この歳になると空気を程よく読まないスキルが大事だよね~なんてことを語り始めた営業Yです。
本当に放置しまくりのこのアカウント、そのまま朽ち果てるかと思われたこのスペースに書きたいことがあります。
最近誰と話しても「困りました、どうしたらいいでしょうか」的な角度の接触が多いのです。
その時々でもちろん真剣に対峙します(時に影響を受けて凹みます)が、夜帰ってお酒を飲みながら思うこと、引き出しから持ってくる記憶がありまして、それを少し書こうと思います。
あれは僕のたわいない自分史におけるピーク時期と言われている(誰に?)25歳のころの話。
常に暇だった僕が夜飲み歩いているときに、一番と言っていいほど一緒にご飯を食べ、二次会に行き、挙句お家に泊めて頂いていた大先輩がいました。
周囲からも認められる腰ぎんちゃくだった僕は、その方と飲み歩きながらも、主従関係ではなく本当の友情を感じておりました。
今だから言えますが、本当に良い関係性だったと思うのです。
その話もメチャクチャいろいろあるのですが、今回は別の話。
その大先輩をO先輩としますが、先輩と知り合って1年足らずのあるとき、先輩が以前から通ってた料理屋さんの、すごく男前で包丁さばきが半端ない板前さんが同じエリアに独立することになりました。
のれん分けで、しっかり本店に仁義を通した独立だったので、O先輩はもちろん町中が大歓迎ムード!益々この街が楽しくなるなぁ~というお祭りムードの中独立準備は進んで行きました。
私と先輩は独立準備の時々に、内装決めの為仙台のモデルルームに行ったり、新しい料理コースのヒントになりそうな料理店に一緒に行ったりと、ほぼ遊びなお手伝いを約半年にわたり続けてました。
皆さんも辟易していると思いますが、その時の私は常識形成に失敗し、昼間に猛烈に働き、夜は寝ずに飲み歩きつつも仕事になってて売り上げが上がるみたいな、甘すぎるエセ営業マンでして、「こんな充実した中で伝説の料理屋さんの立ち合いに関われるなんて最高だな~」って思ってました。
そんなゆるゆるな日々に激雷が落ちます。
新店開店まで3ヵ月に迫っていた料理人さんの奥さんが、それまで誰よりも明るく、新店オープンを喜び、私達にも常に鋭い突っ込みを入れまくってた、当時の僕と同年代の美しい女性が、、末期のがんであることが突然判明したんです。
最初のころは明るく語っていた奥さんでしたが、開店まで1ヶ月を切ったある日に突然帰らぬ人となりました。
その瞬間から、、
まずはあんなにセンスあふれる料理人さんが料理に興味を失い、
世話を焼き続けてたO先輩が自己嫌悪から外出しなくなり、
僕は普通のサラリーマンの生活になりました。
結局その店は開業することもなく、僕たちが半年かけて作ったプランについてはその後誰も触れることがなくなりました。
不幸自慢ではないのですが、真っ正直に、、これが僕の中にある最悪の情景です。
人が根っこから崩れるのは、多くの人と温めあった夢が霧散するときだと思うんです。
どうしようもないほどの激流に流され、事前準備もできず、事後対応するにも体制が作れないほどの無残な状況だと思うんです。
あの時の悲しみや絶望に比べたら、今の僕は屁みたいなもんです。
あの時、あの体験をしたことを、大好きだった方々のためにも無駄にしない、
だから僕は思うんです。
そんなの屁でもない。
結局ほとんどの人は困ってない。
このハプニングで発狂するほど戸惑っている人はほぼいない。
あの時の悲しみを共有する仲間は皆思ってるはずです。
「お前のそんなの、屁でもない。」