練馬城址見学(遊園地としまえん) | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

 会社の夏期休暇は昨日の日曜日で終わりましたが、私は有給休暇消化を目的に今日のお仕事はお休みでした。で、せっかく休みなのだからということで、練馬城址の見学をしてまいりました。

 というか、練馬城址は遊園地「としまえん」となっておりまして、そのとしまえんが、今月末日(2020年8月31日)をもって閉園となります。閉園後は、一部を城址公園とし、残りをハリーポッターのテーマパークとして再開発という計画らしい……。まー、真面目に専門家を交えて城址として整備してくれれば、それを待って行くというのもありかもと思うのですが、場合によってはトンチンカンな行政担当者が”なーんちゃって城址”にして、城址テーマパークで集客をしようというようなトンデモ開発をしかねない。すでに遺構という遺構はほぼ壊されまくっている状況なので、これが最後のトドメともなりかねずという感じなのですな(困惑)。

 とはいえ、このコロナ禍の下では思いついたら吉日と突発の史跡巡りはできない。遊園地としまえんが、コロナ対策のために、入園を事前予約制にしていたのです。まー、土日に行ければ良かったのですが、その日は全部予約が埋まっているというわけで、サラリーマンの夏期休暇が終わっている今日の月曜日に空きがあったというわけです。

 で、まぁ子供さんたちは夏休みなんでしょうが、大人は平日です。って、その割には人いっぱいいるなぁ(汗)。まー、思い出の詰まった遊園地もこれが最後ということで、人がいっぱい来ていたということもあるのでしょう。今日も気温が高い。それでも一人一人体温チェックして入れてますから、まず入園までに時間が掛かりました。

 入園の門をくぐった正面です。「としまえん閉園まで14日」とあり、有終の美を飾らんとするとしまえんですが、史跡としてはその看板の奥に見えるウォータースライダー「ハイドロポリス」のある場所が重要。あの高台は、かつて「矢野山」と呼ばれていた山であり、そこに練馬城の主郭がありました。

 遊園地としまえんは、石神井川を挟んで北側に主要遊具多数が配置されており、石神井川南側がプールとなります。そのプールのある場所こそが練馬城の主郭なんですね。本当は、プールにカメラを持ち込んでばっしばっし撮りたいという欲求があったのですが、良い大人がプールに入りもせず望遠カメラ持ち込んでばっしばっし撮っていたら”単なる盗撮野郎(と勘違いされて当然)”です(汗)。なので、そればかりは出来ませんでした。つか、たぶんカメラ持ち込めないでしょうしね。プールが終わった冬場に行けばカメラ持ち込めたかもですが、残念ながらとしまえんが今月末で閉園なので、冬まではもう待てないわけです。で、まぁ、今回は遊具がある遊園地敷地に入り、数少ない遺構と思しき部分の撮影に専念。ともかく、現状を記録資料写真として残しておこうと思ったわけです。

 入り口の門をくぐった右手にある土盛部ですが、ここがたぶん土塁跡ではないかと思われ。資料『日本城郭体系5 埼玉・東京(新人物往来社)』には、「北方のl土塁の東端部には物見櫓跡らしい七五㎡くらいの平坦部があり、さらにその東北方の二mほど低い部分に稲荷神社が鎮座し、現在、豊島園では白滝稲荷神社と称している」とあります。実際、木の陰から稲荷社の建物があることは確認しましたが、どうにもそこに行く手段がない(泣)。稲荷社があるのですから、その部分は平坦になっているはずだし、そこより高い土盛があるので、その頂上部が平坦ならば物見櫓跡か土塁跡と思うのですが、行くことができないのでなんとも言えないのがもどかしい……。

 この奥には「豊島園・庭の湯」があり、現在はそこの敷地となっているらしい。昔は、ここに庭園があり、庭園にあるひょうたん状の池は、堀跡ではないだろうかとも言われています。

 上記が、土盛部になっているところ。土塁跡かもしれないと思い、とりあえず撮影だけはしておきます。

 

 さて、問題はプールのある石神井側南側をどうやって見学するか……。

 上の写真が石神井側です。練馬城の北側を流れ、天然の堀となっていました。写真の左側が遊園地。右側が現在プールがある練馬城主郭です。

 プールの敷地に行くには、別に入場券が必要なので行くことはできません。そこで……

 上の遊具「フリュームライド」に乗ることに!。この遊具のコースが、石神井川を渡り、プール側の脇を通るらしいので。で、メッチャ並んでなんとか乗った。

 本来なら、急流下りをたのしむ乗り物らしいのですが、そんなものには目もくれず、写真を撮りまくります!。

 なんか上昇してます。でも、石神井川が上から見れます。ここが主郭北側の堀にあたります。

 上から石神井川を望む。

 そしてプール側へ。城の主郭に向かいます。

 石神井川を渡り、主郭側です。なんとかウォータースライダーのあるところの撮影を試みますが、木が邪魔あぁぁぁぁっ!(泣)。

邪魔あああぁぁぁぁっ(号泣)。

プールの敷地より、少し低くいところなので、撮影しにくい。立てば見えるのでしょうが、こちらは体をシートベルトで遊具のボートに縛り付けられているのでできません。

 

 ということで、北側の主郭には短時間だけ渡ったという感じで、やはり撮影は難しい……。とはいえ、堀の役割を果たしていた部分の石神井川はがっつり撮影できたので、まー満足すべきなんだろうなと思います。で、まぁあとは一番高いところから低いところへジェットコースターっぽく落とされるんですが、絶叫マシーンが全然駄目な私なので怖かったな。よく小学生低学年たちは、アレに嬉々として乗れるよなー。不思議で仕方ないです。

 ということで、練馬城の史跡はこんな感じで一通り見終わりました。さすがに開発されすぎてて、遺構らしい遺構は何も無く、有りそうなところはあるのですが、そこへ立ち入る方法が今はもうないという状況でした。

 この練馬城は、戦国時代の武将豊島氏の城で、豊島氏が本城としていた石神井城の支城でした。関東管領山内上杉顕定と長尾景春が争いを起こした際、豊島泰経は弟豊島泰明と共に長尾景春に組みしたといいます。一方、山内上杉氏と連携した扇谷上杉氏の家宰太田道灌による豊島氏への攻撃が行われ、豊島泰明が籠もる平塚城が攻められます。豊島泰経は、石神井城と練馬城にある手勢を率いて、泰明救援に向かい、泰明の手勢と合流。多摩郡江古田・沼袋ケ原で太田道灌との合戦に臨みますが、豊島一族百五十名が討ち死にするという大敗北を喫しました。泰経は石神井城に撤退して籠城に出ますが、太田道灌は城を囲んで城攻めを行って陥落させます。これによって豊島氏は滅亡しました。なお、練馬城は石神井城落城に前後して落城し、以後は廃城になったらしいです。

 

 さて、せっかくとしまえんに来たのですから、ついでにコレも見ておきましょう。

メリーゴーランド「カルーセル・エルドラド」

 上はその説明看板。100年以上も現役で回り続ける遊具。すげぇ。

 木製で、ところどころ塗装が剥げてたりしますが、年代物であることが良くわかります。

 これでもかというほどの絵画と彫刻が施されております。単純に回っているわけではなく、中心部・真ん中・外側で回転速度が違うという凝った作動をします。つまり、回転速度が三種類なんです。んで、回転速度も速くて、乗ってみたら目が回りました(苦笑)。

 

 ということで、今日は豊島城址巡りをしましたが、やはり遺構というものをしっかり確認できない状態であることがわかりました。この後、としまえんが閉園し、城址公園や新しいテーマパークが作られるらしいですが、できれば発掘調査など行って、かつての姿を復元するという方向性で開発整備されることを祈ります。

 そして、やはり暑い日に食べるかき氷は格別でした(喜)。