っひー。慶應大学総合政策学部の日本研究概論という授業のゲスト講師を務めました。
 
しかし、何せ我が家は古いマンションで光ファイバーもきておらず、WIFI環境がすこぶる悪い。オンライン英会話をやっているときも、しばしば途中でフリーズする始末。90分、もたなかったらシャレにならん。
 
最初はキャンパスのあるSFC藤沢まで行こうかと思っていたが、Withコロナ時代にオンラインに対応できないなんてことになると、この先完全に仕事が制限される。ここは思い切って、自宅オンライン環境を整えるしかない。
 
ということで、WIFIをやめ有線で。デスクトップのパソコンがおいてある机までは線が届かないので、ピアノの上にSurfaceを置く。SurfaceのUSBの穴に回線の先っちょが入るつなぎは買ってきた。(正式名称、全くわからない。電気屋さんでも説明大変)
Zoomも何度か活動団体のメンバーと会議をしたことがあるけれど、参加するのみで、こちらがパワポを操作したりなんてやったことないし。
聴講する学生は200人を超えるという。一体Zoomで200人もどうやって表示されるのか。さっぱりイメージがわかない。
不安しかない状況で、時間がきてしまった。
 
冒頭、不慣れです、おかしなことになったらごめんね、と断りを入れる。
パソコンに向かってひたすら話すなんてことができるだろうか、と不安だったが、画面の中に、数人の顔が見えて、ああ、確かに聞いている人がいる、ということが確認できたので落ち着く。土屋先生がうんうんと、うなづいてくれるのがありがたい。これ、大事。
 

今日までたっぷり時間があったが、結局、話の結論、筋は、今日の朝できあがった。前日までにはまとめておきたいものだが、直前にならないと決まらない。朝、1時間かけて必死のパッチでパワポ画面を仕上げ、ざっくりと言いたいことを整理した。あとはもう、出たとこ勝負。原稿を作りすぎると、それに引きずられて、話が上滑りする。魂の講演は、その時、湧いてきた言葉を大事にするのだ。準備するのが苦手というだけのことだけど。

 

反応がわからないのだけれど、質疑応答では、次々と発言があり、ちゃんと伝わる人には伝わったかなという感触はあった。

ハンセン病の話から、日本にある様々な差別、自分のことも話した。

特に今日、みんなに伝えたかったことは、大きく凹むことがあったとしても、人はそれを埋めようとする本能が働くもので、人並み以上に笑って生きることもできるんだよ、ということ。それは私の願望かもしれないけれど、いや、たぶん、すでにもうそんな時間をたくさん過ごしている。

伊藤詩織さんに加害した何某が「性暴力被害者は笑わない」なんてふざけたことを言っていたが、いやいやいやいや、笑うんですよ。私たちは。しょぼくれると思ったら大間違い!

ハンセン病を生きた谺雄二さん、桜井哲夫さん、國本さんもよく笑っていた。

森元美代治さん、次第に目が見えなくなってきているけれど、先日「罪と罰」を耳で聞いて感動したという。いくつになっても、発展可能性をもって、力強く生きている。人間の力って、すごいんだよ。そんなことが今日は言いたかった。

 

講義のあと、八重樫信之さんの写真展にお邪魔しました。明日までです!

 

1996年のらい予防法廃止の頃から写真を撮り続けてこられた元朝日新聞のカメラマン。私もその頃からたびたび支援者の会など集まりに参加してきたが、必ず八重樫ご夫妻がいた。当事者の気持ちを理解しようとし、自分事として共に歩まれてこられたんだなあと写真をみてしみじみ。確かにそこに生きていたんだということを残すぞ、という気迫のようなものを感じ、思わず熱くなった。写真展で泣きそうになるなんて初めての経験。

写真を前に、交わした言葉を一つ一つ思い出していた。私にとって、何よりも大事な宝。思いは引き継ぎました。私もやれることは全部やる。この社会で生きづらさを感じる人が少なくなるように。

 

藤色のお着物と髪とのコーディネートが素敵でした。