続、ブログ空白期間の事 | テーマのない思いつき不定期更新日記

続、ブログ空白期間の事

前回は書き始めたはいいが長すぎて途中で切ってしまいました。

今回は続きを書きますが、終われるかどうかは分かりません。
また続くになるかも知れませんが書きますね。


 認知症になった母の心療内科から処方されている薬を減少させてもらってから5ヵ月くらい
だったかハッキリは覚えてませんが、かなり投薬が少なくなり種類も減った頃、父が「最近
母がおかしな事を言わなくなった」と言い始めました。
確かに普通に会話が成立するし、何より目の感じが変わりました。そして全然笑ったりしなかった
のが時折笑うようにもなりました。
そのほかデイサービスに行った時の今日は何をしたとかどんな人が来てたとか詳細に話すようになり
正直デイサービスに行く意味が良く分からない状態になり、施設の人も不思議がってくるように
もなりました。
そこで、あまりにも認知症だとは思えないような状態になったので再び認知症と診断した病院に
来院して再度診断をしてもらいましたが、各種テストでは全く認知症とは認められないとの結果が
でました。
認知症が治りました。と、言うか現実的には認知症が治ったのではなく薬の副作用がなくなった
というのが本当でしょう。
それからというもの、普通の高齢者がちょっと物事を忘れるくらいの事はあっても会話や行動は
いたって普通でデイサービスもやめる事になり、通常の生活にもどりました。
で、その間に行った所や会話した事を尋ねるとそれについてはほとんど記憶が無く、認知症状態
だった時の事は全然覚えていませんでした。
いわゆる記憶喪失のような感じですがその間以外の事はちゃんと記憶しています。
 今となっては結局何が原因だったかは分かりません。
結論を書くなら。認知症になりそれが完治してその間の記憶が無い、という話です。

ここで母の方の大きな問題はクリアされたのですが、その平穏な時間から約2ヶ月後、父の方に
問題が発生しました。
 
 2011年3月後半頃に父が腹痛と下痢が治らないと言う事で行きつけの病院に行く事になりました。
まぁ症状はそれほど重症ではなく病院でもそれなりの薬を投薬してくれていたのですが、
その状態が2週間続き「別の病院で診てもらったほうがいいい」と言ってきたのですが、父は行きつけの病院の先生を信頼してるようで言う事を聞きませんでした。
そのまま1ヵ月ほどになり無理やり別の大きな病院に連れて行った所、その日に入院する事になり
「言わんこっちゃない!」状態でした。
それがまたGWの始まりの頃で専門医が不在という事で入院してもとりあえず点滴をするくらいの治療しかされませんでした。
それから7日くらい経ったあとようやく専門医が出勤の運びとなりました。それもどうかと思うが。
その間は点滴のみの治療で全く改善が見られなかったのですが、専門医が初めて診察してくれた
所、病名は「胃腸炎」との診断でした。その名の通り腸内に炎症が出来て腸の活動が悪くなっている、と言う病気らしいです。
高齢であるため手術をするのは危険との判断で投薬治療が続けられましたが、父は良くなる所か
段々と会話も出来ないくらいに衰弱してきて入院から15日くらいした頃、その病院では手に負えなくなり、別の病院転院することになりました。その時は仕事を抜けて一緒に行きましたが2,3日
見なかっただけなのに救急車で車いすに乗せられて酸素マスクを付けての移動でした。
会話などほとんど出来ない状態で、話しかけてもちょっと首を動かす程度でどうみても尋常じゃない
状態です。
 とりあえず良く訳も分からず転院となり、症状は悪化の一途でしたので出来るだけ病院には通いました。前回書いたように仕事は目一杯なので夕方抜けて病院に行き、深夜までの仕事が毎日になり
またも不安と疲れの日々が訪れました。
 転院する少し前からトイレに行くのが困難になりオムツを付けての入院で、見舞いに行く時は
途中のドラッグストアーで紙オムツを買って行く事もしばしばで正直自分の父親のこういう姿
は見ているのが辛いでした。
転院してから2週間になろうと言う頃に主治医から呼び出しがあり、父が良くて2,3日と死の宣告を受けました。腸の炎症が全身に回ってあちらこちらが炎症になり手の施しようが無いと。
自分と母は????という感じ。
最初に入院した時は軽く完治してまた普通の生活をすると思ってた父がなんで?
転院した時も「全力を尽くします」との事でしたがそんなんでいいの?
そんな気持ちでした。
そして近しい方には連絡して下さいとも言われたので親戚に連絡を・・・。
近場にいる親戚はその日のうちに見舞いに来てくれて、片言しか話せない父に会って行きました。
翌日、遠方の親戚も集まってくれてる中、仕事をしてた自分にすぐ来てくれとの電話。
車で30分くらいの病院まで即座に駆けつけ、自分が到着して20分くらいで父は息を引き取りました。
5月中旬の事です。
その後は母の代わりに葬儀の手配や諸々の手続きで怒涛の忙しさでした。出棺の時までは泣くのも
忘れていました。
それから一人暮らしになった母の方の色々な法的手続きなどを仕事の合間になんとかこなしました
が、ほぼ全部の手続きが完了するまでは1年ちょっと掛かりました。
今年の5月に一周忌を向えた時はまだ途中でしたからね。

現在父の一周忌から4ヵ月。母も一人暮らしがなんとなく普通になり、自分らも父の居ない現実
は日常的になりました。
しかし、人には言いませんが今でも父の死は最初の病院での処置の不良が原因でなかったのかと
思っています。証拠も無いし訴えても勝てる訳がありませんがほぼ確信しています。
高齢者の医療には多分にこういった事があるのだと言う事を身をもって感じました。
まぁ、そう思う陰には他の人からもそういった医療ミスまがいで高齢者が死に陥った話をいくつも
聞いているのもその理由です。

そうして心を亡くしていた期間の話をざっと書きました。
嫌な話なので読み替えさすUPするので前回同様誤字脱字あると思いますが、行間から読んで下さい。
って勝手ですね(笑)

今後は明るい話題を書けると嬉しいです。

以上