それは、まるで田舎の山道を走るかの様だった。



…いや、僕は本当に田舎の山道を走っていた。


もうすぐ冬だというのに、車内は燦々と降り注ぐ陽の光のせいで少し蒸し暑い程だった。


何気なく過ごした連休の最終日、僕は彼女…ではなく、高校からの知り合いである“ただの”後輩と動物園へ向かっていたのだ。


リア充ではないが、淋しくはない。


しかしリア充でない分、虚しくなくはない。




動物園では、様々な動物を見て回った。


キリンやサイ、ライオンにホワイトタイガー等、普段目にするコトのないような珍しい動物を間近で観察できる場所が動物園であり、それが醍醐味なのである。

…皆が知っているコトだとは思うが。



そういった“当たり前”という位置付けをされた事実を説明してしまうくらい、私は親切なのだ。


それは時として慕われる要因でもあり、時として他人をダメにする要因でもあるらしい。


以前、その“ただの”後輩から、そう言われたコトがあった。


自分で自分のコトを理解しようとするのは、意外に難しいコトなのかもしれない。


他人に言われて初めて己の発言や行為の異常に気付いたり、省みたりするものなのだ。


つまり、自分を理解するためにはそういった点を指摘してくれる他人の存在が大切なのだろう。


果たしてオレは、一体何者なのか。


これから、皆の力を借りながらそれを見つけていきたい。


ただ、今は「善い人」でもありたいし、「悪い人」でもありたいという欲求が僕の中で渦巻いている。


それは栓を抜いた排水口の様に小さくも勢いよく渦巻いている。


弱い僕は、やはりこの欲求には敵わなかった。


僕は今日、たった一つの、悪いコトをしてしまった。


僕はウソをついたのだ。


“ただの”後輩を思いやり、やるせない気持ちのままについたウソだ。


そう、僕は“善い悪人”なのだ、


僕は自分を犠牲にするのには慣れている。


だが、その後にいつも僕の心を虚空が襲ってくる。


きっと、僕は彼女にとって“ただの”先輩であり、所詮“ただの”人間なのだ。


ならば僕はその“ただの”人間らしく、ありきたりに彼女の背中を押そうではないか。


彼女はこのウソに気付くだろうか。


しかし、その時にはきっと干渉できない程遠い存在になってしまうのだろう。


彼女は今まで苦労してきた人だ。


だから、今回ばかりは楽をして幸を掴んで欲しい。


そのためなら、僕は自分の気持ちを圧し殺すコトだって惜しまずやってみせる。


もしかすると、「調整役」という言葉が僕には一番似合うのかもしれない。


時には誰かと誰かの歯車になって、またある時には潤滑油となろう。


そうやって生きていくコトこそが、この機械化された世の中で見つけた、僕の唯一の生き甲斐なのかもしれない。




僕は今日、傷付きながらも飼い慣らされた動物達を見て、まるで今の僕の様だと感じた。


動物園を彩るピースとして檻に入れられた動物達と、相互関係を巧く保つためのピースとしてこの世の基盤に組み込まれた自分とを重ね合わせてしまったのだ。


あぁ、何とも酷な物語だ。


しかし、その限られたページの中でも幸せを探し続けている僕は、ある意味“ただ者”ではないのかもしれない。


僕は彼女を送り届けた後、いつもの様にカーステから流れるお気に入りの曲を全力で歌いながら、ただただ帰路につくのであった。





言えないよ 好きだなんて。