(14)の続き
㉗備中国分寺跡、五重の塔が再建されている(総社市)
備中の中心地、備中国分寺跡
㉘鯉喰神社(日本遺産、倉敷市矢部)
温羅(うら)伝説に出てくる神社で、「桃太郎の鬼退治」
にも通じる話です。吉備地方を統治していた温羅(鬼)は
朝鮮から製鉄技術を伝え、鬼ノ城に住んでいたが、
吉備の住民をいじめたため、崇神天皇(10代)は四道将軍
の一人の吉備津彦命を派遣して討伐させた話です。
鯉喰神社、温羅伝説の舞台
鯉喰神社
㉙吉備津神社(備前国一宮、推古天皇時代創建)
吉備を平定した四道将軍の一人、大吉備津彦命を祀る
立派な神社です、本殿、拝殿は国宝に指定されている
㉚楯築(たてつき)遺跡(倉敷市矢部、国史跡)、
王墓山古墳
弥生時代後期(2世紀)に築造された日本で最大級の墳丘
(双方中円型)を持つ弥生墳丘墓(王墓)です。円丘部の
頂上には5個の巨石が立てられ、多くの土器片も出土した。
墳丘上には大正時代まであった楯築神社に神体として
弧帯文様が刻まれた石「伝世弧帯文石」と呼ばれる。
この弧帯文は、奈良の「纏向遺跡」の弧文円板と共通すると
言われている。纏向遺跡の前進ではないかと考えられている。
また、前方後円墳の初期型とも考えられている。
ここにも吉備津神社や鬼ノ城などのように温羅(ゆら)
伝説が残っており、吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石楯を
築き、防戦準備をしたと伝わっている。
楯築(たてつき)遺跡墳丘墓の立石、石は5個ある
出土した弧帯文石、意図的に割られていた
楯築遺跡、王墓山古墳(下部)近くの遺跡、縄文~弥生
の矢部古墳群もある
王墓山古墳の石棺、王墓山丘陵一帯には多くの古墳があり、
「王墓の丘史跡公園」として整備されている、
浪型石の家形石棺を持つ他の古墳は吉備でも有数の規模を
誇る有力豪族のものばかりです。又古墳からの多くの
副葬品から王墓と推定される、形状は円墳または方墳で
25m位です
(16)に続く