いま中国政権中枢で「造反劇」相次ぐ大異変!首相・李強が習近平に「公然当て付け・無視」!いよいよ本格化してきた「対立と確執」の全舞台裏

 

現代ビジネス

引き続き重要会議で習近平無視

by Gettyimages

習近平側近であるはずの李強首相(=国務院総理)は、7月19日開催の国務院会議で公然と習近平礼讃の「二つの確立」を無視することで「公開造反」を行った(8月1日公開「中国政権中枢でついに『習近平への公開造反』!露骨な首相外しに李強がブチギレて『習近平礼賛拒否』の内幕…そして解放軍でも不満顕在化」)。実はさらに7月31日、自身主宰の国務院会議で再び「習近平無視」を演じて見せた。 【写真】中国政権中枢でついに「習近平への公開造反」!李強首相が「習近平礼賛拒否」 会議は「当面の経済情勢と下半期の経済工作に関する習近平総書記重要講話を学習する」と銘打ちしてはいた。しかしながら、人民日報で公表された会議の具体的内容においては、習近平の名前と「習近平講話」に対する言及は全くなく、習近平抜きの「党中央」が主語となっていて、「党の三中全会精神の学習・貫徹」が会議の本当のテーマとなったものである。 その前日の7月30日開催の中央政治局会議で、習近平は「当面の経済情勢と下半期の経済工作」に対して「重要指示」を行った。それを受け、「経済工作」担当の国務院は立場上、それを「学ぶ」会議を開かざるを得ない。しかし公表された会議の中身はこの「習近平指示」を全く取り上げておらず、李強の「習近平無視」はもはや確信犯的なものといえる。

被災地に行かない習近平への当てつけ

そしてその翌日の8月1日、李強はまたもや、習近平への当て付けとも思われるような行動に出た。新華社通信の報道によると、李強はその日、湖南省彬州市を訪れ、大変な水害を受けた被災区の現場を視察し、災害対策にさまざまな指示を行った。 実は以前の胡錦濤政権時代、国内で地震や水害とかの大災害が発生するたびに、国家主席か首相(=国務院総理)が災害の現場を視察し災害対策の陣頭指揮を取るのが、一種の伝統となっていた。四川大震災の時は当時の温家宝首相が現場に貼り付けて救助の指揮をとり、胡錦濤主席はその直後に災害地区入りした。 しかし習近平政権になってから、この「良き伝統」に一つの異変が起きた。習主席自身は、災害の最中やその直後の現場へは一切足を運ばないことになったのである。実際、主席になってからの11年間、彼はこのようなことを一度もしたことはない。行くのにしても、災害が発生からずいぶん時間が経って全てが収まった後のことである。 例えば2020年1月にコロナが武漢で爆発的な感染拡大となったとき、当時の李克強首相が1月27日の感染拡大の最中に武漢入りして陣頭指揮を取ったのに対し、習近平が武漢に入ったのは3月10日、武漢でのコロナがすでに抑え込まれたことで、「勝利宣言」を行うための武漢訪問だった。

 

災害陣頭指揮、李克強の命運

その一方、李克強は2013年3月から首相を務めた10年間、以前の胡錦濤政権の「伝統」を受け継いで頻繁に災害現場に出かけていた。そのことは李克強の人望を高めたとの同時に、習近平の「災害地無関心」とは好対照をなすことになって、当時からはそれは、李克強の習近平に対する当て付け、ささやかな反抗とも見做された。 このことも一因となって、李克強は一昨年秋の党大会では習近平よりも年下でありながら引退に追い込まれて、そして昨年の秋には不審の急死を遂げた。 李克強に取って代わって、習近平側近の李強が首相になったのは2023年3月の全人代。そして彼は首相になってからはボスの習近平に倣って、災害の現場へは基本的に行かないことにした。ボスの習近平が行かないなら、自分が行けばボスに対する当て付けになることを知っていたからであろう。 私が調べたところでは、彼が首相になってから2024年7月までの約1年半、唯一、災害地を視察したのは23年12月23日、甘粛省で震災地を訪れたこと。李強は極力にボスの習近平に遠慮して自分だけが「良い子」となるような行動を避けていることは分かる。 しかしこの8月1日、一連の会議で公然と「習近平無視」を貫いた李強が、堂々と水害地を視察して災害対策の陣頭指揮をとったのは、自分はもはや習近平に「遠慮」しなくて良いとの意思表明であろう。もちろんその行動自体は以前の李克強の場合と同様、まさに習近平主席に対する痛烈な当て付けだと理解することもできる。

李強が「学習塾支援」を取り上げた真意

どうやら李強首相の造反は本物になりつつある。 8月4日、またもや注目の新しい動きがあった。その日、中国共産党機関紙の人民日報はその一面で、中央政府である国務院が「消費・サービス業の高品質的な発展促進に関する意見書」を公布したと報じた。中国の場合、中央政府の「意見書」はすなわち政策施行のガイドラインであつて、政府からの「指示書」そのものである。その中では国務院は、外食産業や観光産業の促進などからなる20項目の「消費・サービス業の促進策」を打ち出した。 そのうちの一つ、大変な注目を集めているのは「学習支援産業の発展促進とそれに対する需要の喚起」である。 受験大国の中国では、学習支援産業はかつて大変な繁栄を遂げていたが、今から3年前の2021年7月、習近平政権は突如、生徒の学習負担低減のためと称して、全国の学習塾に非営利化を強制させることで、事実上の「学習塾禁止令」を強行した。これを受けて、多数の学習塾が解散・倒産に追い込まれて学習支援産業全体は破滅的な打撃を受けた。そのことの結果、推定1000万人以上の塾教員が職を失い、中国の失業問題の深刻化に拍車をかけた。 それ以来、「学習塾潰し」はまさに習近平政権の悪政の一つとして語られている。この天下の悪政の背後には習近平主席の意向が強く働いたことは中国国内では周知されている。 しかし今になって、国務院は前述のように突如、「学習支援産業の促進」を再び掲げて政策として進めようとしている。まさに180度の政策転換であり、「習近平悪政」に対する是正であるとも理解できよう。 このような政策転換を主導したのは当然、国務院総理(首相)の李強氏だと思われる。どうやら7月18日の共産党三中全会の閉幕以来、李首相は矢継ぎに、習近平に背けるような一連の行動をとり続け、習近平に対する造反を加速化させているようである。

 

習近平も意趣返し

その一方、習近平サイドも李強に対する反撃に出た模様である。8月4日、人民日報一面は、それこそ習近平最側近である蔡奇の動きを伝えたが、彼は党中央の避暑地である北戴河で休養中の科学者・専門家を慰問してスピーチを行ったという。 人民日報はここで、蔡氏は「習近平総書記の委託を受け、党中央、国務院を代表して慰問・スピーチを行った」と伝えているが、それはすごく奇妙な話である。蔡氏は党中央書記処の筆頭書記だから、「党中央を代表する」のが問題はないが、彼は国務院において何の職もなく、「国務院」を代表する立場では全くない。本来、「国務院を代表する」というのはまさに国務院総理の李強の立場と仕事である。つまり蔡氏はここで、習近平の「委託」を受けた形で、李氏の立場を奪おうとしているのである。 そして蔡氏はそのスピーチの中で、例の「二つの確立」にも言及した。この言葉が今、党や政府の会議では欠かせない決まり文句となってはいるが、科学者や各界専門家たちを相手にスピーチするときには特にそれに言及する必要もない。蔡氏はここで、場違いの「二つの確立言及」をわざとやったのはやはり、7月19日の国務院会議で李強首相がそれに言及しなかったことに対する意趣返し、当て付であって、習近平の意向を受けての反撃だと理解することもできよう。 これでは習近平vs.李強の確執が深まる一方の様相であり、さらに蔡奇も出てきて、習近平側近同士の戦いを展開してくと、共産党最高指導部内における混迷と亀裂がこれからも継続し拡大していくのではないかと思われる。 【つづきを読む】『中国政権中枢でついに「習近平への公開造反」!露骨な首相外しに李強がブチギレて「習近平礼賛拒否」の内幕…そして解放軍でも不満顕在化』