5.マタギベラ(長さ167㌢・幅8㌢) 近世中期
イタヤ製の雪ベラで日本古来の狩猟用具の代表。冬狩りでアオ猟(カモシカ)で用いられた。アオ猟は毛皮を獲るものとされ、槍を使わず、巻狩りで「マタギベラ」で斃(たお)して獲った。まん中の窪みは火縄銃が用いられたときに上端に銃身をのせ安定させて撃つことができるように窪みをつけたものである。また、狩りだけではなく、雪除けや雪洞づくり、猟具を股に挟んで急斜面を滑り下りるとき等にも用いられる冬狩りマタギの必需品、先祖代々から継承されてきたマタギの「守り刀」同等に匹敵する史料となる。

以上五点 八木沢マタギ狩猟用具 有形民俗文化財
補足)マタギベラに秘められたマタギの本質
生前、父良蔵マタギはこの史料は先祖代々から継承されたものだと言った。従って私が所有する史料は先祖代々からの継承、預かりであるが、ただ一点だけはもらったものがある。それがこの「マタギベラ」である。
世を去る半年前、父良蔵マタギが私を呼び「このマタギベラをがにける」(このマタギベラをおまえにあげる)」と差し出した。マタギベラの材質は堅いイタヤ材、先が擦り減り丸みを帯びている、大正・明治時代から用いられた史料では無い、江戸時代から家長のマタギを引き継ぐ「跡目」の猟具で私が所有する史料の中で直に(じかに)もらったのはこの「マタギベラ」だけで他の史料は先祖代々からの継承、預かりで秘められたマタギの本質はここにも秘鑰(ひやく)されている。
「ヤマドリ」(マタギベラの原型)と熊槍の柄だろうか
史料、上の写真で二本はマタギベラの原型、極めて珍しい貴重な資料でマタギは「ヤマドリ」と呼称していた。長さ140㌢・幅10㌢、材質はイタヤ材で日本、唯一無二の狩猟具材に分類されると思う。下は熊槍の柄と思われ、蔵に「ヤマドリ」」と一緒にあった。柄は長さ294㌢・幅5㌢、材質は天然秋田スギで樹齢2~300年と推定、秋田スギは木目が密で強度であるのが特徴。かなり使いこなしているのか「キズ」が多く柄先の部分には熊のキバ跡と思われる深いキズがある、穂先の深いキズは熊との格闘によるものではないだろうか、マタギが蔵に収蔵していたのは根深い思いがあった、マタギ文化の視点から推測するならば非常に価値があったと考えられる。
史料の検証及び考察
・八木沢集落には平槍と三角槍の二種を所持、この史料からしてもマタギ文化の変遷が示される。

手作りの槍五本 製作:佐藤良美
・手作りの槍五本「マタギ文化」の変遷の証を邂逅してみた
槍五本 阿仁マタギと信州秋山郷の類似の槍を天スギの材料で制作、手前が昔の根子マタギが所持したタテ 製作した槍を上から①②③④⑤とすると③と⑤が阿仁の代表的なタテ(槍)、残り三本は秋山マタギが所持した槍に酷似する事から八木沢マタギは他国との交渉があったことが裏付けられ、旅マタギが主流で他諸国を旅するマタギ文化から構築されていたと推測される。
マタギ猟具5点の内、3点は日本に二つとないない唯一無二の史料となる。特にマタギ熊槍は刃渡り(37.8㌢)で同種の槍よりも3~4倍の大型の槍で江戸後期の史料と思われる。この槍は秋田で造られ秋田で用いられたものではない、推測から江戸後期、新潟県村上市の鍛冶屋で製造され信州秋山郷との関連性があると考察された。穂先:37・8㌢・柄:2㍍の熊槍は近世後期と推測、穂先の断面は三角で溝があることから「三角槍」とも呼称し熊猟で用いられた。その後の調査で製造は秋田の鍛冶屋で鑑定をして頂いたが全くもって秋田で造られたものではなかった。昔の古老マタギは「穴に落ちた熊を仕留めるには槍以外に方法はない」と断言をしていた。
集落の大きな特質に阿仁、三面、秋山郷マタギが所持する槍と酷似、隔絶した集落は近世、他諸国との交渉があって伝播されたと検証、集落の大きな特質に阿仁、三面、秋山郷マタギが所持する槍と酷似、隔絶した集落は近世、他諸国との交渉があって伝播されたと検証する。
八木沢集落には「三角槍」と「平槍」の二種類が残されている。平槍は根子マタギが所持した秋田の槍で三角槍は三面や信州秋山郷の槍と酷似することから集落のマタギ文化の変遷を示すものである。八木沢集落に移住した「長吉と長松」が秋山郷にいたかどうかは江戸期に遡及しなければ確証は得られないが生前、父良蔵マタギが阿仁の菩提寺の住職から「子供(長吉・長松兄弟)が先祖(七左衛門)を連れてきたのだろう」と言っていたという。狩猟用具、古文書、伝承等から照らしても先祖、七左衛門と長吉、長松が一緒に八木沢に移住時にはすでに「熊槍」も一緒に持ち込まれたと考察される。
古文書等の史料を基に調査の結果、新潟県村上市三面(旧朝日村)の鍛冶屋で造られたと推測され、旧朝日村三面マタギや信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似、また、鈴木牧之・秋山紀行に登場する根子の旅マタギ「長松・長吉兄弟」と同じく八木沢の根子マタギ「長吉・長松兄弟」との関連性があるのではないだろうか。これまでの調査で八木沢集落の多くのマタギは根子の善兵衛派であった。いまだ集落の墓地にはその当時の変遷を物語る源氏車の紋章が刻まれた墓石が静かに眠る。源氏の紋章は源義経の忠臣、佐藤継信・忠信兄弟の末裔との言伝えがある。
左: 八木沢墓地 源氏車の紋章が刻まれる墓石(1955年10月建立)
右:八木澤旅又鬼と其之子等(昭和初期 八木澤番楽にて)
八木沢集落の多くのマタギは根子の善兵衛派、集落の墓地には勇壮な八木澤番楽は又鬼や其之子等によって舞を演じた当時の変遷を物語る源氏車の紋章が刻まれた墓石が静かに眠る。
関連資料
秋山郷 八木澤マタギとの関連を求め 熊穴に立つ
邂逅
1961年春、ドンヨリトした日で集落は霧に包まれていた。女子が大声で「熊を捕った」と叫ぶ声がして外に出ると歓声が沸きマタギ4~5人が犬の毛皮に銃身の長い村田銃を背負い誇らしげな表情で立っていた。さっそくマタギは熊の解体を手際良く慣れた手つきでたちまち均等に分けていた。肉の配分は親方が一番小さな肉を取っていたのを見て呆気にとられた。解体された肉は子供が集落の皆に配り歩くしきたりであった。思えば茅葺の大きな家、重く分厚い板戸、中に入り暗い土間で肉を渡した記憶がある、熊は山神さんからの授かり物、どんな奥地でも射止めた熊を集落まで運び肉を子供が振舞うのが昔からの風習で祖先から受け継がれた文化、大きな支柱で強い絆で結ばれる一連の風俗習慣は自然への感謝と熊への成仏、マタギ文化の継承、そして狩りで仲間を失った同胞への思いが根底にあったと今に思うと胸が熱くなる。
2009年春、集落最後のマタギ、父良蔵マタギが鉄砲を返納し200年近いマタギ文化が消滅した。人の記憶というものは長い年月を経るとともに薄れ未だ多くの謎を残したまま埋没してしまったマタギ集落、1965年ころまで根子集落との道が残存していたが、いまは跡形も無く変貌、かつてのマタギ屋敷跡が点在し集落の変遷を物語っている。
謝意
八木沢マタギ狩猟猟具が村有形民俗文化財の指定に際し、陰ながら支えてくれた方々のご協力があってこそ民俗文化財として誕生した。生前、父良蔵マタギは「俺は山が好きだ、先祖が山で使った道具が村の文化財として指定を受けたことは一番の幸せだ。」と言い残し翌年12月中旬、この世を去った。父というよりも最後の最後までマタギであった、根底にはマタギ文化を守り抜く精神が全身に染み込んでいたと思っている。
八木沢マタギの系譜は非常に奥が深く多くの謎を秘めているが、ここに狩猟用具が集落の有形民俗文化財として後世に残せたことは意義深く尊く思う。200年の歴史、八木沢マタギを二文字で準えるならば「畏敬」につきる。
文化財指定に際し心温まるマタギ関係者からの支えがあってこそ誕生したと確信をしている。ここに僭越(せんえつ)ながらマタギやその関係機関を掲載させて頂きます。ありがとうございました。
朝日新聞秋田総局、河北新報社、秋田魁新報社、北鹿新聞社
上小阿仁村教育委員会及び文化財審議会
村田新吉、佐藤徳三郎、佐藤幸市、佐藤一郎、佐藤勇太郎、佐藤良蔵、山田佐一郎、山田運治郎、以上八木沢集落のマタギ
佐藤ニ朗、佐藤冨久栄、佐藤国男 以上根子集落のマタギ関係者
根子集落、八木沢集落、不動羅集落、北の又集落、三面集落、信州秋山郷、その他関係機関 (故人 敬称省略)
【その他の参考資料】
以下は八木沢のマタギ資料火縄銃と村田銃
1961年春 集落のマタギが射止めた熊の上顎(彫:佐藤良美)
火縄銃と村田銃を作ってみました(材質:天然秋田スギ)
集落は火縄銃を所持したマタギが4~5人、みんなが鉄砲を所持する生粋のマタギ集落であった。資料右側の火縄銃と村田銃を実物大に制作、材質は天然秋田スギである。村田銃の材料(天スギ)は亡き父良蔵マタギが準備してくれたものであった。
狩りでマタギが銃身の長い村田銃を構え獲物を狙う様子は眼光が鋭く別人にかわった記憶が今でも鮮明に思い出される。
【弾つくり道具】
【真鍮の薬莢】
江戸後期から明治、大正、昭和にかけて火縄銃から村田銃へと変遷をする中で鉄砲弾は1960年ころまで自分で造っていた。村田銃は村田式歩兵銃を民生用に改造した単発銃で子供等が寝静まった頃を見計らい神棚のある引き戸から道具を取り出し囲炉裏端で鉛を溶かして弾型に流す。次に黒色火薬を薬莢に充填し弾型から取り出した球形の鉛丸や熊用一発弾を装填して実包を造っていたが一連のしぐさは厳格で近寄りがたい存在であった。

【先祖代々から継承された 弾つくり用道具】
巨熊を射止めた弾痕 三点
江戸期のマタギヘラの原型、鉈、カンジキ

ナガサと鉈
腰鉈 土佐一文字之作

土佐一文字之作 鞘は樺細工
土佐一文字之作、鞘は桜の樺細工でかなり古い、表面に梅と鶯の絵柄、裏面に般若の面が彫れている。八木沢の明治の旅マタギが所持していたものであるがマタギ猟具は先祖代々からの継承で明治以前の史料となる。
マタギの魂はこの鉈にいまだ宿る
マタギは刃物を大切にしていた。腰にぶら下げ、体の一部でもあった。昔のマタギは口数が少なくマタギの話を一切せず、多くを語ることは無かった。その思いは、この鉈が語り掛けているような気がする。
鞘に文字が彫られた「ナガサ」は八木沢の蔵に収蔵されていたもので江戸期から代々のマタギに継承されてきた用具、数百年の間、蔵に収蔵されていたので赤錆が付着していたが、あえて錆びた状態で当時を偲び敢えて研磨をせずにそのままの状態で保存している。
根源の証しマタギ文化
・ 根子 善兵衛組頭から派生した七左衛門の槍と越後(新潟)三面・信州秋山の槍と酷似。
タギ小槍(全長122、穂先13、柄116㌢,材質はサビタ)
根子マタギ善兵衛組頭の子、佐藤七左衛門マタギが所持したとされ、近世初期から中期のものと思われる最も古い槍で穂先の形状からしても江戸期、秋田で製造されたものではない。柄にはカキ渋が塗られ柄の腐食と強度を保つ昔のマタギの知恵であった。槍の穂先が極端に擦り減っていることからして、相当「熊狩り」で用いられたと推測、近世、村上市三面(旧朝日村)の鍛冶屋で造られたと思われ三面や信州秋山郷、秋山マタギが所持した槍と酷似、八木沢集落に移住以前から越後のマタギ等との交流があったと推測し槍は江戸期中期以前と検証される。
マタギがはいたカンジキ 材質:オオバクロモジと牛の皮 マタギが所持したナガサとナタ
・近世後期から昭和初期マタギの衣類を織った機織り道具
日本最古の機織り道具と思われ、集落に残されて蔵に収蔵され、叔母村田チサ(大正10年生)は生前、旅マタギ長吉のアバ(妻)が編んでいたと証言していた。
機織り道具は昔、マタギの袴を織り
カラムシ
・機織り道具は昔、主にマタギの袴を織っていた
・カラムシは集落のいたる所に自生していた
・地機の杼(ひ)いとくりわく(糸繰枠)など 集落に残された蔵に収蔵されていた
古くから機屋さんがあって相当遅くまで編んでいたとされ畑から採集した糸の原料、カラムシを釜で蒸かした後、皮をむいてオシキダでギューッとこくると白い繊維が出る。それを洗い棹にかけて乾燥させ女性が夜に糸を紡ぎ、へそ巻きにヒョウタン型に巻いて吊るし材料にして布を織るが主にマタギの衣装などでマタギ袴は風を通すが冬狩りでは雪がまったくつかず自給自足でどこの家にもあって袴は1935年ころまではいていたとされる。
・古文書から集落の長吉マタギ(善兵衛組頭の子孫)が子等に教鞭をしていた。
<古文書12冊(*は不明)>◆御手本 1冊◆庭訓往来 一冊◆掌中安政附合集 青雲堂* 安政戌年◆節繁**捕* 明治二十五天立****◆孟子(天明改正 孟子 道春点 二」) 1冊◆論語 1冊◆直江氏持用(直江村蔵) 直江山城守末孫 直江鎌治郎 一冊◆「新版 假名安驥集」5巻・新版 假名安驥集は1604年、国内初めて出版された馬医学書で全巻12巻、江戸初期から後期にかけて刊行された指南書で集落のマタタギが所持した。
集落のマタギが所持した古文書
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・鷹とマタギは何か共通をしている
資料と文:佐藤良美
1954年12月 八木沢集落に生まれる
根子の旅マタギ「長吉、長松」兄弟の子孫、集落最後のマタギ 佐藤良蔵の三男
1978年 3月 秋田経済大学経済学部卒、日本自然保護協会、日本鳥学会を経てフリー
1997年 7月 大平山北側斜面の萩形沢で初めてクマゲラ(国の天然記念物)の生息を確認(1997年7月24日 秋田さきがけ紙記事)
近世、マタギの発祥とされる秋田マタギの根子村(根子マタギ)「現北秋田市」から移住・定着した「村田徳助、山田三之助、佐藤七左衛門」の裏付け調査、狩猟地「カゴ山、タカオトシ山」の調査と考察。赤沢、太平山地での萩形(離村)、根子、八木沢マタギとの共同で狩りをした狩猟地や山田家先祖代々記の記述「第十三 明治43年冬 南秋田郡上新城村」の記述調査等など、集落に残された狩猟具の検証を目的とし、昔の旅マタギの親族や根子マタギ関係者、鍛冶屋、遠くは岩手県の碧祥寺、信州秋山郷などを歩き昔マタギや現役の猟師等からの聞き取りをしながら近世の八木沢マタギの変遷を長きにわたり調べている。
2009年春、父良蔵マタギが鉄砲を返納し集落のマタギ文化が途絶えたのを発端として歴史を後世に残そうと同年秋、「八木沢マタギを語る会」を発足、今に至り地道な活動を継続している。
ー後世に語り伝えたい「八木沢マタギ」200年の歴史ー























































