き合い方。No.6295 | spiritual VOICE 365

spiritual VOICE 365

スピリチュアル・カウンセラー
八幡宇影のメッセージです。

この星には、“ちゃんと教”
という宗教があります。
 
この宗教には、“普通教”や
“常識教”という別名もあります。
 
多くの人間がこのちゃんと教を
かたく信仰しています。
 
土地ごと、勤め先ごと、家ごと、
人ごとに教義が違う土着の
宗教です。
 
私たちが人生の先輩方から
「ちゃんとしなさい」と言われた
ときは、ちゃんと教の教義を
教え込まれた場面です。
 
私たちが人生の後輩たちに
「ちゃんとしなさい」と言った
ときは、ちゃんと教の教義を
教え込んだ場面です。
 
 
ちゃんと教の目的(大義名分)は、
「人の幸福のため」だと
されていますが、実のところ
ちゃんと教を信仰しても
幸せにはなりません。
 
これはちゃんと生きてきた
人たちの本音を聞いてみれば
わかると思います。
 
人の幸せは、いまこの瞬間の
自分を生きることであり、
一人一人異なるものだからです。
 
固定された物差しが
なくなればなくなるほど、
いまここを生きることができて
幸福感は増します。
 
幸せに生きるには、
ちゃんと教から脱出したほうが
よいということです。
 
 
それならちゃんと教には
一切価値がないかといえば、
そうでもありません。
 
ちゃんとすれば
幸せになるわけではありませんが、
いやな目にはあいにくくなります。
 
いやな目にあう不安から逃れて
安心に似たものを感じます。
 
おそらくいままでちゃんと教を
教え込んできた先輩たちは、
好意的に解釈するならば、
あなたをできるだけいやな目に
あわせないように導いてきたのだ
と思います。
 
 
ただし、です。
 
ちゃんとしようとする行為
そのものが、
それで避けられるいやな目よりも
圧倒的にいやなことであるならば、
ちゃんとすることを中止した方が
よいでしょう。
 
ちゃんとするのは、
あなたの心身に余裕があるとき
だけでよいと思います。
 
 
つまり、あなたの中にある
ちゃんと教の教義は一定の効果が
ありますが、あなたを幸せにする
ものではありませんし、
ものすごくいやな思いをガマン
してまで実践するものではない、
ということです。
 
ちゃんとできない自分をいじめる
なんて本末転倒といえますね。
 
いつもではなくて、
「余裕のあるときだけ
ちゃんとしとこうか」くらいが、
ちょうどよいのではないか
というお話ですね。