ことでんのレトロ電車、最後の日 | Y14編成のブログ

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鉄道や散歩の記録
その他いろいろと、書き綴っていこうと思います。

写真の著作権は放棄しませんが
自由に使ってOKです。

各地の災害でお亡くなりになられた方への
ご冥福をお祈り申し上げますと共に
被災地での1日でも早い復興を
心よりお祈り申し上げます。

今年の文化の日は、ことでんのレトロ電車の最後の日だったので

それの記録をしに、香川に行きました。

高松へは、当日の朝に行ったのではなく

前日の仕事・歯医者終わりに行きました。

フットバスに揺られて、高松についたあとは

久しぶりにファーストイン高松で泊まりました。

当日の朝、片原町で1日乗車券を買って

ことでんの記録の始まりです。

まずは、1107Fに乗って瓦町へ行きました。

瓦町に着くと、レトロ電車は

このような場所に止まっていました。

高松築港寄りは、300号車です。

長尾寄りは、120号車です。

1207Fとの並びを撮って、瓦町駅に戻りました。

8時25分発の長尾行き

これが、さよなら運転の第1便となり

レトロ電車最後の長尾線運行となります。

ホームは、最後のレトロ電車に乗る人で溢れていました。

しばらくすると、レトロ電車がやって来ました。

さて、レトロ電車に乗りましょう。

まず最初に乗ったのは、300号車です。

車内は、通勤ラッシュのような混雑でした。

私が毎朝乗ってる地下鉄は、それぐらいまで混んでいないので

このような満員電車に乗るのは、すごく久しぶりです。

車内スピーカーは、国鉄型で使われているものと同じ形です。

吊り掛けモーターの、独特なモーターを響かせながら

列車は進んでいきます。

しばらくしてから、扇風機が回りました。

40分ぐらいで、長尾に着きました。

私にとって、長尾線はこれが初乗車となりましたが

立ち位置の関係で、ずっと景色が見づらかったです。

長尾に着いたあとは、120号車に乗ることにしました。

プレート類の様子です。

製造銘板のアップです。

大正時代の電車なので、右から左へ読んでいきます。

天井は、300号車に準じていて

車内スピーカーも、300号車と同じものでした。

網棚やドアの上には、写真が掲出されていました。

車内は、やはり満員でした。

だけども、今度はなんとか景色を見ることが出来ました。

瓦町に戻ったあとは、琴平線に入って

高松築港へと向かっていきます。

片原町に着くと、後ろが見えるようになったので

後面展望を撮ってみました。

高松築港駅に着いたら、レトロ電車の乗車は

いったん終わりです。

出発シーンを、動画に収めました。

めっちゃ久しぶりの、超満員の電車に揺られた後は

小休止してから、撮影会に行くために

再び1107Fに乗って、仏生山へ行きました。

ここでは、ホームから写真を撮れないように

構内に電車をいっぱい止めてガードしていました。

しかし、撮影会は既に定員を超えて受付終了になっていました。

撮影会の会場の入口も

入口から撮れないように、電車を止めていました。

この場所までの道のりで、レトロ電車は見えましたが

見える所は、撮影禁止になっていました。

1201Fに乗って、高松築港に戻りました。

高松築港に戻ったら

めりけんやで、うどんを食べました。

元々、高松駅にある連絡船うどんに行こうと思っていましたが

この日は残念ながら定休日でした。

食事の後は、1091Fで仏生山に戻りました。

レトロ電車は、撮影会が終わった後は

このような場所に移動しました。

ここで、120号車のヘッドマークを撮りました。

その後ろには、300号車がいました。

そのあとに、連結作業が始まりました。

レトロ電車の連結シーンを見れるのは、これが最後だと思います。

連結作業を終えたあとは、ドアを開けたり閉めたり

動かしたりしていました。

さっきの動画を撮ったあとに、300号車のお顔を撮りました。

しばらくすると、動き出して

このような場所で、いったん止まりました。

その後、このような場所に移動しました。

撮影会は終わったので

この場所での撮影は解禁されています。

さて、再びレトロ電車に乗りましょう。


次に乗ったのも、120号車です。

時間になり、列車は仏生山駅を出発しました。
再び、満員電車に揺られていきます。

一宮に着きました。

ここでは、しばらく停車します。

長時間停車は、行き違い待ちではなく

一宮止まりの列車の待ち合わせでした。

車内に戻った後に、120号車の運転台を撮ってみました。

車内から、お顔の貫通扉を眺めた様子です。

ここで、この車両の近代化産業遺産認定の賞状を撮りました。

滝宮では、行き違い待ちでしばらく止まりました。

車内に戻ると、連結している側のお顔の貫通扉が開かれていました。

その後に、速度計の様子を撮ってみました。

琴電琴平に着く前の、JRと交差する場所では

JRとの交差はしませんでした。

1時間ぐらいで、琴電琴平に着きました。

乗客を全て降ろして、ドアを閉めたあとに

開いている窓から、120号車の車内を撮りました。

同じように、300号車の車内も撮りました。

300号車の仕切りの様子です。

次もレトロ電車に乗りますが

時間があったので、改札外からも撮影をしました。

ここで、300号車のヘッドマークを撮りました。

しばらくすると、こんぴらさんのラッピングをまとった

1205Fがやって来ました。

120号車との並びを撮って、ホームに戻りました。

次は、300号車に乗ることにしました。

さっきの、こんぴらさんの電車が出発したときに

レトロ電車のドアが開きました。

車内に入ったあとに、賞状を撮りました。

琴電琴平を出たあとの車内動画です。
なお、この列車もJRの車両と交差しませんでした。

最後の土器川を渡る様子を撮ってみました。

この列車も、滝宮駅でしばらく止まりました。

留置している、1103Fとの並びです。

車内に戻ると、混雑度が増してきました。

私はドアの近くにいましたが
このドアは、動画のように途中までしか開かなかったり

ちゃんと閉まらなかったりすることがありました。

一宮でも、しばらく止まりましたが

降りれる状況じゃなかったので、そのまま車内にいました。

高松築港駅に着いた後は、最後の列車に乗ることにしましたが

折り返し時間が非常に短かったので

最後の乗車は、引き続き300号車にしました。

高松築港駅発車後の、夜の車窓とアナウンスです。

最後の瓦町駅を後にする様子です。

太田に着くと、次はいよいよ

お客様を乗せて、最後の駅となる仏生山です。

最後のアナウンスを、撮っておきました。

1つじゃ収まらないので、2つに分けてアップします。

このレトロ電車は、今後は車庫の入れ替え車両として

第2の人生を歩むことが決まっております。

大きなトラブルもなく、無事に最後の列車が

仏生山駅に着きました。

出発シーンを、動画に収めました。

その後に、再びレトロ電車が通ったので

もう一度動画を撮りました。

レトロ電車は、1071Fの横の建屋に入ったあとに

再び動き出して、こっちに近づいてきました。

この時にやってきたのは、120号車だけでした。

構内踏切の手前で、止まりました。

もう一度、発車シーンを動画に収めて

レトロ電車の記録は以上です。

 

95年間、お疲れさまでした!

その後は、1201Fに乗って栗林公園まで行って

そこから高速バスで神戸に帰りました。