2005-02-08 15:00:06

聖書の中の女性たち 遠藤周作

テーマ:エッセイ
著者: 遠藤 周作
タイトル: 聖書の中の女性たち
「信仰者の陥りやすい過ちのひとつは,自分が神から選ばれた人間である故に,神を知らぬ人々をひそかに裁き、軽蔑するという気持ちだ。自分を正しい心の立派な人間と思い、他人の過ちや罪を蔑む。」

人それぞれに神様を持っています。遠藤周作さんは「神は存在ではなく働きである。」と言っています。この世、3次元の世界というのでしょうか、に肉体を持って存在している人間にとっては残念ながら、五感で神を観ることはできません。今ここにいる自分はいったい何ものなんだと感じるのは,現実という3次元のこの世で,決して私だけではないでしょう。でも、今そう感じている自分も、すでに五十年も生きてきて、実は、つい最近になってからではないかと思うのです。神の存在(働き)についても、それを意識しだしたのは本当につい最近になってからです。常に現実(日常)が存在する。今こうして思考のなかにいても、ちょっと意識をずらせば、現実に引き戻される。常に現実の中で生きることも出来ない代わりに、常に自分の世界、現実から離れた世界に生きることも出来ない。これがジレンマなのだ。この現在の社会でまっとうな人間というのは長時間現実の世界の中だけで生きられる人間なのだ。善いか悪いかはわからない。信仰心などとは無縁の世界。現実の世界、そして自分の五感だけを頼りに生きる。いや、第六感までをも自分のものだと考えて、現実の世界を突っ走る。

何て幸せなことだろう。そうやって一生を過ごせるとしたら。
ところがどうも人間は、そういう風にはいきていけないようなのです。これは観念論ではなくて、この世の仕組み、宇宙の仕組みが現実の常識とされている考えとは違うようなのです。私には残念ながら断定することはできない。(出身大学はカソリック系-イエズス会だから、キリスト教教育を受けたと思われがちだが、いい悪いを別にして、洗礼も受けなかったし、洗脳も感化もその当時は受けなかった)普通に社会人になって普通に結婚して普通に子どもができて、それほどお金に困ることも無く、平へい凡々と生きてきた。もちろん世間一般の悩みは在ったかも知れない。父親が亡くなって、女房が交通事故を起した時も神を呪いもしなかったけれど、神に救いも求めなかった。それは、今考えると信仰というものに無関心だったことと、この世の本当の仕組みがよくわかっていなかった、つまり、無知だったのです。今から思えばきっと神様が「働いて」くれた場面はたくさんあったのでしょう。お願いしなくても勝手にやってくれたということだ。神が働いてくれていることを知らないのだから、もちろん感謝なんかしなかった。信仰心もその時にはなかったのだから。

たぶん神を意識しだすきっかけは苦境に陥った時だろう。そしてそれは、決して感謝などではなく、呪うところから始まるのではないか。「何で俺だけがこんなめにあわなきゃならないんだ。神も仏もあったもんじゃない。」って。苦境の時のリアクションには大きく分けて二つ在る。「神にお願いしなかったからこういう苦境が訪れたのだからこれからは、神様にお願いしよう。」「神や仏が居るならこんな苦境が俺に訪れるはずはない。神も仏もいやしない。ひょっとしたら、俺が悪いことをしたのを知っていての天罰かな。」

いずれにしろ、人は苦境に陥った時に始めて神を意識する。
それでは、私はいつ神を意識しだしたのだろうか。著者: 遠藤 周作
タイトル: 聖書の中の女性たち
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2005-02-05 14:51:53

アインシュタインの謎を解く 三田誠広 2

テーマ:物理学
三田 誠広
アインシュタインの謎を解く―誰もがわかる相対性理論

どちらかというと,「安心」に近いのではないかと。ひょっとしたら,人間の「知性」の差なのかもしれないけど、少なくとも私はこの大きな問いを抱えて不安にはならなかった。

「私って何だろう」という問いについて言えば、このひとつの問いでひょっとしたら永遠に考えなければならないと思えば不安になるかもしれないけど、「誰が考えてもわからなかった。」という事実に気づけば安心するのです。わからなくても「私」は現実に存在している。宇宙も万有引力もわからなくても、宇宙は宇宙として存在しているはずです。一番いい例は、地動説と天動説で、どう考えようと、宇宙の始まりから地球は丸くて動いていたのです。コペルニクスが急に地球を回したわけじゃない。自動車もコンピューターも飛行機も原子爆弾も作ったのは確かに人間だけど、それでは、そもそもその人間を誰が作ったんだ。地球は?宇宙は?

実存-(公辞林 第二版)実際に存在すること。
実存主義- (哲)人間の実存を中心的関心とする思想。19世紀中葉から後半にかけてのキルケゴール、ニーチェ、ハイデッカー、ヤスパース、サルトル、マルセルらに代表される。
特に人間的実存をいう。個別者として自己の存在を自覚的に問いつつ存在する人間の主体的なあり方。具体的状況にある人間の有限性、不安、虚無とそれを超越し本来的な自己を求める人間の運動。自覚存在。

人間も地球も宇宙も誰がどのようにして作ったかはわからないけれど、実際に存在することは確かなようだ。そんなことを考えようが考えまいが存在する。今の世の中、よっぽど暇でない限りこんなことは考えないかもしれない。なのに何故私は今考えているのか。暇である。それは確かに言える。だけど、今時、暇とはいえ何か他にすることはあるだろう。金がないから?それもある。それでは、お金があったら別なことをして「考えない」だろうか。

そこで又「考えてしまう。」
三田誠広さんの言うように、この大きな問いかけは私にとっては、決して不安にさせるものではないけれど、とてもやっかいなものには違いない。そしてこのやっかいなものは、「知性」のなせる技のようだ。それでは、この「知性」。地球上の人間に与えられた、その「知性」とはいったい何なんだ。「考える」という作業はこの「知性」がないとやらないようだから、何故に人間にだけこのやっかいな「知性」が宿っているのだろう。行き着くところを知らない世界に入ってしまった。

話を戻そう。アインシュタインである。何故アインシュタインなのか。「人類の世界観、宇宙観が根底からくつがえされるような、驚くべきアイデアをアインシュタインは提唱しました。」物理学者というより思想家と考えた方が良いかもしれません。

私がアインシュタインを理解しようがしまいが宇宙に何の影響もありません。いや、そうなのか?
アインシュタインが相対性理論を、ハイゼンベルグが不確定性原理を発見した。その発見によって、物質的な発明がなされたことはあるでしょうが、発見したことによって宇宙が何か影響を受けたことはないのです。我々の誰かが地球がどうやって出来たかを解明しようがしまいが、地球は時速1600kmで自転しながら太陽の周りを時速10万kmで回っています。そして宇宙も同じです。我々が宇宙をどう考えようが宇宙は宇宙として存在しているのです。

それでは、何で「考える」のでしょうか?問いが生まれて、その答えを欲しがるのでしょうか? 人間の本質がそういうものだといえばそうなのでしょう。だから、文明の発達とは,「考えない」装置の発明なのかもしれません。答えの一生でない「問い」を思いつかなければ「考えなくて」済んだのです。


著者: 三田 誠広
タイトル: アインシュタインの謎を解く―誰もがわかる相対性理論

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2005-02-04 15:37:32

アインシュタインの謎を解く 三田誠広

テーマ:何のことやら
三田 誠広
アインシュタインの謎を解く―誰もがわかる相対性理論
今、何を知りたいのか。何を理由で前に進めなくなっているのか。自分のことは、よくわかっているようで一番わかっていないということがわかる。まず、「私は誰れ」という疑問。別に記憶喪失になったわけではない。ずーとわからないまま生きてきたのだ。ふと、気づいてしまった。「私はいったい誰なのだろう」「生きているここはどこで、何モノなのか」日本があり世界があり地球があり宇宙がある。確かに今までそんなことを知らなくても生きてきたし、これからも知らなくても生きていける。だけど、私は実は何にも知らないんだということに気づいてしまった。この本は近くの図書館で借りてきました。相対性理論とはいったい何なのかを知りたくて。三田誠広さんは物理学者ではありません。作家です。「僕って何」で芥川賞を受賞された(かなり前の話ですが)いわゆる純文学に近い小説家です。普通に考えるともっとも物理学からは遠いところの人です。文学部のご出身ですから、文科系に分類されます。彼がこの本を書いた理由も私がこの本を読もうと思った理由もほぼ同じです。「私は誰」、彼の表現だと「僕って何」かもしれませんが、この疑問に出会うと宇宙までいってしまいます。宇宙までいくとこんどは時間に対する疑問がでてきて、次は次元の話になり、死後の世界、輪廻転生ときて、「私とは何か」に戻ってくるわけです。だから宗教も哲学も物理学を中心にした科学全般が「この世の仕組み」を解明したいがために始まった学問だと考えていいと思うのです。

どれをとっても知らなくても生きていく、言葉を変えれば生活していくことはできます。そして生活していく上では決して役に立つことではありません。だから本当はこんなことに気づかなければよかったのにとも思えるのです。特に科学技術が進んだ現代という「今」を考えると、人間に役立つとか便利さに対して発達した科学技術が、人間だけでなく、地球に存在する生命体に幸福をもたらすものであるなら、「考える」という作業を単なるエンターテインメントの世界での「道楽」でよいのかもしれません。

三田誠広さんはこの本の序文の中で「知性を持って生まれてきたことは、人間にとって幸いだったのか。」の問いを発しています。現代の科学技術は、確かに人間の知性の賜物です。しかしこうも言っています。「知性を持つことによって、人間には"不安”が忍び寄ってくるのです。」「宇宙とは何なのか。宇宙はどのようにして始まったのか。宇宙はどのようにして先に進んでいくのか。宇宙には果てがあるのか。」「微小な問題」「時間的な広がり」「この私とはいったい何なのか」
人間には「知性」があるから生活するには何ら必要のないことを「考えて」「不安」になるのだと言っています。

「不安」とは、(大辞林の第二版)1.気がかりなこと。心配なこと。これから起こる事態に対する恐れから、気持ちが落ち着かない事。また、そのさま。2.(哲)人間存在の根底にある虚無からくる危機的気分。原因や対象がわからない点で恐れと異なる。実存主義など現代哲学の主要概念。

今、何を考えているかというと、理由はさておき、三田誠広さんと同じように「この世の仕組み」に対して何も知らないんだということに、遅ればせながら気づかされたけれど、このことによって私は「不安」になったのだろうかと。だから、大辞林で「不安」の意味を調べてみたのです。考えてみたけれど、どうも私にとっては、それは、「不安」とは違う感情のように思うのです。
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