地元の鎌倉・古道・街道を探ってみました。鎌倉への街道は大きなものは3本あって、その中の中道(佐野-鎌倉)の枝道にあたるものです。
このあたりの地形は、大宮台地の最高標高・30-40m地点で、荒川の右岸にあたり地形が堤防の役目を果たしていて、対岸の吉見町のように人口の堤防はありません。従って古くから何かと利用されていました。
源範頼関連のものが多い土地柄なので、予備知識ととして頭の片隅にいれておきましょう。
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鎌倉街道の全体図
鎌倉古道・街道 芭蕉句碑・桶川--上間・鴻巣までの全体図
ヤフーの地図を参考にしてください
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2. 鴻巣・平間から舟とみち道標・北本まで
ゆっくりと徒歩2時間
鴻巣駅より古道を徒歩で北本駅へのコース (東松山・川越からバスもあり)
高崎線鴻巣駅西口下車して広い道路を徒歩で20分鴻巣駅入口交差点、鴻中陸橋と御成橋東交差点を経由して御成橋の近くの消防署をめざします。
また、鴻巣駅西口より川越駅・東松山行きのバスで、馬室下車でそこから徒歩でもよいでしょう。鴻巣駅乗り場は信号のある交差点を横切ってその先にあります。馬室下車バス停は御成橋東交差点の手前になるので、その交差点を右折して荒川方面に5分ほど歩きます。
御成橋のすぐ手前の信号のある交差点が鎌倉古道・街道の始点です。現在・なのはな道り・と称しています。
鴻巣から北本までの地図
川幅 日本一 2537m 荒川にかかる御成橋
鎌倉古道・街道始点 右消防署 左庚申塚
奥の交差点から手前に出発
平間交差点から馬室小学校までの詳細図
消防署から「なのはな通り」を20-30mくらい歩いて右に回ると、長屋門の由緒ある建物を目にします。ここらでは平屋の長屋門は見かけますが2階建てのそれもお城の城門を思わせる長屋門は珍しいと思います。不明ですが昔はワンブロックを占めて、荒川の河岸にある要地ですので、船問屋ないし番所のようなものではないでしょうか? 近くによしみと書かれている枝道の道標も存在します。おそらくよしみへ荒川を渡る渡し舟でもあったのでしょう。
参考
(消防署を右に荒川まで下ると(写真左の奥から)渡しがあったと思わせるような石塔 参考)
(枝道のよしみと読める道標 参考)
(古道から鴻巣街に向かう枝道 参考)
参考枝道終わり
長屋門のお宅 非公開です。
城門を思わせる長屋門
保育所を左に見て三叉路を左に行くと、馬室氷川神社の境内になります。
この神社は坂上田村麻呂が大蛇を退治したときの頭を奉納したとのいわれです。弓を引くお祭りがあります。胴体は近くの常勝寺に奉納したといわれています
馬室氷川神社
氷川神社のお祭り 鎌倉古道でおこなわれる
左手が阿弥陀堂の墓地 出入り口があります
境内を出て左に行けばなのはな通りに出ます。荒川沿いに歩くと阿弥陀堂になります。
お墓の中を通り阿弥陀堂の境内を出ると、すぐ畑のあぜ道を行きます。
阿弥陀堂
あぜ道
、あぜ道を抜けてすぐの下り坂の古道を進みます。金網塀の敷地に
古道側を向いたお地蔵さんがあります。
お地蔵さま
これが見つかれば、忘れられているだけにご利益大きいかな?
お地蔵さんのある邸の門
なのはな東リから見た 馬室陸橋と 古道から見た 馬室陸橋
いかにも古道の趣
馬室陸橋を左に見て進むとお堂と体育館にでます。
そのまま道なりにすすむとまた墓地が右手に見えます。
常勝寺の境内にあるお墓になります。角に道路側を向いた
お以蔵さんがあり左にすすむと、なのはは通りにでます。
名前不明のお堂
体育館と休憩施設 トイレあります。
常勝寺の墓地にある お地蔵さま
常勝寺
常勝寺は坂上田村麻呂が退治した大蛇の胴体と源範義の妻が夫の死を聞き自害した時に残されていた薙刀があると言われています。これはお寺の関係者に尋ねたところお祭りでも公開していないということでした。
またシナ駐屯第一歩兵連隊の供養地でもあります。
お車の方はお寺の駐車場が荒川沿いにあります。
馬室小学校校門
河岸台上にある馬室小学校を右手にして坂をくだります。また右手にはポピーの日本一栽培地が荒川沿いにあります。
観音堂
右側台上に観音堂があり、獅子舞と棒術の演舞が有名です。
すぐにある白雲荘・老人ホーム・入口交差点を左折します。
白雲荘入口交差点 鴻巣からは左折する
このお地蔵様を左に入り、なのはな道りに沿うように歩きます。太子堂と老人施設・たんぽぽ園の間のみちをほぼ直進して、砂利道ですが、右に携帯の無線中継塔の横に大理石の道標があります。判読できません。なのはな道路を横断してすぐに鉄砲宿です。 そこは、なにも案内板がないので薬師堂付近がそこだとおもわれます。地元の人に聞いて確認しました。その云われは尋ねた人も知るませんでした。鉄砲鍛冶がいたのではと思われますが。 鎌倉時代に鉄砲はないので戦国以降のことでしょう。
地蔵堂 鴻巣からはなのはな道をここで左折する。
お堂は上尾道路のため移築される可能性あり。
地蔵堂は上尾道路完成の折には移動される可能性あり?
白雲荘入口から高尾氷川神社入口までの地図
たんぽぽ園 なのはな通り ここは古道ではありません
この建物の左横の通りです
右太子堂 左にたんぽぽ園 鴻巣からは奥より手前へ
太子堂から鉄砲宿入口へ 砂利道50m
ご注意 ここはアスファルトのないジャリ道になっています
高い無線中継タワーが中央に写っています。
鉄砲宿で 右が薬師堂 中央に無線中継塔 左は石像群
古道だけあって出発より50-100mおきに庚申塔、馬頭観音、お地蔵様が存在します。それの探索散歩も楽しみでしょう。下のお地蔵様までが細い古道を思わせる道です。ここを左折すると道が広くなり、高尾二丁目交差点の信号が見えると思います。
お地蔵様 鴻巣からはお地蔵さんを左折する。
上尾道路のため移築される可能性あり。
この交差点の両隣に田島邸がご覧になれます。蚕を飼っていた時の屋根の天井に空気抜きの小屋掛けをした建物です。当時の勢いを今に感じさせる建物です。
高尾2丁目交差点 鴻巣からは奥の少し細い道から手前に
田島邸 おかいこさん全盛時のおもかげ
上尾道路のため移築される可能性あり。
この氷川神社入口交差点がここまでの終点になります。左折して二〇分ほどで北本駅に行けるでしょう。
ここは右折すると、高尾岸がかってあり、船問屋の建物もあります。荒川水運の拠点でした。それで道標に舟のみちと書かれています。亀御前の供養地阿弥陀堂もあり。真ん中にみえる徒歩専用道路を行くと次の芭蕉句碑までの鎌倉古道になります。
氷川神社入口交差点 芭蕉句碑に続く入口でもある
細い徒歩専用道路が古道になる
交通
なのはな道路は鴻巣のコミュニテイバス・150円が運行しています。鴻巣・北本両駅に行けますが時間が2時間ほど間隔が空くときがあり注意が必要です。氷川神社入口にも北本行・180円のバス便があります。これは時間に2本程度です。
2015-7-23
1. 舟とみち道標より芭蕉句碑まで ゆっくりと徒歩2時間
北本駅西口で右側の階段を降りるすぐウオーキングマップがあります。駅前広場から広い道をまっすぐに歩いて徒歩20分くらいで、,氷川神社入口・これより舟のみち道標交差点に着きます、 バスだと石戸2丁目で下車です。荒川荘ないし衛生研究所行きに乗ります。時間で2本くらいの運航です。
ここにもウオーキングマップの案内板があります。
舟のみち道標 舟とみち道標 案内板
右 石戸舟とみち, 左 こうのす道、
舟とみち道標より芭蕉句碑までの地図
そこから30-40m程度で鎌倉街道の案内板があります
氷川神社、ここは神主さんや巫女さんを見かけます。初詣で一番の賑わいをみせる神社です。隣は須賀神社です。
氷川神社 1869年建立
厳島神社 氷川神社内 道路より階段を下る
厳島神社はここに龍が昇ったという大木があり、台風で倒れたあとに創建された。
安産のお守り
須賀神社 1573建立
須賀神社内 休憩施設
北向き地蔵 1729年建立
泥団子を供えて願いをたてる
北向き地蔵を過ぎて細い道で風情がありましたが、現在道路拡幅工事中です。50mほどで2番目の鎌倉街道の案内板があります。高尾保育園の手前に庚申塚があります。
庚申塚
高尾保育園からすぐに荒井橋に続がる県道312号線の広い道に突き当たります、荒川に向かって右へ歩道を歩きます。数百メートルで矢倉風の広告塔へ向かいます。
高尾保育園付近の詳細図
高尾保育園 入口 奥が鎌倉街道 右折する
最近ここは道路整備されて舗装されています
桜堤 矢倉広告看板 左が鎌倉街道・桜堤道り
櫓風広告塔は写真より背が1/2に低く改造されました。
左側の道路が桜堤道りです。これで芭蕉句碑まで向かうことになります。
お地蔵様 と 庚申塚 桜堤道利沿い
ここで問題が、この桜堤道りから荒川沿いに道標・供養塔がひっそりとあります。 そこには・西まつ山・と・北こうのす・が表示されています。近所の人に尋ねたところ、 ここが古道のようです。現在は藪になっていて道が判明しておりません。おまけに、 この付近では、ツツガムシ注意の看板を見かけるので、ヤブに入っていけるもので はありません。
隠れた道標の入口
このT字路を右折 砂利道を道なりにすすむ
街道脇 石碑 下の道標近くの角にある石碑 認めにくい
道標 こうのすとまつやまへの案内がある
このあたりは鎌倉街道が通ると思われるが鮮明なみちは
存在しない。人知れず林の中にあり
横田薬師堂 左が桜堤道り
横田薬師堂に至り、桜堤(城下堤)がみえる。
桜堤(城下堤)は明治になって造成された堤防でその道を桜堤道りといい、両側に桜を植えたことから名称がつきました。従い下記の写真のようにわき道を古道といたしまた。
左側は北本自然観察公園遊歩道入口で右側は天神下公園になります。(トイレあり)
またこの道は石戸城の中を通っています。本道ではなくて横のわき道を古道としました。
桜堤近くにウオーキングマップがあります。
古地図 もちろんさくら堤通りはありません
桜堤下 街道 右上はさくら堤で明治に開通 さくらの名所
石戸城内 街道1
石戸城内 街道2 オレンジの常夜灯
上の道に入る前に、下に下って石戸城まわりの公園遊歩道を100m位行くと一夜堤に行けます。
石戸城は上杉謙信が在城したことがあると云います。
川越城や松山城や岩槻城とネットワークを組んだ城です。
一夜堤 案内板
石戸城 上空から 上は荒川 下の突き出た堤が一夜堤
石戸城 一夜堤
石戸城攻防で一夜のうちに城への間道をつくったと云う
石戸城の案内板は桜堤道りの切り通し道にありますが、見つけにくい場所です。
石戸城 案内板 切り通し導路の中にあるが見つけにくい
石戸城 切り通し・桜堤道り
石戸城を抜けると石戸宿になります。天神社が街道宿沿いにあります。
石戸宿は戦国期には川越から鴻巣・忍をへて上野国に至る街道と
岩付城へ至る街道の要地にあった。
石戸宿の歴史は古く鎌倉街道に沿って中世からあったという
天神社入り口 石戸宿
石戸宿街道上にある民家
石戸宿
いかにも宿場町を思い出させる街道沿いの街並み
この3差路を右折で芭蕉句碑 桜堤道り
道なりに歩いてこの3差路を右に行けば芭蕉句碑。
左に行けば子供公園を過ぎて蒲桜に至る。バス停あり。
北里メデイカルセンターまで足をのばせば、10分おきのバス運行があります。
その途中に源範義ゆかりの石戸神社があり。
芭蕉句碑 1851年建立
原中や 物にもつかず 啼き雲雀(なきふばり)
芭蕉句碑 ウオーキングドマップ案内板あり
ここから川田谷・桶川、平方・上尾に街道は続いて鎌倉へとなります。
交通
北里メデイカルセンターより北本行のバスが10分おきにあります。190円桶川西口行のバスもあります。 少数ですが蒲桜行きのバスもあります。
また氷川神社入口・石戸2丁目には北本駅からのバスがあります。時間に2本です。
自動車の場合は高尾さくら公園に無料の駐車所、(順コース)
北里メデイカルセンター病院隣の自然観察公園に無料の駐車場があります。
(逆コース)
蒲桜と城下堤(桜堤)に無料駐車場があります。
芭蕉句碑から北里メデイカルセンターまでの地図
その1
その2
2015-7-22
庚申塔・馬頭観音・お地蔵様 探る
鎌倉古道
鎌倉古道のすべての石像 拡大版
庚申塔・塚
鎌倉古道を歩いていると、庚申塔や馬頭観音に良くお目にかかります。古くからのものが大事にされているということです。それが古道をさがす目安にもなったりします。庚申塔には見ざる聞かざる言わざるの猿が彫り込まれているものも多いです。ご利益があるかもしれず歩きながら探してみましょう。
庚申塔・塚
道教に由来する庚申信仰による石塔。人間の体内にいる三尺虫が庚申の日に天帝に悪事を報告しに行くとされているので、庚申の日の夜は眠らないで勤行したり宴会をする風習がある。道標を兼ねることも多い。
馬頭観音
観音菩薩の変化身の一つ。民間信仰では馬の守護神とされている。ここらあたりの地名は原馬室・滝馬室など馬室にちなんだものが多いので、いっそう信仰が厚いのかもしれません。
お地蔵様
子供の守り神として信じられており、道祖神として村の守り神、交通安全の神として信仰されている。
ここでの地元鎌倉古道その2における、鉄砲宿あたりの石塔写真を下記に載せました。
白雲荘入口から高尾氷川神社入口までの地図
白雲荘入口・ 地蔵堂からお地蔵様までの石塔写真
上尾道路完成の折には移動される可能性あり?