米川の水かぶりは宮城県登米市東和町米川に古くから伝わる火伏せ行事で毎年2月初午に開催します。米川の水かぶり行事はユネスコ無形文化遺産 来訪神:仮面・仮装の神々です。国指定重要無形民俗文化財です。

米川の水かぶり 2025年 開催日
2025年(令和7年)2月6日 初午 木曜日 午前10時30分水かぶり宿出発。
来訪神 米川(よねかわ)の水かぶり行事 火伏祈願町内巡行を約1時間実施予定。
朝8時から準備に入り昼前までの行事です。ご来場は午前10時前が良いです。
お陰様で令和7年の水かぶりは開催出来ました。関係各位に御礼致します。
2026年(令和8年)の開催日は 2月1日 日曜日 初午です。
催事会場
法輪山大慈寺山門広場です。宮城県登米市東和町米川字町下56
ほうりんざんだいじじ・みやぎけん とめし とうわちょう よねかわあざ まちしも56
催事会場案内図はこのブログの一覧から記事を参照下さい。
催事内容 2025年
ふるさと自慢市の物産販売あります。水かぶり写真と絵画俳句を展示予定です。
午前8時過ぎから準備し午前中開催予定です。
登米市観光PRキャラクター「はっとん」来場します。
大慈寺初午限定御朱印と火防御札があります。
特別催事 2025年
地域伝承芸能出前公演 登米市指定無形民俗文化財 赤谷神楽 あかやかぐら
登米市石越町 赤谷神楽保存会様を招致予定です。大慈寺境内特設舞台
駐車場 2025年
米川公民館と町下4カ所を予定です。
トイレ
米川公民館・大慈寺外トイレ(水洗)・水かぶり宿外トイレ(水洗)等です。
催事会場仮設トイレ設置予定です。
交通規制のお知らせ
米川の水かぶり開催日の午前10時20分から午前11時25分まで東和町米川の町地区の国道456号と表道路(旧国道346号)で交通規制があります。車の通行止めにご協力お願いします。国道346号米川バイパスは通行出来ます。米川で渋滞する場合、仙台方面と気仙沼方面の迂回ルートは三陸道と国道45号があります。一関市藤沢方面は342号線と346号線を迂回ルートにご協力お願いします。
主催 米川の水かぶり保存会(よねかわのみずかぶりほぞんかい)

米川の水かぶり行事伝承
初午の早朝、代々水かぶり宿を務める菅原家に男達が集まり水かぶり行事の支度をする。米川の五日町の男が水かぶりの姿になり行事に参加する。
水かぶり宿の伝承は火伏せを行事の主意とする。付帯意味として厄払いと新たに地域集団に迎える成人儀礼と通過儀礼の意味もある。参加者で厄年に当たる者は厄払いになる。還暦や厄年等の一人が梵天を掲げ水かぶり一団の先頭を務める。
成人儀礼は、数え15歳前後の元服年齢の男が成人男性として、地域の祭りや行事や共同作業等に参加し地域を支える一員なる通過儀礼のひとつである。
通過儀礼は、新たに地域に加わった者を祭りや行事を通して、地域集団の一員として迎える試練である。
水かぶりの男達は、裸体の腰と肩にわらで作った「しめなわ」を三本巻き、「あたま」を頭から被り、「わっか(わ)」で押さえる。「あたま」の形は特に各自が工夫を凝らす。足に「わらじ」を履く。顔に火の神様の印であるかまどの煤(すみ、すす)を塗る。この水かぶり装束を身につけ男達は火の神様に化身する。
水かぶりの一団は水かぶり宿を出発後、法輪山大慈寺(永享元年・西暦1429年中山良用大和尚再興・奥州三十三観音第十四札所)境内の秋葉山大権現様に火伏せ祈願をする。
次に、藤原秀衡公が 嘉応2年(西暦1170年)建立の諏訪森大慈寺跡に火伏せ祈願する。水かぶりの起源は定かではない。一説には、諏訪森大慈寺修行僧の行を水かぶりの起源とする。水かぶり宿の口伝では江戸時代中期既に行事が行われていた。
水かぶりの一団は町に繰り出し、家々の前に用意された桶の水を家に掛け火伏せする。人々は水かぶりが身に付けたしめなわ等からわらを抜き取り屋根等に上げて火伏せのお守りとする。
水かぶりの一団とは別に、手鐘を鳴らす墨染僧衣の火男(ひょっとこ)と天秤棒に手桶を担いだおかめが家々を訪れご祝儀を頂く。福をもたらす来訪神といわれ、火男は火の神様の仮のお姿であり、おかめはその相方の神様である。この形態も古くから行われている。水かぶり行事後に行われる「かさごす」は神様と共に飲食しもてなす慰労の席である。 火伏祈願
行事概略短文説明
米川の水かぶりは、宮城県登米市東和町米川に古くから伝わる火伏行事で毎年2月初午に開催する。男達が顔にかまどの煤を塗り、藁で作った装束を身につけ火の神様に化身する。水かぶりは桶の水を家々に掛けながら町地区を周り火伏せ祈願をする。人々は水かぶりが身に付けたわらを家の屋根等に上げて火伏せのお守りにする。
動画 you tube 検索 米川の水かぶり
祭りドキュメンタリー#42 13分36秒 文化庁補助事業で作成しました。
米川の水かぶり。 英語による案内は別のページを見て下さい。
Yonekawanomizukaburi.
Please see another page for guidance in English.
春寒に 国書に記する 水かぶり 平成13年2月国指定書受領記念句
ユネスコに 集いし神と 語らいて 2018年12月1日ユネスコ無形文化遺産登録記念句
水かぶり行事は地域の先人から受け継がれてきました。宮城県無形民俗文化財指定を機会にして、平成4年2月に米川の水かぶり保存会を作り、保存会が主催し関係各位のご協力で開催しています。
昭和46年10月8日東和町無形民俗文化財指定
平成3年8月30日宮城県無形民俗文化財指定
平成12年12月27日国指定重要無形民俗文化財
2018年12月1日ユネスコ無形文化遺産登録記載 来訪神 :仮面 ・仮装の神々
水かぶり行事の意味等ついては、唯一代々行事を伝えてきた水かぶり宿が伝承しています。その全てを他に話すことは、火の神様へ畏敬に接するために控えていました。また、言葉に表したり文書化することで、それに縛られてしまう為に避けていました。しかし、水かぶり行事が有名になるにつれて誤った説明等が多く見られるので、正統な行事の意味を伝える為に公開します。

登米市東和町米川(旧狼河原 おいのがわら)の風景、左の山が諏訪森大慈寺跡、中央に若草山と八幡山と小学校と町地区、奥に蚕飼山、右に国道346号線、雪景色の田園地帯から北側を望む。
交通手段
新幹線 くりこま高原駅 ・JR 瀬峰駅・新田駅・石越駅からタクシー・バス・レンタカー等。車で約30~40分
東北自動車道 築館IC・金成IC から車で約45分。
三陸道 登米ICから約25分。登米東和IC(気仙沼方面からの出口無し)や三滝堂ICから車で約15分から20分。
高速バスは仙台から登米市役所まで乗り、市民バスかタクシーに乗り換えて東和町米川診療所前で下車、近くの大慈寺までおいでください。高速バスと市民バスの詳細は登米市HP参照願います。
市民バス東和線は午前8時17分登米市役所発、米川若草園行き、米川診療所下車午前8時57分。登米市役所に戻る便は平日で米川診療所13時43分発です。
土日祝日の午後は登米市役所行便無しです。
道の駅林林館森の茶屋がお寺から約3km南にありますので観光バスの待機場所等に、そして、お土産やお食事や休憩にご利用いただけます。道の駅に隣接して登米市東和総合支所の広い駐車場もあります。三陸道三滝堂ICにも道の駅があります。
宿泊施設はくりこま高原駅前・登米市迫町・登米市内・南三陸等のホテルや旅館と民宿をご利用ください。
周辺観光地として、宮城の明治村、NHK2021年朝ドラ「おかえりモネ」のロケ地の登米市(とめし)登米(とよま)町・ラムサール条約登録で白鳥と渡り鳥の楽園伊豆沼・石ノ森章太郎ふるさと記念館・南三陸・気仙沼・日本三景松島・世界遺産平泉・鳴子温泉等です。東和町米川は隠れキリシタンの里でも有名です。
問い合わせ先 米川の水かぶりに関する観光等の問い合わせは、登米市東和総合支所か米川公民館にお願いします。
文化財としての問い合わせは文化財文化振興課です。登米市のHPから電話番号を確認してください。
水かぶり宿との重要な要件の連絡は登米市経由でお願いします。

水かぶり見学に際してお願い
警察・交通指導隊・警備関係の指示に従い事故防止にご協力お願いします。
水かぶり行事の進行にご協力お願いします。
水かぶりは水を扱います。皆様の身体や衣服が水に濡れる場合がありますのでご了承願います。撮影機材は水に対する備えをして下さい。
水かぶりは顔にすすをつけています。皆様の身体や衣服に黒いすすが付着することがありますのでご了承願います。
水かぶりの行列の中に入らないで下さい。事故を防止し整然と行事をしたいのでお願いします。
撮影は各メディアやアマチュアカメラ関係ともにマナーを守り、水かぶり行列から距離を取ってください。
撮影等で民家に迷惑をかけないで下さい。
撮影ドローンは催事会場や水かぶり巡行ルート等の頭上飛行禁止。法律等に従ってください。
水かぶりの姿を多くの皆様に見て頂き、来訪神である水かぶりの姿で火伏をしたいので、「あたま」や「わ」や「しめなわ」を行事開始早々に取らないで下さい。お守りは「しめなわ」から数本引き抜く程度で充分です。特に梵天を掲げる水かぶりの装束は抜かないように願います。
裸体にしめ縄を身に付けているので引っ張られるとすごく痛いです。眼鏡をしてる人もいます。無理に「あたま」や「わ」を取ると破損する場合があります。帰路に声をかけてから頂く等安全に配慮ください。
おかめと火男の素顔や名前は公表しない慣例です。例えば、おかめに人としての名前を呼べば来訪神から人に戻る為です。「おかめ」「ひょっとこ」として称します。
水かぶりの関係者や見学の皆様の顔や姿が各媒体の写真や映像で公表になる場合があります。
各駐車場に於ける事故防止は各自でお願いします。また、各駐車場は所有者様から善意で借用しています。ゴミ等を散らさないで綺麗に使用願います。集合店舗駐車場や私有地等に駐車はご注意ください。
このブログに関する他の記事は記事一覧からご覧になれます。時々、水かぶり以外の雑事記もあります。宿とは神様の宿るところ、立ち寄るところ、そのお世話をする役目です。
火伏せのお守りの取り扱いについて
水かぶりから頂いたしめなわ等のわらをどのようにするか質問がありましたのでお答えします。屋根に上げたり、家のどこかに飾り火伏せのお守りにします。ただし、火気のすぐ近くは禁止です。その後は、自然の土に還すもよし、どんと祭に出すもよし、それぞれが神様に感謝する気持ちがあれば良いです。
昔は古いしめ縄や御札等を家の御明神様にお祭りして自然に還していました。

水かぶり行事に関して見受けられる相違点について
寒水に 映す姿は 異形なり
米川の水かぶり行事が世に知られるようになると、変な本や説明やインターネットの記事等が多くなりました。
これって米川の水かぶり行事のことですか? 取材受けてないような? (つぶやきでした。)
厄年や年男中心?
火伏せが行事の主意。五日町の元服以上の男が参加する。厄払い と成人儀礼と通過儀礼は付帯意味。参加者で厄年に当たる男は厄払いになる。水かぶりが厄年の男を中心とする説明は違う。その年の干支に当たる男。または、年齢に関係しないで正月に神様の世話をする男が年男であるが、年男が関係する意味は水かぶり行事にない。
男の厄年は数え25・42・61歳等で、年男は干支の場合、満年齢で12・24・36・48・60歳等12の倍数である。厄年の数え25歳と61歳が年男の満24歳と満60歳は重なるが意味は別である。小学校高学年の男を数え15歳前後の元服年齢として水かぶりに参加を認めた。大人の仲間入りの成人儀礼である。五日町の男として参加する。
わらみの・腰みの・藁冠・オシメ?
しめなわ・あたま・わっか(わ)で伝わる。しめなわの一形態、全体として水かぶり装束である。
しめ縄を身に付けることにより神様と通じる。腰みのや藁冠等では伝承していない。腰みの等と書いてある記事は根本的に違っているので速やかに訂正願う。
一部の説明で見受けられる「オシメ(オスメ)」は「しめなわ」のことである。地域の方言である。
諏訪山大慈寺?
諏訪森大慈寺(すわもりだいじじ)。諏訪森大慈寺の行を起源とする説明の場合は、諏訪森大慈寺が天台宗なので、禅宗の修行僧の雲水ではなく、単に修行僧の行とする。また、奥州三十三観音第十四札所は曹洞宗法輪山大慈寺(1429年再興)であり、諏訪森大慈寺 を奥州三十三観音第一四札所として建立したとする説明は違う。既に存在する寺を1番から33番まで札所に選定した。諏訪森大慈寺(1170年建立)は藤原秀衡公が平泉を中心とした浄土世界の実現と平泉を防衛する拠点として建立した。尾根伝い頂上は標高約三百余りの八森山である。ここで狼煙を上げると東は同様の寺があった標高約五百の田束山や北西の一関方面に連絡出来る。八森山の南に物見峠があり平泉に伝令が出来る。
奥州三十三観音については次の定説がある。鳥羽帝(1107~1123)のころ現在の宮城県名取に老女旭がいた。紀州熊野権現を篤く信仰する旭が西国の三十三観音に倣い草創した。現在の奥州三十三観音札所は、宝暦11年(1761)に気仙沼捕陀寺智膏和尚を中心とする7人の僧達により定められた。諏訪森か諏訪山か山号の件の疑問についてであるが、山号は鎌倉時代に禅宗と共に日本に広まったので諏訪森大慈寺で良いと思われる。
秋葉神社 ?
大慈寺では秋葉山大権現 あきはさんだいごんげん。静岡県の秋葉山に秋葉神社の本社があり、古くから神仏習合で火伏の神様である。明治の神仏分離で寺と神社に分けられたが、各地域によって名称に違いが見られる。神社系は火之迦具土神、お寺系は三尺坊大権現を祀る。
あかいいろのものを食べない?
水かぶり行事との関係ではない。家により違う。文化財保護委員が他と混同した。
道の両側から水を掛け合ったが語源?
文化財保護委員がそう質問した。当時の宿当主は「道の両側の家に水を掛けて歩いた」と答えて否定した。先入観による聞き違い。「やはり、そうですか」と会話がかみ合っていなかった。
火男(ひょっとこ)おかめが火伏の御守札を配った?
昭和30年発行の米川村誌に町内各戸に火伏の御守札を配ったと記載されている。しかし、水かぶり行事を継承する水かぶり宿ではその様な御札を配ったことは無い。水かぶりと関係ない者が御守札を配り歩いた話と混同している。火男の手鐘数鳴で挨拶し、おかめの手桶(現在はバケツ)にご祝儀を入れて頂く、お礼も声を発しないで手鐘の一鳴でする。托鉢の形で各家を訪れ福を授ける来訪神が火男とおかめである。
かさこし?
「かさごす」 が伝承のままの発音である。行事の後で神様をもてなした慰労の席。かさごすの語源は不明である。長年考えてみて「ごす」は御酒のことと思う。昔はおかめの手桶に酒を家々から頂いた。「かさ」は手桶の酒の埃除け。または、火男おかめが昔は笠を被っていたためか。もうひとつとして、古い言葉の「かしこし」と思う。ありがたい・恐れ多い・もったいない・かたじけない等の意味がある。現在では、水かぶり各催事に関係した皆さんに参加していただくために水かぶり宿から五日町会館に場所を移した。
五日町会館 登米市東和町米川字町裏 大慈寺より北側へ約200m
5の日の16年毎の大祭
五日町の5日と初午の日が重なる年に祝いの祭りをする。祭りの由来は水かぶり行事と別である。水かぶりとは別の集団の祭りであったが、近年、地区の行事として水かぶりと共催する。旧暦では16年周期にならない。五日町は大慈寺門前町で過っては五のつく日に市が開かれた。住所表示で五日町は無しで、町・町下・町裏・四十田・山根等の表示になっている。現在では町内会名と住民が使う通称である。

結びに
昔の人々は自然の力を畏怖し神様として祭りました。自分たちに災が及ばないように逆らうことではなく、神様の姿を借りて祈ることで自分たちを守護して頂けるように祭りや行事として行い長年伝えてきました。原始的な宗教に神仏等が結び付いた形の一つが水かぶり行事です。火伏せとは、火が人々に恩恵をもたらし、災いにならないように火の神様に祈願することです。ご覧頂いた皆様の火伏せと御多幸を心からご祈念申し上げます。
米川の水かぶり宿
更新 2025・2・7