悲しいお知らせ
夕方無事にベトナムに着いた。
早速あちらこちらに挨拶をして回っていると、友人の売春婦に久しぶりに会った。
今年26歳になる(自称)彼女と路上でビールを飲みながら話をした。
するといくつか彼女から悲しい話を聞いた。
なんとそれは、3ヶ月前に2人目の子どもを堕胎させたと言うこと。
以前、付き合っていたオーストラリア人の学校の先生の子ども。
一人目を数年前に下ろし、半年前「もう絶対に彼には会わない」と彼女は言っていた。
それが、2人目の子どもも同じ男の子どもだった。
彼女は、普段売春婦をしているが、そのオーストラリア人を愛していたのだ。
その話を聞いたとき、僕は彼女の一途な思いを食っているオーストラリア人の男に対し、怒りがこみ上げてきた。
無性に悲しくなった。
そして、なんと彼女は今また、一人の子どもを身ごもっている。
その子どもの相手はわからない。
「オーストラリア人かもしれないし、イギリス人かもしれない。韓国人かもしれないし、日本人かもしれない・・・」
淡々と彼女は話した。
「何ヶ月になるの?」
「多分2ヶ月に入ったと思う」
「産むの?」
いささかひどい聞き方だと思ったが、彼女は遠くを見つめてさらっと言った。
「もう殺したくない」
「相手がわからないんだろう?」
「でも私の子どもに違いない」
「じゃあもう今は売春はしてないんだね」
彼女は僕の目を見つめて言った。
「してるよ」
「駄目だろう。2ヶ月じゃ子どもが危ないよ」
僕は彼女を叱った。
「わかってる・・・。でもこの仕事をしないと生活ができないのよ」
僕は彼女から目をそらし、首を横に振った。
久しぶりのベトナムの街はどんどんと綺麗になり、たくさんの外国人観光客があとを絶たない。
しかし、その影でやはり今も取り残された人々がいる。
スラムで生まれ、学校に行けなかった彼女。
麻薬患者の弟のため、病気がちな親のため、妹には学校へ行かせてやりたいという姉の想い。
やさしすぎる彼女。
僕はやはりこの現実を伝えなくてはならない。
今回、いきなりのアッパーパンチの出迎えに、ふつふつとした僕の心はえぐられた。
(2006年08月12日 村山康文mixi日記)
早速あちらこちらに挨拶をして回っていると、友人の売春婦に久しぶりに会った。
今年26歳になる(自称)彼女と路上でビールを飲みながら話をした。
するといくつか彼女から悲しい話を聞いた。
なんとそれは、3ヶ月前に2人目の子どもを堕胎させたと言うこと。
以前、付き合っていたオーストラリア人の学校の先生の子ども。
一人目を数年前に下ろし、半年前「もう絶対に彼には会わない」と彼女は言っていた。
それが、2人目の子どもも同じ男の子どもだった。
彼女は、普段売春婦をしているが、そのオーストラリア人を愛していたのだ。
その話を聞いたとき、僕は彼女の一途な思いを食っているオーストラリア人の男に対し、怒りがこみ上げてきた。
無性に悲しくなった。
そして、なんと彼女は今また、一人の子どもを身ごもっている。
その子どもの相手はわからない。
「オーストラリア人かもしれないし、イギリス人かもしれない。韓国人かもしれないし、日本人かもしれない・・・」
淡々と彼女は話した。
「何ヶ月になるの?」
「多分2ヶ月に入ったと思う」
「産むの?」
いささかひどい聞き方だと思ったが、彼女は遠くを見つめてさらっと言った。
「もう殺したくない」
「相手がわからないんだろう?」
「でも私の子どもに違いない」
「じゃあもう今は売春はしてないんだね」
彼女は僕の目を見つめて言った。
「してるよ」
「駄目だろう。2ヶ月じゃ子どもが危ないよ」
僕は彼女を叱った。
「わかってる・・・。でもこの仕事をしないと生活ができないのよ」
僕は彼女から目をそらし、首を横に振った。
久しぶりのベトナムの街はどんどんと綺麗になり、たくさんの外国人観光客があとを絶たない。
しかし、その影でやはり今も取り残された人々がいる。
スラムで生まれ、学校に行けなかった彼女。
麻薬患者の弟のため、病気がちな親のため、妹には学校へ行かせてやりたいという姉の想い。
やさしすぎる彼女。
僕はやはりこの現実を伝えなくてはならない。
今回、いきなりのアッパーパンチの出迎えに、ふつふつとした僕の心はえぐられた。
(2006年08月12日 村山康文mixi日記)
ホテル内窃盗事件
事件は、2007年3月9日の朝に発覚した。
それは僕が泊まっていた同じホテルの2Fの一室で起きた。その部屋には日本人の妻をもらったスイス人とベトナム人女性の2人が宿泊していた。
彼は35歳。東京の一流大学の院で地質学を研究し、ベトナムへは大学の教授と一緒にベトナムの地質調査のために来越していた。僕が彼に会ったのは昨年9月に続き2度目だった。
昨年の9月に渡航した際、彼は一人寂しくバーに入り、ビールを飲んでいた。そのとき、バーで働いていたベトナム人女性と帰国後、メールでやり取りをしていたという。
「彼女も僕と同い年の35歳で、15歳になる子どもが一人いるんです。前回の帰国後メールでやり取りをしていても彼女の優しさが伝わってきます。彼女は約4年前に旦那と別れ、それからバーで働くようになったそうです」
嬉しそうに彼は僕に話した。
「彼女と同じ部屋で泊まっていても何も起きていません。彼女は、私のために朝食を運んでくれ、洗濯までしてくれます。調査で疲れ、ホテルへ帰ってきたら、彼女が笑顔で迎えてくれる。こんなに嬉しいことはありません」
事件は、彼の帰国前夜に起きた。
帰国日の朝、彼のウエストポーチがなくなっていたのだ。
朝8時ごろ彼は起きてきて、震えながら僕に話した。
「何があったのでしょう。普段は分けていた財布を一つのポーチにその日は入れていたんです。この一週間、地質調査のために使用したGPSとデジカメも入っていた。それが朝起きたら見事になくなっていた」
彼はがっくりと肩を落とし、僕のそばに座った。彼女もその隣で血相を変えていた。
しばらくして警察がホテルに来、身辺調査を行った。
僕は、彼と一緒に宿泊していた彼女をどこかで見た覚えがあった。
確か約4年前、彼女は僕に声をかけてきて、「私を買わないか」と言った女性だった。それからも売春婦として安宿街で身売りをしていた女性だ。
ホテルのメイドは次のように話した。
「彼女が盗ったのだ。昨夜、彼が眠りについた後、彼女はそのポーチを2Fのバルコニーから部屋の下にいた仲間に投げたのだろう。しかし、証拠がない」
路上に面した2Fのその部屋は小さなバルコニーがあった。
僕は、事件調査後、知り合いの警察官とホテルのメイド、野次馬などから彼のポーチの行方、事件の様相を次のように解釈する。
あくまで憶測である。
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事件は、旅客の帰国前日に起きることが多い。なぜなら被害者が帰国すれば、足が付きにくくなるからだ。
彼と彼女は、昨夜、最終日前日ということもあり、たくさんのお酒を飲んでいた。彼は酔い、深い眠りについた。その後、彼女は、彼の金目のものを盗み、下にいた仲間に2Fのバルコニーから投げた。
しかし、彼女は、本当はそのようなことをしたくなかった。
子どもが11歳のとき、旦那と別れ、生活が苦しくなり、自らの体を酷使して仕事を始めた。しかし、その仕事もうまく行かず、ある人物から借金をしていたのだと思う。その人物、そのグループが今回の事件を彼女に起こさせたのではないか。
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彼女は、その日警察で約5時間に及ぶ取調べを受けたあと、ホテルに帰ってきて、ウイスキーを飲みながら号泣していた。彼が帰宅したのは、彼女がホテルに帰ってきてから2時間もたたないうちだったが、ウイスキーの瓶は一瓶なくなりかけていたという。
彼女は、彼に支えられながらふらふらと階下に下りてきて、タクシーで自宅へ戻った。
彼女の住む街は、ホーチミン市1区ではあるが、細い路地の奥だ。
その地域は、ベトナム戦争当時、アメリカ側と共に戦ったベトナム人が多く住む。どれほど頑張っても、「アメリカと共に」という理由だけで上に上がれない人々が多い。
彼女は、生活のために体を売り、ものを盗る。
彼と僕は、帰国の日、タンソンニャット空港の出国ロビーで話をした。
彼は言う。
「彼女はとてもいい人なんです。たくさんの笑顔を私にくれた。彼女が私のものを盗ったとは思えません」
<写真は2枚とも捜査をするベトナムの公安>
(このような写真は、普通撮影してはいけません。御注意ください)
(2007年04月27日 mixiみんなの写真館/村山康文写真館)