所在地 愛媛県西条市州之内、中野
城主 河野通直、~以後八代。~石川備中守通清、
時期 廉暦年間〈1379~81〉~天正十三年(1585)
訪城紀行
この城跡には今回で3度目、最初に訪れてのは平成10年12月に保国寺側から西条ゴルフクラブから登山道を探したが分からず、訪城出来なかったので、諦めて帰る事にした。
2度目は平成22年9月に土山城跡に訪城した後、冬に訪れようと思っていたが行ってみる事にした。
下調べをしていて登山口が分かっていたので、迷わずに行く事が出来た。
今回は3度目、前回訪れた時、イノシシと遭遇して、ゆっくり探索できなかったので今回は一番寒いこの時期に訪城した。
国道11号線を加茂川を渡り加茂川大橋の交差点から国道194号線に左折して中野大橋の手前から県道12号線に入り、
高速の下を潜り、大きくカーブしている所を通り過ぎると右側に道路が少し広くなっている所があり、
折り返すように道路がみえる。ここが登山口。
此処の道沿いに車を止め、歩いて登って行く。少し登った所に通行止めの看板があるが、
此処から山頂まで30分ぐらい、10分ほど登ると最初の折り返し地点、すぐ近くまでゴルフ場があり、
ゴルフをしている人と話が出来る。山頂近くになると登山道はアスファルト舗装している。
最初に閉められた門扉があるが、ここは横から入って行く事ができる。少し広くなっており小屋が建っている。
次に開いた鉄扉があり、奥に建物が見える。
この建物は「高峰神社」と記されている。
今は建物も無人で使われていないようだ。この建物の前から主郭へ登る石段がある。
主郭は南北32m×東西20mの長方形で北西に地蔵がある。
しかし城跡の石碑は建っていない。
Ⅱ郭は主郭を取り囲む帯郭になっており一部アスファルト舗装されていたので最近遺構は壊されたのだろう。
Ⅲ郭とⅣ郭は主郭から北東に段状に延びている。今回はゆっくりと探索して、この後、保国寺、土居構え、に行く事にする。
国道194号線から加茂川を渡る手前から県道12号線に入り、
カーブを曲がると道沿いに広くなったところがありここが登山口。
登山道の途中から高速道路を写す。
登山道の最初のカーブの所はすぐ横に「西条ゴルフ倶楽部」
がある。
この入り口から先が城の城域になる。
県道12号線の登山口からここまで約30分かかる。
主郭とⅢ郭 (御馬台)の間に堀切
Ⅲ郭
南北26m×東西32m
Ⅳ郭
主郭への石段
この石段も後世の物
主郭
南北32m×東西20m
保国寺山門、高峠城主石川氏の菩提寺、石川備中守通清の墓
が祀られている。
高峠城主 石川備中守通清の墓所
沿革
天授5年〈1379〉河野通直が讃岐の細川氏と戦って討ち死にする。その後、七代宗三郎まで200年余り続く。
天正3年〈1575〉宗三郎が病死すると、側近家老の石川備中守がこの後を襲い城主となる。
天正10年〈1582〉長宗我部元親に攻撃され石川備中守通清は降伏する。
天正13年〈1585〉豊臣秀吉の命を受けた毛利軍の侵攻を受け石川氏一族は氷見野ノ市原の決戦で敗北する。
保国寺が石川氏の菩提寺で嗘石川備中守通清の墓がある。
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