これまで息子の病気について曖昧な表現を続けていました。

確か友人や親戚などにも言ったことはなかったと思います。

ちょっと難しい病気なので
そんな病名聞いたことないよって思うだろうけど
こちらも上手く説明できないし。
言ったところでわからないよな。
と諦めてました。

でも、最近
ここでは打ち明けてもいいかな
と思うようになりました。

息子の病気は『多脾症候群』です。

説明が難しいので
気になる方は調べていただけたら…と思います。

息子が生まれた時は
この病気についての情報が
インターネット上ほとんどなかったんです。

だから、余計に
誰かに打ち明けても
調べようもないし
まぁ『心疾患』でいっか。
と思ったわけです。

それが、いつからか
私もびっくりするほど情報が!

息子が生まれた頃にも
こんなふうに情報が出ていたらなぁ
と思いました。

でもそれはそれで
きっと情報過多で気持ちが振り回されて
精神衛生上はもしかしたらよくなかったかもしれないけれど。

でも情報ひとつないというのも、また
それはそれでつらかったのです。


息子が生まれて間もない頃から
私には悩みがありました。
息子の体のことでの悩みは
たくさんあったけど

これについては息子の心配というより
私の心配…かな⁉︎

それは
将来私はこの子に責められるんだろうな…ということ。
「なんでこんな体に生んだんだ」とか
「なんでみんなと同じように生んでくれなかったんだ」とか
何を言われてもしかたのないこと
だってその通りだから
覚悟を決めなければな…って。

本当に申し訳ない事をしてしまったのだから
何を言われても息子を責めないように
聞いて、そして謝ろうと思っていました。

なんとなく
私が責められるのは
中学生くらいかなぁ?なんて漠然と思っていたんですけど

その日は思ったより早くやってきました。

そもそも
息子に言われる云々ではなく
日々の中で責められている気がすることは
多々ありました。本当に多々。

市の◯ヶ月健診には行けなくて
主治医から息子の場合は市の健診を受ける意味がないし
むしろ感染のリスクがあるから集団には行かないで欲しいとお願いされていたし
たぶん同じ月齢の子を見るとあまりにも違っていてショックを受けるから、その意味でも行かない方がいいと言われて
ずっと断ってたんですけど。

そうしたら市の保健師さんから
『◯ヶ月健診は受けないといけない決まりですよ!虐待を疑いますよ!』と自宅まで来られたことがありました。
事情は説明していたのに
虐待まで疑われる私って・・・

まぁ、健康な体に産んであげなかった時点で虐待と言えば虐待かもな、なんて当時の私は思い詰めたりもしました。

些細なことだと例えば
小学校一年生の国語の授業で
「どうぶつの赤ちゃん」という物語があったんですけど。
おうちの人に聞いて書く宿題のプリントで
動物の赤ちゃんの成長と
人間(自分)の赤ちゃんの成長を
比べるというものがあって。

息子の成長過程は一般的ではなかったので
そのプリントを見ながら授業を受けるのに
とても困ったそうで
「なんで?」と言われました。

他にも似たようなことが
たーーーくさんありましたが

まず私自身に後ろめたい気持ちがあるからか
全て私のせいだと言われてるような気がしてしまって。

それで話は戻りますが

直接息子に責められるのは
中学生くらいかなぁと思っていたのですが

それは小5の終わり頃にやってきました。

息子は支援学級に所属していたのですが
支援学級のお友達が一気に増えたり
荒れてしまう子がいたりして
(これらは支援学級あるあるですが)

息子は静かな環境で
集中して勉強がしたいタイプなので

その荒れた環境に
どうしても馴染めず
登校拒否をしたり
登校しても一日中トイレに引きこもるようになりました。

息子はお勉強はすごく出来たので
支援学級より普通級で過ごさせてもらうことになりましたが
座学ならいいんですけど
体育の授業などの動きのある授業は
息子はみんなと同じようにはできないので

そういう時はしかたなく
支援学級に戻らなくてはならなくて。

あ、そうそう
当時はコロナの関係で
保健室登校ができなかったんですよ。

おそらくストレスでいっぱいいっぱいになってしまったんでしょうね。

家で泣きながら
「なんで僕はこんな体なんだ!」
「みんなと同じだったらよかったのに!」
「だったらもう死にたい!」
と、何度かそう言われたことがありました。

はじめて言われた日は
私も泣いてしまって
「死にたいなんて言わないで…」
(↑結局息子を責める私)
それで精一杯でした。

あんなに心の準備をしていたのに
全然ダメでした。

普通級に居座ることも
みんなに陰で「なんで最近いつもいるのかな」とか言われてたらどうしよう。邪魔にされてたらどうしよう。なんて、息子可愛さのあまり、余計な心配をしてしまって
何度か息子に「ずっと普通級にいて大丈夫なの?やっぱり支援級はダメそう?」と聞いてしまってました。

きっと息子のことだから私の心の奥の
支援級にいてほしい、を汲み取ってたと思います。
私は普通級は先生の目が行き届かないので心配ってのもあったけれど
息子はおそらくそこまで気持ちを汲み取ることはできないと思うから
単に「支援級にいなさいよ」と捉えたことと思います。
きっと私の対応が下手すぎて息子には余計に悩ませてしまったと思います。

学校を休ませる手もあって
何度か休ませてのびのびとさせたこともあったけれど
当時まだ低学年だった次男が
「ずるい!」と言うのを心配して
息子には「とりあえず行くだけ行って帰っておいで」と諭してました。

次男は次男で同級生から
「お兄ちゃん心臓ないんでしょう〜」とか
「お兄ちゃん死にそうになったんでしょう〜」とか
「(病気で)バカだね〜へんなの〜」とか
からかわれたことがあって。

低学年の男の子なんてほんとこんなもんですけど、時に残酷。

〝きょうだい児〟としての悩みはあったと思います。
だからこそ次男のケアもしなくては!と必死になってしまって。

兄弟の順番が逆だったら
兄が健康で弟が病気だったらまだよかった?
とかもよく考えました。

それはそれできっと大変なことや悩みが
あるのでしょうけど。


今だったらどうかな?
どんな対応をして
どんな言葉をかけるかな?
とよく考えます。

そんなこと考えたってしかたないのに
よく考えてしまいます。

私はたぶん間違えたと思います。

今なら
学校に行きたくなければ行かなくてもいいよと言うし
次男にはきちんと説明をして納得してもらうし

息子が
「何でこんな体に産んだんだ!」
「死にたい!」
と言ったら
私は泣かずにちゃんとに受け止めてあげるのに 




息子がすごくつらそうに泣きながら
「死んだほうがマシ」
と嘆いた表情や声が
どうしても忘れられません

だからって本当に死んでしまってよかったの?
ちがうよね
それくらいつらいんだよって言いたかっただけで
まさか本当に死んでしまうなんて
息子自身も思ってなかったと思います。

悔しいね…

私はきっとこれからも
あの表情や声を
思い出してしまうんだろうな