昨日(2019年1月8日)、日産のゴーン前会長の特別背任罪の件で、勾留理由開示と呼ばれる手続がありました。
勾留理由開示というのは、「憲法」に根拠があります。
憲法34条後段をみると「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示さなければならない」
とされていまして、これを受けて刑事訴訟法に規程されています。
「公開」なので、昨日はたくさんの傍聴人が集まっていましたね。
勾留理由開示制度は、制度の趣旨としては、
「勾留の理由を明らかにすることで、裁判官にもういちど再検討の機会を与えて勾留してもよいかについて慎重に考えてもらう」
というものですが、実際には勾留理由開示をしたからといって、その後の勾留取消請求が認められることはほとんどといっていいほどありません。裁判官も淡々と勾留理由を抽象的にいうだけです。
今日、ゴーン前会長の勾留取消請求も却下されていますね。
ほとんど効果がないということで、刑事弁護において勾留理由開示を行うことはあまりありません。やるとすれば、「公開」であることを利用して、接見禁止が付されているときに傍聴している家族に元気な姿を見せたいというような動機で行うことが多いのです。
ただ、それでも今回勾留理由開示を行ったのは、別の狙いがあるのだと思います。
今回、初めてゴーン前会長の口から「自分は無実である」ということを主張していることがわかり、マスメディアも大々的に報道しました。
「推定無罪の原則」というのは、世界でも当たり前のことですが、日本ではあたかも逮捕されると「推定有罪」のように報道されてしまいます。容疑者などと何度も見ていると犯罪者のような気分になってきますね。これは世界的に見ると、とてもおかしいことです。
その中で、ゴーン前会長の口から具体的な主張を行うことで、世論も少し変わってくる部分があるかもしれません。
あたかも有罪かのような報道を食い止めることもできるかもしれません。海外の報道であれば、なおさら無罪を推定とした報道をしてくれるかもしれません。
そうすれば、逮捕によって失った名誉や地位も回復するチャンスもある。
ということを狙いたかったのではと感じるのが、今回の勾留理由開示でした。
今回のゴーン前会長を巡るこの事件では、日本の司法が世界からみると相当時代遅れである、ということがかなり露見されているのではと思います。
この事件を通じて、世界と日本の司法制度が比べられて、勾留についても、再度検討する良い機会になってほしいです。