宮本佳代子(小泉進次郎母)の手記

「33年の沈黙」を破った 小泉純一郎元妻が「手記」に書けなかったこと 進次郎は決して「母」を語らず、ヤンチャな三男は“コネ入社”
華麗なる一族に新たなるキャラクターが登場した。小泉純一郎元首相と三十三年前に離婚した妻が、雑誌「いきいき」の取材に応じ、離婚や息子たちへの思いを語ったのだ。だが、「手記」には書けなかった事実は少なくない。小誌だけが知る小泉家の“秘密”とは――。
 
  小泉純一郎元首相(74)、進次郎衆院議員(34)を長期間取材し、『小泉純一郎独白』を刊行したばかりの常井健一氏が興奮気味に語る。
 「父は元首相、長男は俳優、次男は総理を目指す若手ホープという華麗なる一族の“母”の独占告白は、小泉家を取材する記者なら、誰もが狙っていたスクープでした。正直悔しいです」

  今月十日発売のシニア女性誌「いきいき」四月号に、ひとりのキャリアウーマンの“手記”が発表された。

 〈早いもので、離婚してから33年が経ちました。今回初めてお話ししますけれど、実は離婚をした当時、私は妊娠6か月でした〉

  純一郎氏の妻だった宮本佳代子さん(60)が、長い沈黙を破り取材に応じたのだ。「いきいき」編集長の矢部万紀子氏が経緯を明かす。

 「十年以上前に宮本さんと知り合い、インタビューをお願いしてきました」
  出版関係者が解説する。

 「矢部編集長は、朝日新聞の元社員で、“出版部門のエース”とうたわれた名編集者。松本人志の二百万部を超えるベストセラー『遺書』を手掛けたことで知られています」

  取材に応じた理由を佳代子さんはこう明かしている。

 〈この3月で、私は60歳になります。還暦を人生のリセットとするならば、まさにこれからがセカンドステージ。今年は、私にとって大きな節目の年になると思っています〉

 〈新たな人生のスタートを切ろうという今だから話せると申しましょうか。息子が自立して、母親としての役目をひとまず終え、ようやく昨年末くらいから「これまで縛られてきたしがらみから自分を解放しよう。これからは堂々と生きていこう」という気持ちになれたのです〉

  手記では、純一郎氏との結婚を振り返っている。

  七八年一月、時の総理大臣・福田赳夫氏が媒酌人となって二人は結婚。三代続く政治家と、エスエス製薬オーナーの孫娘は十四歳離れていた。

  同年の七月には孝太郎が、八一年四月には進次郎氏が誕生したが、翌八二年九月にふたりは離婚してしまう。

  幼稚園から大学まで青山学院育ちのお嬢様だった佳代子さんだが、義母や義姉たち、義弟夫妻などが揃う小泉家での結婚生活は五年足らずしか続かなかった。

  そして離婚当時、妊娠六カ月だった佳代子さんのお腹のなかにいたのが、三男の佳長(よしなが)氏だ。

 〈「父親が有名でも、あなたとは関係ない。あなたの母はいちサラリーマン。勘違いしないで生きていきなさい」と話しました〉

親権を巡り家裁の調停に
 
 そう手記で佳代子さんが語るように、離婚・出産後は不動産会社に勤務し、実の母の手を借りつつ女手ひとつで子育てをしてきた。

  手記では誰に恨みをぶつけるわけでもなく純一郎氏との離婚、息子たちとの別離が綴られている。だが、小泉家をよく知る関係者は、手記に書けなかった離婚の内実を明かす。

 「小泉家は、政治家である純一郎氏を姉・信子さんを中心に支える非常に結束の強い一家。そこに“他人”が入るのは簡単ではありません。お嬢様育ちだった佳代子さんにとっては、しんどい家庭生活だったのです」

  手記では、

 〈私の嫁いだ先は、3代続く政治家の家で、小泉氏のお母様やお姉様たち、それに弟妹たちもみんな一緒に住んでいました。それも私にとってはいい人生勉強でした〉

  そしてこう続く。

 〈いっぱい涙を流したからこそ、人の痛みがわかる人間になれたと思います〉

  離婚後、当時四歳だった孝太郎とわずか一歳だった進次郎氏は父方に引き取られ、小泉氏の姉たちや家政婦らに育てられた。

 〈ふたりの息子とは生き別れた状態でしたから、胸の中にはさまざまな思いが渦巻いて……。今振り返っても、離婚直後はいちばんつらく悲しい時期で、一生分くらいの涙を流した気がします〉

  以前、佳代子さん、佳長氏を取材したジャーナリストの松田賢弥氏が語る。

 「離婚した後、生まれた三男は、宮本家によって『佳長』と命名されました。ただ純一郎氏と佳代子さんは親権を巡って争い、家裁の調停に持ち込まれた。小泉氏は『養育費は払わない』と言ったそうです」

  そうした経緯があっただけに、佳代子さんは、必死だった。寝る時間を削って、勉強し、宅建にも一発合格した。

 〈そんな苦しかった時期を乗り越えられたのは、息子・佳長がいたからです。この子が社会に出るまでは死ねない〉

  母の元で育った佳長氏は、都内の私立中学校からアメリカにある高校に留学。〇一年に京都の私立大学に入学したという。この年、純一郎氏が首相に就任。小泉ブームが起こった。この頃、佳長氏は、一度も会ったことのなかった父への思いを募らせていた。

 「意を決した佳長氏は、父に会いに行くのです。二〇〇一年の夏、小泉氏が静養していた箱根を訪れ、『三男です』と申し出た。

  二度目は同年十一月。小泉氏の母・芳江さんが亡くなり、その告別式に佳代子さんと共に献花に行った。

  しかし、二度とも純一郎氏は、秘書を通じて断り“親子の初対面”は果たせませんでした」(前出・松田氏)

  小泉総理時代、孝太郎は芸能界にデビューし、進次郎氏は、テレビカメラの前で、父とキャッチボールし、後継者として認知されるようになっていく。

  一方、佳長氏は“迷い”の真っ只中にいた。

 「アメリカの高校で全寮制の生活を経験後に帰国。ようやく合格した大学では中国語を学んでいた。でもちょっとヤンチャで遊びすぎてしまったのか、大学卒業まで丸六年もかかってしまったといいます。佳長は二〇一三年の秋に三兄弟の中で一番先に結婚しましたが、奥さんは入学時に同級生だったのに、卒業は佳長のほうが“後輩”でした」(前出・小泉家関係者)

  手記には佳長氏について、

 〈息子が社会人となり、母親と同じ不動産業界に進んだときは、うれしかったですね。私が働く背中を見ていてくれたのかな、と〉

  佳代子さんは八三年から三井不動産のグループ会社に勤務。現在は富裕層ビジネス担当のエースだという。

 「佳長君が大学を卒業したのが〇七年。この時に佳代子さんが三井不動産関連の会社に入れたい、と。直接会社に言うのではなく、当時、議員だった純一郎さんサイドに頼んだんですよ」

  そう話すのは、三井不動産の元幹部だ。

 「すでに佳代子さんの手腕は知れ渡っており充分社内で“力”はあったから、直接会社に言っても大丈夫だったのにね。念には念を入れたんでしょう」(同前)

  そして、父と息子は、ついに対面を果たす。

  純一郎氏が政界引退を表明したのが〇八年。〇九年には、後継者として指名された進次郎氏が衆院選で初当選した。

 「純一郎氏は、総理を辞めるまでは会わないと周囲に話していた。政界を引退したことで、長男の孝太郎が、音頭をとって、息子三人がまず会った。そして、純一郎氏と佳長氏の面会が実現した。以来、父と三兄弟で会食に出かけるようになったようです」(前出・小泉家関係者)
 
 孝太郎、進次郎との和解は?
二〇一四年一月、佳長氏の結婚をキャッチした小誌の直撃に、純一郎氏はこう明かしていた。

――和解されたんですか?

「いやいや、和解なんか前からしてますよ」
  前出の小泉家の関係者が語る。

 「祝いの席には、純一郎氏も出席して、孝太郎、進次郎と三兄弟が揃った」

  こんな一幕もあった。

 「長男の孝太郎が、『これからは(佳長氏のことを)みんなで一緒に面倒見ていきますから』と語ったそうです」(佳長氏の知人)

  結婚式は、都内の一流ホテルで、ごく普通のサラリーマンとして挙げた。

 「三井不動産の関連会社のごくごく一般的な中堅社員ですからね。顔は純一郎さんにソックリですけれど。
  会社の同期だとか学生時代の友達などが出席していました。披露宴に純一郎さんが出席したという報道もありましたが、来ていないですよ。来たら大変でしょう」(前出・元幹部)

  手記には、万感の思いを込めて、こう描かれている。

 〈披露宴の最後に「お母さん、誰よりもいちばん感謝している」と言われたとき、私は張りつめていた気持ちから解放されて、号泣しました〉

  和解を果たした父と息子だが、一方の佳代子さんと孝太郎、進次郎氏との関係はどうなのか。

 〈これまで「離れていても、子どもへの愛は伝えられる」と信じて生きてきましたが、孝太郎と進次郎がメディアを通じて発信してくれるおかげで、気がつけば「息子たちに支えられている」と感じられるようになりました〉

  進次郎氏に長期密着取材を続けてきた常井氏が語る。

 「『シングルファーザーの父が大事に私を育ててくれた』というのが、進次郎氏の定番ネタ。ですが、進次郎氏の口から『母』という言葉を聞いたことは一度もありません。佳代子さんがメディアに登場したことで、母子の関係にも変化が生じるのかもしれません」

  素顔の佳代子さんを知る関係者はこう話す。

 「営業をこなしてきたからか話をしていても非常に勘もいいし、気さくなのにてきぱき・キビキビしていて頭の回転が速い女性です。
  昨秋の講演や今回の手記をきっかけに、今後“表”に出ていく気持ちがあるように思えます」

  彼女の登場で、新たな小泉家の物語の幕が開く。
 
 
 「週刊文春」2016年3月17日号
 
 
小泉純一郎さんの離婚理由には様々な情報が噂されていますが、その中には宗教に関するものもあります。

元妻の宮本佳代子さんが創価学会員で、その考え方の違いで離婚に至ったのではないか?というものです。

小泉純一郎さんは結婚の際に「政治家の世界は何も知らなくていい」と佳代子さんに伝えています。

政治活動に関しては小泉さんの母親や姉が取り仕切ることが多く、佳代子さんにその必要性は求められていなかったわけです。

とは言え、政治家の妻として何かと夫を支える行動を起こした佳代子さん、創価学会出身ということも関係して親族からの反感を買った可能性も考れます。

もちろん、明確な離婚理由について小泉純一郎氏も元妻の佳代子さん側も何も話をしていないので実際のはどの情報が正しいのかはわかりません。

実際に、宮本佳代子さんが宗教にのめりこんでいたのかどうか分かりませんが、根強い噂の一つとして残っています。

確かに自民党議員の身内に創価学会員のものがいる、というは、悪いわけではありませんが、少し不自然な感じもしなくもないですよね。

創価学会といえば、やはり「公明党」と頭に浮かぶ人の方が多いでしょうから。

政教分離を考えるうえでも、小泉純一郎の今後のキャリアとしても、身内に創価学会員はちょっとまずかったのではないでしょうか。