いろいろ初めてで綱渡り的だった在宅介護も、なんとか在宅看取りを終えてからも、あらゆる事が危なっかしく進みました。


 「葬式は小さく」は、母親が生前から常々言っていた事でした。

(今年1月23日2月7日に滞在したウドンタニ。ノンプラジャック公園の看板。右奥巨大な壺はバンチィェン遺跡発掘品の拡大モニュメント)


 訪問診療医が死亡を確認し、医師は死亡診断書を書いて帰り、訪問看護師が最低限母親の遺体を整えている間に、私は並行して葬儀社をインターネットで探していました。

 葬儀社選びを急いでいた理由は、私が訪問看護師に関わって貰う時間を、なるべく減らしたかったからでした。


 医師が帰った後に、急変の連絡で来た訪問看護師が「皆さんでエンゼルケアをするか?」と聞いて来ました。

 しかし、対応が雑と言うか横柄な看護師で、これ以上関わって欲しくない気持ちもあり、「エンゼルケアは、今やらなかったら誰がやるのか?」と聞くと、「葬儀関係者」と回答があったので、日も暮れて来ていたので、とりあえず、葬儀社の選定を急ぎました。

(今年のタイ旅行のウドンタニ。ワットパードンノーンターン)



 そして、母親の子供達3人で急逝した母親を囲んでいる中、死亡から2時間後には葬儀社の社員が見積りに来ました。


 葬儀社の社員は見積もりと言いながらも、玄関に沢山の荷物を持ち込んでおり、葬式の内容の提案と概算額の提示があり、見積もり合わせをする気にもなれず合意すると、いきなりドライアイスでの母の遺体の保冷や、通夜の用意をして葬儀社の社員は帰りました。


 見積もりに来た葬儀社の社員が、なんか色々持って来たなと思いましたが、まさか見積もりの提示と葬儀契約の合意前から、ドライアイスや通夜の祭壇一式を持ち込んでいたとは気付きませんでした。


 また見積もり金額も、最低限にオプションを積んで行く計算か、標準葬儀から不用な物を除いて行く計算と2種類提示されましたが、結局どちらにしても大して変わらない辺りに落ち着く計算になっている様でした。

(今年2月7日ウドンタニからバンコクへ移動。昨年までタイ国内線はタイスマイルで、タイ航空と無関係でしたが、今年になってタイ航空になりました←ANAのマイル積算可能になった)



 当初「母親の子供3人だけ」なるべく小さな葬式にしたい方向で、残された私達子供3人は合意していました。

 葬式は葬儀社でお棺の蓋をして、火葬場で僧侶の読経をお願いして、お花もセットの最低で遺影写真作成も頼まない事にしました。

 そして火葬場の予約を急いだのですが、居住地の火葬場では、1週間先まで予約が取れませんでした。



 この為、母親の遺体は通夜の後1週間葬儀社で預かってもらいましたが、逆にこの期間が私にとっては、在宅看取りで寝不足や、通夜として一晩線香を焚き続けた事などへの、疲労回復期間として助かりました。


 葬儀までの間、お棺に入れる副葬品と、母親の遺影写真を選んでいましたが、葬式の前日になって額を買いに行き、当日朝にセブンイレブンで印刷し、葬式の直前になってL版の小さな額の遺影が出来ました。


 Lサイズの小さな遺影でしたが、額装が出来て良かったです。

 葬式や火葬場の炉の前など、やはり遺影はあるものであり、最低限の形になって「小さく葬式したい」と言っていた母親の願い通りに出来て良かったと、今では思っています。



 葬儀社の見積もりの段階では、「大きな遺影写真は家で飾るとこなくて、納骨した後で困るから要らない」と言ったものの、葬式や火葬場で全く遺影写真がないのも、それはそれで後から気になっただろう…と、小さな遺影であってもギリギリで用意が出来た事に、後からはホッとしていました。



 また、参列者は当初「子供達3人だけ」と言っていましたが、結局、それぞれの配偶者や子供達も参加する事になり、近親者だけとしても人数は、それなりに参加する事になりました。


 また「火葬場でのお清めも要らない」と言いましたが、たまたま朝の集合場所をパン屋の駐車場にしていたので、迷惑料代わりに小さなパンを多めに買って葬式に行きましたが、火葬場の待ち時間の場繋ぎになり良かったでした。



 簡単に言って、常識なく身内だけの勝手な形で、葬儀をしてしまいましたが、土壇場で一通りの形として送る事が出来て良かったです。(火葬の順番待ちで、偶然初七日に重なったし…)

(今年2月9日アジアホテル19階からワットサケットの方向を見る)